どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

孫悟空と魔人ブウの関係

魔人ブウは、原作コミックでは最強最後の敵でしたが、ゴテンクスや悟飯を吸収したブウはともかく、それ以外のブウに関しては単純な強さよりも、完全に消滅させない限り死なないという耐久性の高さの方が厄介であるように描かれていました。

 

最初に登場したデブのブウは、ベジータの一撃で肉体を貫かれていますし、自爆で粉々になっています。

悪のブウが善のブウを吸収したタイプも、超サイヤ人段階のゴテンクスのスーパーゴーストカミカゼアタックで粉々になっています。

最後に戦った純粋ブウも同様で、フルパワーの超サイヤ人3なら消滅させることが可能だと言われていました。

 

つまり、本来のブウは、肉体が不死身でなければ、超サイヤ人2以上の戦闘力でも倒すことが可能な程度の戦闘力だったのではないか、と推察できます。

 

ただ、攻撃に回った時の戦闘力はそれなりに高く、超サイヤ人2レベル(であるはず)の悟飯は一撃で倒していますし、洗脳ベジータにも大ダメージを与えています。以前も考察しましたが、ブウの場合は肉体の耐久力が異常に高いので、持てる気を全く防御に振り向けておらず、全ての気を攻撃に使うことができるという利点があると考えられます。

純粋ブウが超サイヤ人3悟空と互角に戦えたのも、ブウが攻撃力全振りなのに対し、悟空は攻撃にも防御にも気を割いていたからと考えることが可能です。そして悟空はフルパワーで攻撃すれば瞬殺できるはずなのに、戦いを楽しもうとして普通に格闘戦を挑んだせいで気を無駄に消耗し、倒せるタイミングを逸したとも言えます。これが未来トランクス(超サイヤ人3)だったら瞬殺していたかもしれません。

 

 

ブウの気の総量=戦闘力に関しては、超サイヤ人2のベジータが命を燃やしても消滅させることが出来ず、超サイヤ人3フルパワーなら勝てるということから、2と3の間くらいであると考えることができます。

ただ、超サイヤ人3は制限時間が短いので、スタミナの概念もないブウとの殴り合いではじり貧になっていくという関係性にあります。その点はゴテンクスであっても同様で、消費が少ないアルティメット悟飯、あるいは融合により超サイヤ人でありながらアルティメット以上の戦闘力を持つベジットなら正面から殴り勝つことも可能だったというわけです。

しかしブウは完全に戦闘力で上回る相手は吸収するという性質があり(そう考えると大界王神や南の界王神の戦闘力はアルティメット悟飯級だったということに)、それを知らないと吸収されてしなうという「わからん殺し」まで備えているという極悪なラスボスでした。

 

つまりブウの本質は「超サイヤ人2以上3以下の戦闘力に加え、無限再生と吸収能力を持ちスタミナ上限もない存在」であると言えます。

あえて言うなら知恵が限りなくないということが特徴で、それ故に「手懐けてしまえば」無力化できる存在でもあります。それができたのがミスター・サタンか封印魔法を使えるバビディだけだったというのがまた皮肉です。

 

つまりこのブウ、手懐けなければ消滅させるしかない存在でした。そういう意味で、悟空にとっては天敵だったと言っても過言ではありません。

かつてのピッコロやベジータのような「プライド」がないため、改心させていいライバルにするには、人間に転生させてウーブになってもらうしかありませんでしたし、相手をなるべく殺したくない悟空にとっては消滅させることもなるべくしたくなかったでしょうから、いくら強くても悟空の戦いたい相手とは言い難い存在でした。そのあたりが、倒すのを諦めて若い世代に任せようとした理由なのかもしれません。

 

悟空にとって、やっつければ諦めてくれる相手がベジータまでで、それ以降は「殺しても分かり合えない相手」との戦いの連続でした。

フリーザには、情けをかけても裏切られ、最後には自分でとどめを刺すしかありませんでした(死んでませんでしたが)。

セルは負けるとわかると地球ごと自爆するような相手であったため、悟飯に任せようとしたら倒しきれなかったため、責任を取って自らの命をもってセルを止めました(セルだけ死にませんでしたが)。

そしてブウもまた、消滅させないと止められない相手であったため、悟飯達にまかせようとしたら地球も消滅してしまったので自分でかたをつけました。

 

フリーザやセルと、ブウとの違いは、「今度はいいヤツに生まれ変われよ」という言葉が出たことです。つまり、今目の前の相手と分かり合えなくても、死んで生まれ変わったら自分の望む「いいライバル」になってくれる可能性がある、ということに希望を見出したということにもなります。

「殺したら反則負け」の概念から「死んでら転生できる」の概念に変わったことで、悟空はようやく「殺さない限り勝てない」相手への精神的な対処法を見つけたことになります。

 

悟空がこの境地に至ったのは、一度死んだことが大きいのだろうと思います。というよりも、死んだだけの時点ではまだブウを倒す気になれていませんでしたから、死んでもう一度生き返った(老界王神の命もをらって)というのが大きかったのかもしれません。しかも、ドラゴンボールによる復活ではなく他人(しかも神)の命をもらっての復活なので、自分だけの命ではないという自覚も芽生えた可能性があります。

自分自身がある意味「生まれ変わった」のだと言え、死んだ人間も魂を入れ替えれば新たな存在になることも悟空は知っているわけですから、命は死んだら終わりなのではなく、また別の魂となって現世に還るだけなのだという認識に変わったことが、心理的に影響を与えたのではないでしょうか。

 

つまり魔人ブウを倒すことができたのは、悟空自身が一度死んで、他人の命で生き返ったことが大きかったのではないか、ということが言えるのです。それは相手が不死身の魔人ブウだったからこそなのかもしれません。

 

そのように考えて思ったのですが、悟空は老界王神の命をもらって復活した=神の魂を得て転生した、と言えるので、超サイヤ人ゴッドになれる理由は「正義のサイヤ人が他のサイヤ人のパワーをもらって云々」というものではなく、単に悟空が神の魂を持っているからで良かったような気がしますし、このネタは今後のパワーアップの根拠に使えそうな気がします(笑)