どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

新旧ブロリーの描かれ方を比較する

予告通り、新旧それぞれの劇場版におけるブロリーの扱いの差について比較してみようと思います。

 

 

(1)幼少時の扱い

 パワーが高すぎてベジータ王から追放、というくだりは同じですが、旧劇場版では「赤ん坊の時点で戦闘力1万」という扱いだったのに対し、新劇場版では「潜在能力の測定でベジータより上だったから」という扱いに変わりました。さすがに赤ちゃんの戦闘力がバーダックと互角はリアリティがないという判断でしょうか。

 

ブロリー:生まれたときから戦闘力が高い

ブロリー:生まれたときの潜在能力がベジータ以上

 

(2)カカロットとの関係

 旧ブロリーの重要な設定の一つが「保育器の隣だったカカロットに泣かされた」というエピソードですが、新劇場版ではバッサリカットされました。生まれたばかりの因縁をずっと覚えてるというのはちょっと非現実的で、しかもただ泣かされただけというのが、個人的にも理解に苦しむ設定だったので、無くなってよかったと思います。

 旧劇場版では、ブロリーカカロットに対して恨みを持っているという設定にしたくて、しかしカカロットとの接点があるとすれば赤ん坊の時しかあり得ないために、このような無茶な設定になったのだと思います。

 

ブロリーカカロットを赤ちゃんの頃から恨んでいる

ブロリーカカロットとの接点は皆無 

 

(3)追放後の扱い

 旧ブロリーは惑星ベジータの爆発からブロリーの力で生き残り、その後の過程は不明ですが新惑星ベジータを作ってベジータへの復讐の機会を狙うという描写になっていました。

 これに対し新ブロリーは辺境の惑星に送り込まれ、助けに行ったパラガスもろともその惑星に取り残され、ずっとそこで生き続けるという扱いに変わりました。

 まず宇宙空間で生き残ったところで、身体一つでどこへ行くんだという謎が旧劇場版にありますし、そこまですさまじい力を発揮したなら、フリーザ軍のスカウターに拾われていたんじゃないかという疑問もあることから、新劇場版の方がよりリアルに描いたということになります。

 

ブロリー:追放後は宇宙を放浪

ブロリー:追放後は一つの星にずっと滞在

 

(4)幼少時の戦闘力

 旧ブロリーは少年時代にはすでに超サイヤ人に覚醒していましたが、新ブロリー超サイヤ人には覚醒していませんでした。あくまでも大猿化とその応用によるパワーアップのみ可能でした。

 旧ブロリーは、ほぼ生まれついての超サイヤ人で、「1000年に一度現れる伝説の戦士」そのものと思えるように描かれていましたが、鳥山設定では超サイヤ人になる条件はどのサイヤ人でも平等ということなのでしょう。新ブロリーでは、むしろその強さの源泉は「素の状態」にあると考えられているのではないかと思います。

 

ブロリー:少年時代から超サイヤ人に覚醒

ブロリー:尻尾を失っても大猿の力を発揮可能に

 

(5)パラガスとの関係

 旧劇場版のパラガスは、超サイヤ人化したブロリーの制御ができないことから、宇宙人の科学者に作らせたコントロール装置で戦闘力をコントロールすることに成功します。これにより南の銀河を壊滅させたりしていました。

 新劇場版のパラガスは、大猿化のように理性を失うようになったため、首に電流が流れる首輪をつけさせて、動物を調教するようにコントロールしていました。これは、ずっと同じ惑星にいたのでそれ以上の技術は使えなかったということもありますし、ブロリーの力をコントロールする目的が「自分の身を守る」ためでしかなかったという違いもあるかと思います。

 一方で、旧ブロリーはパラガスを躊躇なく殺しましたが、新ブロリーはパラガスを殺された怒りで超サイヤ人に覚醒しています。新ブロリーにとっては唯一の他人であり肉親だったパラガスは、特別な存在であったのでしょう。一方旧ブロリーには、親への情はあまり感じられないようでした。

