どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

超サイヤ人になるための「怒り」の条件

「穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた」のが超サイヤ人とは悟空の弁ですが、一方でベジータは「自分への怒り」によって目覚めたと語っています。ベジータの場合、伝説上の存在と思われていた超サイヤ人が悟空により具体化し、それを目指してもなかなか辿り着けなかったことから、超サイヤ人になれないという現実、つまり自分への不甲斐なさに対する怒りであったと推測することができます。

しかし、この「自分の不甲斐なさへの怒り」というのは、ベジータに限ったことではないのではないか、と思い至りました。

 

というのも、悟空が超サイヤ人になったのは、クリリンを殺された怒りからですが、殺したフリーザへの怒りだけでなく、それを阻止できなかった自分への怒りも含まれていたと思えるからです。悟空はその後、自分が星の爆発に巻き込まれて死ぬリスクを負ってまで、ナメック星に残ってフリーザを自ら倒すことにこだわります。それだけクリリンが大切だったとも言えますが、その後勝敗が決したことで決着をつけずに戦いを終わらせようとしており、必ずしもフリーザを殺さないと気が済まなかったわけではありません。気が済まなかったのは、自らの不甲斐なさであり、超サイヤ人となり完全にフリーザを上回る力を得たことで、その気持ちはある程度解消できたのしれません。不甲斐なさによる逆上という意味では、トランクスがセルに殺された時のベジータに似ています。違いは、ベジータはセルを倒せる力を持っていませんでしたが、悟空はフリーザを倒す力を持っていたことです。

 

このように考えると、悟飯が超サイヤ人2になれたのも、「16号が破壊された怒り」というよりも、「16号が破壊されるまで力を引き出せなかった自分の不甲斐なさへの怒り」と理解することができます。悟空とクリリンの絆の深さに対して、悟飯と16号の絆がそこまで深いとは言えず、それなのに同じような怒りで覚醒したのは、「自分への不甲斐なさ」が同等だったのではないかと推測することができるのです。

それは未来のトランクス(アニメ版)も同様だし、未来の悟飯もそうやって覚醒したと考えることができます。

 

そうであるなら、超サイヤ人になれるかどうかの境界線は、「自分自身の無力の自覚」と「それでもさらに強くなりたいという気持ち」の2つが揃ったかどうかなのではないか、と解釈することができます。フリーザと戦った際のベジータは、ずっと自分は強いと思っており、それが打ち砕かれた際に、怯え涙しフリーザに勝つことを諦めてしまいました。そこでそれでもフリーザを倒したいという気持ちがあったなら、その時点でベジータ超サイヤ人になれていた可能性があります。ただベジータは悟空に負けるのは悔しくても、フリーザに負けるのは悔しいと思えなかったのでしょう。それくらい、幼少時からフリーザには逆らえないことを(無意識的に)理解していたのだと思います。

 

逆に悟空に足りなかったのは、相手をなんとしても倒さなければならないという意志だったのではないかと思います。悟空は基本的に敵との戦いを試合と認識しているため、相手を殺してでも勝ちたいとまでは思っていません。しかしフリーザに対して、それではダメだと自覚したのがクリリンの死だったのでしょう。最初にクリリンを殺したタンバリンは、かめはめ波で消滅させていますからね。悟空にとってクリリンの死は精神的なリミッターの解除を意味しているとも言えます。幼少時に一定の戦闘力に達していたら、この時点で超サイヤ人になっていたのかもしれませんが、タンバリンがクリリンに殺されるのを悟空が止めるのは不可能に近く、自らの責任はほとんどなかったため、不甲斐なさを感じることはなかったのでしょう。

 

サイヤ人は戦闘民族であり、本能的に闘争を求め、より強くなろうとする種族ですが、心が折れるほど自分の限界を自覚した上で、それでも強くなりたいという強い意志を持つことで、一つ上の領域にたどり着けるようになっているのかもしれません。

ただ、一度目覚めるとある程度自由にコントロールできるようになることから、悟天やトランクスが幼少時に苦労せずに超サイヤ人になれたのは、やはり超サイヤ人覚醒後に設けた子だからなのかもしれません。原作コミックでは、未来のトランクスも最初から超サイヤ人になれていたので、実は現代同様に簡単に覚醒していた可能性があります。悟飯の死で目覚めたアニメ版のトランクスは、超サイヤ人覚醒前のベジータの子だったということなのでしょう。

 

映画「ブロリー」におけるブロリー超サイヤ人覚醒は、パラガスの死によるものですが、これはどちらかと言うと悲しみによる覚醒のようにも見えます。これは旧版ブロリーと共通なのかもしれませんが、すでにブロリーは大猿の力を引き出している時点でほぼ怒りに身を任せている状態のようであるため、超サイヤ人になるのに必要なのは怒りではなく別の感情ということなのかもしれません。

超サイヤ人ゴッドになるためには正しい心が必要であるということもあり、超サイヤ人自体が大猿化とは異なる、人間的な感情を必要としているのかもしれませんね。