どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

何故フリーザはドラゴンボールで生き返れたのか

 ドラゴンボールは死後一年以上経過した人は生き返らせることができない、というのが無印ドラゴンボールの頃からの設定でした。

 しかし、フリーザは10年以上前に死亡したにも関わらず、地球のドラゴンボールで復活することができました。一言で言えばデンデがドラゴンボールをパワーアップさせていたからだと思うのですが、何故そのようなパワーアップが行われたのかを含めて、考察してみたいと思います。

 

 

 まずドラゴンボールのパワーアップの歴史を振り返ります。ピッコロと神様が融合してドラゴンボールが失われた後、デンデが地球にやってきて神に就任し、ドラゴンボールを復活させます。その際に、願い事を2つかなえられるようになりました。

 その後、実は「一度に大量の人を生き返らせる」などの大きな力を使用する際は願い事は2つまでだが、そうでない場合は3つまでかなえられるということになりました。これは、作者がブウ編で地球のドラゴンボールも願い事を3つかなえられると作中で言わせてしまったために、あとから辻褄を合わせるために作られた設定かと思われます。

 

 原作での経過はこれだけなので、ドラゴンボールで1年以上前に死んだ者を生き返らせることができるようになったと思われる描写はありません。また、デンデがドラゴンボールをパワーアップさせたという描写もありませんが、願い事が2~3つに変動できるようになったのはセル編後である可能性はあります。

 もしその際に死者復活の期間を延ばすことにしたのであれば、その理由は何だったのでしょうか。セル編からブウ編までの間に、特に大きな危機は生じていないため、あえて機能をパワーアップさせる動機が見当たりません。

 しかし、一つ考えられるのが、「悟空をいつでも生き返らせられるようにしておきたい」とピッコロやデンデが思ったからだということです。未来のトランクスがいた時代は悟空が死んでしまったせいで取り返しのつかないことになったので、もし「本人が望まなくても」世界のために生き返らせることができる保険をかけておきたかったのだと考えてもおかしくはありません。劇場版を含めればボージャックやブロリーが地球にやってきたりしていますし、実際悟空は老界王神の命をもらって生き返らざるを得ないまでに追い詰められました。

 悟空は1度死んでいるので、地球のドラゴンボールで生き返ることができませんが、ブウ編以降「地球のドラゴンボールでは1度死んだ者は生き返れない」という話が出たことがないので、これもパワーアップして解決されている可能性もあります(ベジータはブウとの最終戦とは異なり、バビディに洗脳されて死んだので悪人扱いでヤムチャ達の願いでは生き返らなかった)。

 そうだとすれば、悟空を生き返らせるために作った保険の機能でフリーザの蘇生を可能としてしまったという、皮肉な結果を生んでしまったことになります。

 

 

 もう一つ考えられるのが、ドラゴンボールで死後1年経過したら生き返れないのは、ドラゴンボール側の都合ではなく、あの世の都合である可能性です。

 というのも、ドラゴンボールの世界のメカニズムでは、死者は天国に行かない限り、魂を浄化されて新しい命として生まれ変わることになっています。おそらく生まれ変わってしまった後では、ドラゴンボールによる蘇生は不可能だと思われます。ナメック星で殺されたクリリンを生き返らせる際、まずクリリンの魂を地球に移動させてから復活させるという手順を取りましたが、これは生き返らせるためには本人の魂が必要だということの証明でもあります。本人の魂があの世に存在しなければ、生き返らせることはできないはずです。

 この魂が浄化されて新しい生命に生まれ変わるまでのプロセスが、ちょうど1年なのではないでしょうか。

 だとすると、例え1年以上経過していても、その魂が転生せず残っていれば、ドラゴンボールによる蘇生は可能ということになります。実際に悟空は死後も魂は残り、あの世で肉体を与えられていて修行をしていたために、老界王神に命をもらうだけで生き返ることができたわけです。

 フリーザも、転生せずに地獄にずっと閉じ込められていました。1年で転生しなかった理由は分かりませんが、邪悪すぎて魂の浄化に時間がかかった(というか浄化できなかった)可能性が考えられます。理由はともかく、フリーザが死後ずっと地獄にいた(=魂が消滅していなかった)ことは確かなので、ドラゴンボールで復活できたという理屈です。こちらの方が、変なつじつま合わせの設定を作らなくて良いため自然な理由付けかもしれません。

 

 地獄についてはアニメでは詳しく描かれていますが、原作では具体的には何も描かれておらず、アニメの地獄は鳥山明氏のイメージとは異なっている可能性があります。また、「地球の地獄」という言葉が復活のFで出てきたように、地獄は一つの宇宙につき一つしかないというわけではないようです。
 実際、原作でもクリリンが死んだ際、死んだ人間は死んだ場所でしか生き返らないという設定が語られましたが、その際に魂を移動すれば解決できるということであったため、死んだ場所で生き返る理由は「肉体が死んだ場所で再生される」からなのではなく、「魂が死んだ場所にあるから」なのだと考えられます。つまり当時のクリリンは「ナメック星のあの世」にいて、それは神様や占いババが移動できるあの世とは別の空間だったと考えることができます。アニメではナメック星で死んだギニュー特戦隊たちが地球で死んだフリーザたちと一緒にいたりしましたが、これは鳥山設定では誤りということになります。

 そして、ベジータが自爆する際、ピッコロが死んでもあの世にいる悟空に会えないということを話しましたが、それは「地獄に落ちた者が転生する」のではなく、「特別に善い人間だけが天国に行け、そうでない者は転生する」というだけで、さらに「特別に悪い者は魂が浄化されきるまで地獄にいなければならない」という設定が裏にあったと考えることができます。ベジータは当時の時点ではすでにそこまで邪悪ではなかったので、おそらくずっと地獄に居続けることにはならなかったでしょう。

 だとすると、10年経っても魂が浄化されずに抵抗し続けたフリーザって相当ですよねぇ…。そういえば、そこにコルドはいなかったので、どちらにしろコルドは生き返れなかったのかもしれません。別の木に吊るされていたのかもしれませんが。

 

 

 ちなみに、フリーザがバラバラな状態で生き返ったことについては、クリリンが生き返った際も「バラバラになった服と肉体は特別サービスで元通りにした」と言われたように、原作の時点でドラゴンボールによる蘇生は「肉体までは元通りにならない」ことが前提です。ピッコロ大魔王との戦いで死んだ亀仙人たちも、後から生き返らせられるよう死体を冷凍保存されていました。そうしないと、肉体が腐った状態で生き返る可能性があったということのでしょう。

 心臓を貫かれたベジータが生き返ったように、致命傷くらいであれば元通りになるようですが(じゃないと生き返った瞬間死ぬ)、粉々になった肉体を元に戻すほどの力は「生き返らせる」という願いではかなえられないようです。あくまでも「肉体に魂を戻す」ことが「生き返らせる」ことであり、肉体そのものの(生命を維持できるレベル以上の)修復はしないということなのでしょう。

 意外とドラゴンボールの世界は、ちゃんと考えれば無理なく肯定することができますね。やはり根幹部分はしっかり作られているのだと思います。