どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

悟空と悟飯にとっての「仲間の死」

 悟空がクリリンの死に対する怒りによって超サイヤ人に目覚めたのは有名な話ですが、リアルタイムで漫画を見ていた当時、「クリリンなんて前も死んだしその後も色んなキャラが死んだし唐突じゃね?」と思っていた小学生の自分がいました。

 ただ、改めて悟空の経歴を辿ると、実は悟空はあまり「仲間の死」を目の当たりにしていなかったということに気づきました。

 

 ピッコロ大魔王編において、最初に殺されたのがクリリンでしたが、このクリリンが殺された瞬間も、悟空は見ていません。それでも十分怒りに燃えていましたが、フリーザに「目の前で」殺されたインパクトは、もっと大きかったのでしょう。

 そして、その後亀仙人と餃子が死んだところには、悟空は立ち会ってもいません。それ以前に悟空が死を目の当たりにしたのは、ウパの父・ボラの時くらいでしょう。その時も、悟空は強い怒りを見せ、桃白白を爆殺(生きていましたが)していますし、そのボラを生き返らすためだけにドラゴンボールを集めました。

 

 その後、ナッパとベジータが来襲した際に、悟飯とクリリン以外の仲間は全員死んでしまいましたが、その死の瞬間にも悟空は立ち会っていません。それでも激しい怒りを見せてナッパをいたぶっていましたが。

 そしてフリーザとの戦いでは、クリリンの死の前にベジータの死を目の当たりにしています。この時、悟空にとってベジータはまだもう1人の倒すべき敵であったにも関わらず、強い同情を見せ、サイヤ人としての誇りを受け継ぐ覚悟まで与えていました。

 

 つまり悟空は、仲間の死を大きく捉える感性は持っていましたが、直面する機会が実は少なく、その分クリリンが目の前で死んだ怒りが非常に大きかったのだと言う事ができます。

 

 その後悟空は人造人間やセルとの戦いの中でも誰の死にも直面していませんし、ブウ編でもあの世から見ていたくらいです。ただベジータ天下一武道会の観客を殺した場には居合わせていたため、その怒りによりベジータとの戦いを決意していました。やはり悟空は、目の前の死に対する怒りは強く見せる傾向にあります。ただ、直面する回数が最小限なので、なんとなく死に疎いようなイメージがあるだけです。

 

 

 一方、悟空が直面した回数が少ない割を食っているのが、息子の悟飯です。ナッパ戦での仲間の死はすべて見届けていますし、ナメック星でも多くのナメック星人が殺される瞬間を見ています。もちろん、ベジータクリリンが殺された時もそれを見ています。悟空が少年時代に目の前で殺されたのがボラだけだったのに対して、悟飯はあまりにも人の死を見すぎているように思います。悟空は敵との戦いを「試合」と捉える傾向にありますが、悟飯は初めての戦いからずっと「殺し合い」であり、むしろ味方が死ぬことの方が多かったとさえ言えます。

 このように考えると、悟飯が戦いを好きでないのは、単に性格によるものだけではないのかもしれません。悟飯にとって戦いは相手の命を奪うか奪われるかであり、だからこそ戦う事に躊躇いがあり、怒りで我に忘れた時は相手を殺そうとする傾向にあるとも言えます。だからセルとの戦いも悟空のように楽しめず、自分がセルを殺すまで戦闘は終わらないという思いが本気で戦う気を失わせていたのかなとも思います。

 

 おそらく、悟空と悟飯にすれ違いがあったなら、そこであったのではないかと思います。悟空にとって戦いは試合であり、相手の命を奪わなくても終わるものであることを知っていました。ピッコロの命も、ベジータの命も奪わず、フリーザの命も見逃そうとしました。しかし悟飯は命を奪う戦いしか知りません。悟飯にとって戦いは殺し合い以外の何者でもないということを、悟空は全く知らずにセルを戦わせようとしてしまったのです。

 その意味では、ピッコロ大魔王の息子であるピッコロの方が、悟飯の気持ちが良く分かったのでしょう。ピッコロもまた、父の仇敵である悟空を殺すか、自分が殺されるかしか未来はないと思っていたところ、悟空に命を救われた身です。しかし悟飯には、戦いで命を奪わなくてもいいというモデルケースがなかった。そこが最大の不幸だったのかもしれません。

 

 悟空がそのことを理解していれば、精神と時の部屋での修行で悟飯に命を奪わなくてもいいのだと教えることができたはずです。しかし実際にやったのは、逆にセルへの怒りを増幅させて悟飯に新たな変身をさせることでした。

 悟飯は結局、最後まで殺し合い以外の戦いを知ることなく戦いから身を引く事になります(「超」の力の大会も、敗れたほうが消滅する事実上の殺し合いでした)。もし殺し合い以外の選択肢を知っていれば、悟飯はミスター・サタンのように、魔人ブウと敵対することもなかったのかもしれません。

 

 悟飯は怒りによって力を開放させることができますが、セル戦以外でそれが敵へのとどめになったことはありませんでした。それは悟飯が怒らなければならなかったことが多すぎたからだと言う事もできます。逆に、悟空にとって相手を殺すことは「反則」です。誰かが死ぬことがない、というのが前提であるから、実際に死に直面したときにより強い怒りを見せるのでしょう。滅多にないことだからこそ、悟空はクリリンの死で超サイヤ人になることができたのです。