どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ベジータにとっての悟飯

ベジータは悟飯のことを割と評価している、とネット上では良く語られています。実際にベジータが悟飯のことをどのように思っていたのか、掘り下げてみたいと思います。

 

まず、ベジータラディッツが殺された際、サイヤ人と地球人の混血は戦闘力が高いという仮説に辿り着いています。それを聞いたナッパが、地球人との間にたくさん子を作れば最強の民族ができるのではと言いますが、ベジータはそれでは自分たちの立場が危うくなると否定しています。

ベジータは当初より、自らの立場を危うくするくらいにはサイヤ人と地球人との混血(=この時点では悟飯のみ)を評価していたことになります。

ベジータは王子であることから、自分自身が最強であるというだけでなく、サイヤ人という種が最強の民族であることに誇りを持っており、それ故に種の存続についても関心がありますし、それだけではなく自分が王でいられるかどうかも判断基準の一つであったことがわかります。だからカカロットに負けないことにもこだわったのでしょう。

 

次に、ベジータは直接悟飯と対峙し、悟空との戦いで大きなダメージを受けた状態で、怒りにより戦闘力がアップしている状態の悟飯に苦戦していました。万全であれば相手にならない実力差ではあるものの、5歳で自分に恐れず向かってくる悟飯にそれなりに脅威を感じたようです。

ナメック星で悟飯と再会した際には、本音かどうかは分かりませんが、サイヤ人の血を引いている者が悟空を含めて3人しかいないことを大事に思っているように見せており、最長老に力を引き出してもらった悟飯の気を悟空と勘違いするなど、単なるガキではないという認識を常に持っています。

ギニュー特戦隊フリーザとの戦いでは、自身の力だけでは勝ち目が薄いこともあり、悟飯の戦闘力はそれなりに頼りにしている様子が見えました。実際、窮地に陥るたびにブチ切れて強力な攻撃力を見せる悟飯には何度も驚かされており、ある意味では悟空やピッコロよりも悟飯がブチ切れた時の強さを知っているキャラクターとも言えます。悟飯がブチ切れる時は、ピッコロが死んでいたり、悟空が(多くの場合クリリンも)戦闘不能になっている時がほとんどですからね。

その意味では、確かに悟飯のポテンシャルの高さを一番知っているのはベジータであったと言えます。セルの相手に悟空が悟飯を指名した時も、驚いてはいましたが、ピッコロやクリリン達ほどの抵抗感は見せておらず、実際に悟飯がセルと戦うために力を解放した時には、逆にベジータが一番驚いていたように見えます。多くの仲間たちが「まだ子供の悟飯にはセルの相手は無理だ」と思う中、ベジータだけは純粋に戦闘力だけで悟飯をみていたのではないでしょうか。

そんなベジータだから、再生後のセルの攻撃から悟飯に庇われた際も、素直に謝ることができたのかもしれません。これが悟飯以外のキャラだったら、「余計なことをしやがって」とか言うのが目に見えています。自分より明らかに強いということを認めていたからこそ、悟飯には謝れたとも言え、ある意味ではベジータは悟空よりも先に、悟飯の強さを認めていたのかもしれません。悟空のことを認めるのは、ブウ編の最終局面ですからね。

 

ベジータは悟飯の強さを誰よりも認め、そして地球人との混血の強さを良く知っているからこそ、トランクスを悟飯より強くすることを一つの目標とします。そして実際に悟天に勝った際は、非常に喜んでいました。

ブウを倒し悟空が生き返った後は、あまりトランクスを鍛えなくなったようですが、これは悟空を含め自分自身がまだ強くなれる可能性を見出したことで、悟空より強くなるという目的がより現実化したためでしょう。次にトランクスを鍛えることがあるとすれば、それは自分自身がこれ以上強くなることはないと思った時でしょうね。

 

悟飯に対する感情に戻ると、成長後に再会した際は腕が鈍っている悟飯のことを気にしていました。そして実際にダーブラと戦う悟飯を見て、想像以上に鈍っていることを知り大きく苛立っていました。その苛立ちが悟空以上であったのは、性格によるものだけではなく、それだけ悟飯の強さを認めていたからなのでしょう。もし悟飯が自分の子だったなら、絶対に鍛えていたはずなのにという気持ちもあったはずです。ブウに悟飯が殺されたと思っていた際は、「よくも殺しやがったな」と柄でもない台詞を言っていたこともありました。それだけ惜しい存在だと思っていたことがわかります。

 

その後、ベジータは死亡し、生き返った後は悟飯たちが地球ごと消滅してしまったため、悟飯と顔を合わせることはありませんでしたが、ベジータの悟飯への態度は一貫しており、それが「サイヤ人と地球人の混血という優良種」であり「自分や悟空を超えるポテンシャルを持っている」ということです。

おそらく、ベジータは「サイヤ人と地球人の混血」がより優れた存在であるという仮説を立てており、そのモデルが悟飯であることが確かであるため、純粋なサイヤ人は悟空とベジータが死ねば絶滅するものの、地球人との間に子孫を設ければより優れた種族として生き残ることができる、ということに王族として希望を持っているのだと思います。悟空に対しては同じ純粋種としてのライバル心がありますが、悟飯に対してはその次の世代のサイヤ人の希望として、次元が異なる期待をしているということです。

 

また、それに加え、悟飯に対する個人的なシンパシーもある可能性があります。というのも、悟飯は5歳でサイヤ人やフリーザ軍との殺し合いに身を投じており、悟空以上に壮絶な幼少期を過ごしています。それは、幼少時よりフリーザ軍として戦っていたベジータにとっても同じです。それも親が王であったが故に、王子としての運命から逃れられませんでしたし、戦闘力では父を超えていたが故に、幼くして最強のサイヤ人としての責任も背負っていました。悟飯も、父親が悟空だったからこそラディッツに攫われ、悟空以上の戦闘力を持っていたが故にピッコロに鍛えられ最前線に出ることになったわけです。

ピッコロが悟飯に自分を重ねていた部分があったように、ベジータにも自分を重ねている部分があったのではないかと思います。そうなると、ピッコロとベジータも似たもの同士だったことになりますが、まぁ双方の様子を見ると確かに似たもの同士かもしれません。

 

このように考えると、ベジータにとって悟飯は単なる「カカロットのガキ」というだけではない存在であるように思えますが、ブウに自爆した後はあまり直接絡むことがないため、その背景があまり生かされていないのが残念です。アルティメット悟飯を見てベジータがどう思ったのかとか、見てみたかった気がしますね。もちろん最新のビーストに関するリアクションも気になるところです。

悟飯は、力の大会やスーパーヒーローの一件を踏まえ、本業だけじゃなくて修行もある程度しておかなければと思うようになっているはずなので、ベジータが見直す機会も出てくるのではないかと思います。修行相手はオレンジピッコロで十分そうですが、ベジータとの修行なんかも、一度は見てみたい気がしますね。