どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボールにおける「善の心」と「悪の心」

ドラゴンボールにおける地球の神は、自身にある悪の心を追い出すことによって神になることを認められ、代わりに悪の心がピッコロ大魔王として実体化してしまった、という設定でした。

一方で、魔人ブウもまた、自分の中にある悪の心を追い出したものの、その悪のブウに自らを乗っ取られてしまいます。

ピッコロと神も最終的にはピッコロベースで同化しており、結果的には「悪が善を乗っ取った」結果に終わっていますが、この辺の関連性を少し考察してみたいと思います。

 

まずピッコロと神のパターンについてですが、元の一人に戻ればフリーザを倒せるかもしれないとネイルに言われ、実際に戻ったら超サイヤ人を超える戦闘力を身に着けたわけですが、このことから分離したことによって能力は大きく落ちていたものと考えられます。同化後の戦闘力の高さは元のピッコロがどれだけ戦闘力を向上させていたかによるのだと思われ、分離前の戦闘力はそこまでではなかったと思いますが、いずれにせよ分離前よりも強大な力を持っていたことは確かでしょう。

 

おそらくこのピッコロと神の分離は、分身の術のようなもので、自らの力を分けて実体のある分身を作り出していたのだと思われます。四身の拳と同じ原理ですね。天津飯ができるくらいだからナメック星人にもできるのでしょう。

四身の拳との違いは、力だけでなく心も分割していたということです。分身体の方に、自分の邪念をなるべく送り込んで作り出したものということになります。そりゃ大魔王になるわなという感じですが(苦笑)、その大魔王側が独自に子を産み、その子が独自の成長を遂げることで、ただの分身ではなくなっていきます。

その後ピッコロはどんどん戦闘力を高めていきますが、元々能力が高いナメック星人だったので、素養は高かったのでしょう。ちゃんと修行すれば悟空に負けない成長率を発揮していました。神様の方は修行はしていなかったように思いますが、結果だけ見れば元の一人に戻った際には「分離しないままピッコロと同じ修行をしていたら」くらいの戦闘力を得ることができたのだと思います。そこにネイル分の同化も上乗せされていますしね。

 

魔人ブウに関しては、善悪に分離してすぐに融合しています。そのため単に主人格が入れ替わっただけのようなものなのですが、パワーアップしているように見えました。おそらく大界王神が押さえ込んでいた邪念が表に出てきたような感じなのでしょう。実際、ブウの中には善のブウが取り込まれており、これを剥がしたことで純粋なブウに戻っています。そのため、ほぼ善のブウ=大界王神であったと言え、大界王神は単にブウに吸収されただけでなく、ほぼ同化することでブウの破壊性を押さえ込んでいたとも言えます(南の界王神は謎…剝がされた後に一回姿が変わっているということは、大界王神とは別に吸収されていたのだと思うのですが、すぐその吸収も剥がれたということは、時間差で剥がれたことに)。

つまりブウの場合、大界王神の力によってある程度善と悪の心に分かれており、善の心が悪の心を押さえ込んでいたものの、サタンとベエが撃たれた衝動により抑えが効かなくなり、やむを得ず悪の心を分離させて追い出した(その際に力の多くも持っていかれてしまった)という流れです。この時の悪のブウは、服装も継承しているので悪の側にも大界王神の特性(戦闘力だけ?)は残されており、純粋ブウとは別種の存在であったと言えます。

この後生まれたブウは、善側にある記憶や人格のみ継承し、大界王神の枷は取り払った状態になり、より容赦のない存在へと変貌していました。その後、善のブウを切り離されて純粋なブウに戻りますが、この際大界王神と南の界王神分の戦闘力は落ちていたものと思われます。善のブウが純粋ブウとある程度勝負ができていたので、戦闘力は善側にも残っていたと考えられるからです。最終的に純粋ブウの方が勝利したのは、単純に大界王神よりブウの方が(戦闘力においては)強かったからでしょう。

 

つまり、ブウは大界王神を吸収したことにより、比較的制御しやすい性格に変貌しており、ある意味では大界王神は内側からブウを抑えていたのですが、ブウの悪の心が分離するという事件が起こったことにより、その制御が外れてしまったと言えます。しかし再吸収された際も大界王神の善性は消えておらず、最終的に切り離されて「ブウの特性・人格・記憶だけを持った大界王神」が残ったということになります。

 

ピッコロのケースと共通しているのは、「身体と同時に心を分割している」ということと、「分離後に別個の進化を遂げることで再融合時の形や能力が変わる」ということですね。そして、分離した悪の側も最終的には善になれる(ピッコロとウーブ)というのがドラゴンボールらしい点と言えます。

自身を2つに分割する能力を持ったキャラクターが、善と悪に分離してそのままそれぞれが独自に成長するというのは比較的珍しい展開ですし、その悪の側も最終的に善に変化できるというのがなかなか救いがある話になっています。悪側が単に切り捨てられて倒されるだけに終わらないというのが、ドラゴンボールの一つの魅力かもしれませんね。