どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボール改主題歌から考える孫悟空というキャラクター

 ドラゴンボールZのアニメから原作エピソード部分のみを抽出して再編集した作品が、日曜の朝に放映されています。いわば「新訳ドラゴンボール」…ではなく、むしろより原作に近い内容になっています。というか、いかに当初のアニメに無駄なエピソードが多かったかという話でもありますが(笑)

 ジャンプアニメの宿命として、普通にアニメ化すると本誌に追いついてしまうので、必要以上に話が引き伸ばされてしまうという現実があります。人気がある作品ほどそれが酷かったのですが、原作が終わっても更に続編が作られたと言う意味では、ドラゴンボールがその最たるものだったと言えるでしょう。
 そんな欠点を解消した形での再放送と言うべきアニメが、このドラゴンボール改なのです。BGMと声は完全に新録なのですが、あまり違和感は今のところないですね。むしろゲームでの台詞の方が違和感が強い印象です。やはり、ゲーム用の録音とアニメ用の録音では声優のテンションも違うのかなと思います。

 OP、EDも映像含めて完全に新作で、特に顔でもあった影山ヒロノブ氏をあえて起用しないという決断はなかなかの英断だったのかなという気もしますね。イメージとしては、鋼の錬金術師のアニメ版2作品のように、「改めて原作をアニメ化した」という側面の方が強いのかも知れません。メインターゲットは当時見ていた世代ではなく今の小学生でしょうし。

 ガンダム以上にドラゴンボールのオタクであると思っている自分としても、このように今回のドラゴンボール改は概ね肯定的に受け止めているのですが、一つだけ気になる点がありました。それは、EDテーマの歌詞にある「世界を守るため生まれたから」という言葉です。

 この歌詞に強烈な違和感を覚えました。というのも、主人公たる孫悟空というキャラクターは、本当の意味で「世界のため」に戦ったことはないはずなんですよ。劇場版を含めると微妙なところなのですが、原作だけでいえば、悟空は決して何かを守るために戦っていたキャラクターではありません。それは原作終盤にベジータが言っています。「負けないために戦っている」のだと。

 そもそも原作を振り返ってみれば、当初の悟空はドラゴンボールを探す過程で障害になった相手と戦っていただけでしたし、天下一武道会では純粋に優勝するためだけに戦っています。ピッコロ大魔王と戦ったのも、クリリン亀仙人といった仲間が殺された怒りからです。基本的に悟空は、自分の個人的な理由のためでしか戦っていません。
 サイヤ人が来た頃からは多少戦う目的が変化していますが、当初は自分の息子を救うためでしたし、ベジータやナッパと戦った際も、仲間が殺されたことを最大のモチベーションにしています。超サイヤ人になったのもクリリンが殺された怒りからでした。そもそもフリーザと戦うことになったのも、ドラゴンボールでピッコロたちを生き返らせる過程で競合したからです。
 もちろん、そこには「より強い奴と戦える」ということを喜びにしていた側面もあります。理由は無くても相手が強いと言うだけで戦う意味になっていたというか。それが、結果的に世界を守ることになっていただけなのです。

 ところが、悟空はいつしか自分が前面にでて戦うことを避けるようになっていきます。セルの相手は完全に悟飯にさせることしか考えていませんでしたし、魔人ブウが出てきた時も、自分以外の戦士が全員戦えなくなるまで自ら戦おうとはしませんでした。

 それは、悟空にとって世界を守るための戦いは自分の望む戦いではなかったから、なのではないでしょうか。
 セルは悟空を倒すために作られた存在ではありますが、そのために戦おうとはせず、純粋に自らの強さを誇示するために戦おうとしていました。悟空からしてみれば、別に目的が競合しているわけでもなければ、誰か仲間が殺されたわけでもない(結局セルが殺したのは16号とトランクスだけだった)。かといって、ピッコロやベジータのように純粋に強さのみを競う好敵手という感じでもなかったために、モチベーションが上がらなかったのではないかと思います。
 また、悟空は死んだ後に生き返るのを拒否しています。自分がいない方が世界は平和なのではないかということで。これは、人造人間が悟空を殺すために作られたものであった、という事実をかなり重大なことと受け止めていたからなのではないかと思います。自分だけを殺すために作られたものが、苦労してやっとこさ倒したフリーザを上回る戦闘力をもっていて、別の未来では世界を滅ぼしてさえいるという事実は、かなり重いです。
 責任感が強い人間であれば、自分のせいで生み出された存在は自分で倒す、と言うところなんですが、そこで自らの死を選んだのが悟空でした。そもそも悟空に責任感なんてものはあまりないですからね。あったら働いているでしょうし。

 そんな死に方をした悟空ですから、魔人ブウが出てきても戦う気はあまり起きなかったんだと思います。こっちは完全に悟空とは無関係の敵ですし。すでに死人だからという理由もありましたし、生き返っても、最初から合体して戦う気満々でした。自分とベジータ以外が誰もいなくなってしまって初めて、開き直って正面から戦う覚悟ができたようにも見えます。(そして劇場版の「俺がやらねば誰がやる」に繋がるんですが)

 要するに、悟空は世界を守るヒーローとかそういう柄じゃないんですね。そもそも鳥山明という漫画家自身がそういう考え方を好まないようにも思えます(だからどちらかというとヒーロー的であった悟飯を主人公に据えることができなかったのでしょう)。悟空って実は自分のやりたいことだけをやってたいという子供っぽいキャラクターであって、公のために戦う器ではないんです。
 原作を映像化しているだけに過ぎないアニメではなかなか作り手の意識というのは見えてきませんが、歌の歌詞というところで見えてきた部分を見ると、あまり原作をわかってないのかなぁ、なんて思ってしまったりもするのでした。ドラゴンボールのキャラクター心理って結構深いんですよ?