どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

人造人間編の悟空の心理

 人造人間~セル編の悟空ってなんか変じゃなかった?という話です。


 あれ、悟空なんかちがくね?と思ったきっかけは、覚醒後の悟飯がセルを追い詰めた際に、「とどめだ!すぐにとどめを刺せ!」って言ってることを改めて読んだときです。悟空って基本的に敵にとどめを刺すことをすごくためらうキャラなんですよ。前に考察したように、ピッコロやベジータだけでなく、フリーザにさえとどめを刺すのをためらったのが悟空なんです。その悟空が、自ら率先して「とどめを刺せ」と言うのはなんか違うような気がしたんですね。

 もちろん、このセリフは後のセルの自爆の伏線となっており、この時点で悟空が死ぬことは決まっていたのだと思います。しかしそれにしても心境が変わりすぎていないかと。
 そもそもセル編の悟空はちょっと変なんです。誰よりも強くなることを目指しているはずなのに、セルを超えることはあっさりとあきらめて悟飯にバトンタッチしていますし。そもそも作者(や当時の編集者)がストーリー作りに行き詰っていたと思われることは、人造人間編の紆余曲折を見ればよくわかるので、そのあおりをくらっているような気もするのですが、そこをあえて心情面で考察してみたいと思います。

 キーになる要素は2つあります。1つは、フリーザ親子が地球に来襲したことです。トランクスと出会った悟空は、「オラがやっぱあまかったらしい・・・。あいつはナメック星でやっつけておくべきだった」と言っていました。確かにナメック星で確実に悟空がフリーザを殺しておけば、フリーザ親子が地球に来ることはありませんでした。何故なら、フリーザが地球に来たのは明確に悟空へのリベンジのためだったからであり、それ以外の理由は全くないからです。
 それまで、悟空がとどめを刺さなかったことによって悪いことが起きたことはありませんでした。ピッコロは味方になりましたし、ベジータも最終的には敵対関係ではなくなっています。それ以外のキャラは悟空がとどめを刺さなくても死んでしまったキャラがほとんどでしたが、まぁ圧倒的に悟空の方が強かったので生き残っていたとしても大きな悪さをすることはなかったでしょう。
 しかしフリーザは違いました。見逃しても改心することはなく、復讐の為に地球へやってきたのです。それも悟空より先に地球に到着し、地球人を皆殺しにしようとしていました。そしてトランクスがいなければフリーザを倒す力を持っていたのは悟空だけでしたから、やはり悟空がフリーザを殺す以外に解決の道はなかったと言えます(トランクスのいた未来では、実際にそうなったのです)。
 つまり悟空はフリーザに出会って初めて、「見逃しても分かり合えない」存在を知ったことになります。この経験が、セルにもとどめを刺さないとヤバい、と思い当たる伏線になってるのではないかと思います。

 もう一つのキーは、死んだ悟空がドラゴンボールでの復活を拒否した際、「オラがいねえ方が地球も平和だと思うんだ」と言っていること。普通に聞いてると今更何をという感じですが、人造人間というのは明確に「悟空を殺すために作られた」存在だったんですよ。それまでの敵は結果的に悟空と戦うことになっても、別に悟空と戦うために生まれてきたわけではなかったんですね。それまでより強い相手を追いかけるだけだった悟空が、今度は狙われる立場になったわけです。そして未来では実際に人造人間に滅ぼされているわけで、悟空がいなければ間違いなく起こらなかった未来ではあります。
 そして何故か、悟空は人造人間と戦うことにあまりワクワク感を感じていないようでした。トランクスに未来を告げられた時は戦う気満々でしたが、病に倒れた後の悟空は、とてもセルと戦うことを楽しみにしているようには見えませんでした。もしかしたら「人造人間」であることが、悟空の闘争本能を引き出さなかったのかもしれません。たまたま現れた自分より強いヤツではなく、計算して作られた対自分用の存在のために修業するというのが、あまりモチベーションを生まなかったのではないかと。
 悟空は病に倒れている間に、それなりに色々と考えたのかもしれません。自分はただ強い敵と戦ってそれを超えたいと思っていただけだった、しかし強くなりすぎて逆に狙われるようになってしまった。しかもとんでもない悪人に狙われて自分の身内や世界が巻き込まれようとしている、これからも自分を狙って悪が現れるかもしれない、その悪を退治するのは自分の役目なのか、と。
 つまりは悟空は正義の味方として生きる人生を拒否したのではかと思います。強くなるために戦いたいけど、世界を守るために戦うのは嫌だと。

 実際悟空はブウ編以降も、自ら世界を守る戦いに身を投じることには非常に消極的です。そういうのは悟飯の方が向いていると思っているし、ブウを直接倒すのも若い戦士であるべきだと思っているし、生き返った後も、世界を守る役目はウーブに任せようとしていました。なんというか、「レベル上げてステータスカンストさせる方がラスボス倒してエンディング迎えるより楽しい」みたいなタイプですね(笑)

 心臓病になったというのも大きなポイントかもしれませんね。戦いの中で一度死んだことがある悟空も、戦い以外の理由で死ぬことは想定していなかったのかもしれません。いつ発病するかわからない状況で生き続け、実際に発病し、なんとか一命を取り留めたものの、そのような体験をすれば誰でも人生観が変わりそうなものです。実は死んだ方がいいんじゃないか…そう考えるくらい弱気になっていたのかもしれません。

 まぁ残された家族のことなどを全く考えないところが無責任な悟空らしいとも言えますが、結局のところ本人の心理的な揺らぎを経て、単純に英雄として生き続けることを拒否したというところが裏ではあったんじゃないかと思うのです。


 ただ、その材料となるにはセルというキャラは非常に曖昧な設定でした。セルは完全体になることを目的としていて、その後は完全体の強さを引き出すことを望んでいました。ある意味その時の悟空より悟空らしい性格をしています。簡単に人々を殺したりするために悪そうに描かれていますが、実は全然悪役としての要素を満たしていなかったりします。というかむしろセルは、悟空の良きライバルとして改心する可能性さえあったような気がします(笑)
 悟空が死ぬ伏線として、悟飯が激怒する伏線としての悪役であれば、もう少し裏付けが欲しかったですね。フリーザはそもそも性格が残虐非道であり、またドラゴンボールで不老不死になるという目標とそれを台無しにされた怒りが悪役としての威厳を高めていました。セルの悪役っぽい要素というと、人間を吸収して強くなるという設定と、人々が恐怖におののく顔を見るのが好きということくらいですかね。まぁサイヤ人的な強くなりたいという本能と、フリーザの持つ残虐性の両方を持っていると考えると、最強の悪役のような気はしますが。

 結局のところ悟空は、何かを守るための戦いは好きではなかったんだと思います。ただ純粋に強さだけを追い求めたかったのに、それをさせてもらえない、という悩みがセル編の死に繋がっていったのではないでしょうか。