 

ブロリー:パラガスの意のままに操られるが、コントロールが解け殺害

ブロリー:パラガスに強制的に従わされるが、殺された怒りで覚醒

 

(6)悟空との比較

 新劇場版のブロリーは、幼少時よりずっと父親と二人きりで1つの星に住んでいたことから、非常に世間知らずで言葉にも疎いという意味で、幼少時の悟空によく似た描写になっていました。特にチライとブロリーの関係は、ブルマと悟空のそれによく似ているように思います。

 旧劇場版のブロリーは、制御用のリングを頭に装着していたことで、「西遊記」の孫悟空のオマージュとして描かれていましたが、新劇場版は「ドラゴンボール」におけるもう1人の孫悟空として描かれているように思います。

 

ブロリー:「西遊記」の孫悟空のオマージュ

ブロリー:「ドラゴンボール」の孫悟空が違う星にたどり着いた結果

 

(7)性格

 旧劇場版のブロリーは、平常時は大人しく無口で、カカロットが絡んだときだけ凶暴化するという性格でした。一度コントロールから解き放たれると、ただ破壊の限りを尽くすだけの存在と化し、わざと星を破壊したり俺は悪魔だと言い放ったり、とにかく邪悪で凶暴という性格でした。

 新劇場版のブロリーは、仲間が傷つけられると怒るという意味で、他人のために怒れる優しさを持っていました。また、本来戦いはあまり好きではなく、凶暴化するのも大猿化と同じ理由という扱いになっていました。

 

ブロリー:本質的に凶暴な性格

ブロリー:本来は心優しく、戦いが好きではない性格

 

(8)強さの源泉

 新旧どちらのブロリーも、理屈を超えた戦闘力を発揮していましたが、旧劇場版のブロリーが「伝説の超サイヤ人」という普通の超サイヤ人とは異質な存在であり、それ故か戦闘を続けても気が減少していくどころか高まっていく性質があるなど、基本的に「特殊な超サイヤ人」という扱いでした。

 新ブロリーは、その強さの理由はあくまでも「大猿の力を人間体のまま発揮できる」という点にあり、そこからさらに超サイヤ人になることで、超サイヤ人ゴッドを上回るパワーを発揮することができていました。

 

ブロリー:「伝説の超サイヤ人」という特殊な存在

ブロリー:「大猿」の力を取り込んだ超サイヤ人

 

(9)総合的な違い

  これらを総合すると見えてくるのが、旧ブロリーの「非人間性」と新ブロリーの「人間性」の差異です。性格的にも、強さの理屈的にも、元々人間的な部分がほとんど残っていないのが旧ブロリーであり、戦闘力的には同等かそれ以上のインパクトがありながら、あくまでも人間性を保っているのが新ブロリーと言えます。

 これはある意味ではアニメのドラゴンボールと漫画原作のドラゴンボールの違いとも言えるかもしれません。アニメのドラゴンボール、特に劇場版では、基本的に登場する敵は「悟空に倒される悪いヤツ」であり、殺されても仕方ない敵をやっつける勧善懲悪なストーリーがメインでしたが、原作のドラゴンボールでは悟空は常に殺し合いを望まず、再戦が可能ならできるだけ相手を殺さないで済ませようとするキャラでした。原作の世界観の延長にある鳥山原作の劇場版では、旧ブロリーのような存在は許されないということなのだと思います。

 ただ、旧ブロリーの存在が完全に否定されたわけではありません。超サイヤ人ゴッドが登場しても超サイヤ人4がゲームに出続けているように、原作と矛盾する存在も許されるのがドラゴンボールワールドです。「ストリートファイター」シリーズの殺意の波動に目覚めたリュウのように、正史には存在し得ない絶対悪の存在として、旧ブロリーは残り続けるのではないでしょうか。

 

ブロリー:「勧善懲悪」の物語だから許される、絶対悪の超サイヤ人

ブロリー:原作の世界観だから存在できる、別進化を遂げた超サイヤ人