どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボール超 宇宙サバイバル編 反省会

 ドラゴンボール超の宇宙サバイバル編が完結しました。

このシリーズは、開催前の戦いや前日談の時点で敵味方の強さが曖昧で、その時の演出でいくらでも強くなったり弱くなったりするので、そこに強い抵抗感を持っていたのですが、最後の纏め方はしっかりしていて、個人的には未来トランクス編よりずっと納得がいくシリーズでした。

 

というのも、ブルーより強いジレンに身勝手の極意・兆でも勝てず、極めることで圧倒するも、悟空の身体がそれに耐えられず止めを刺す前に逆転というところで、生き残っていたフリーザと悟空が2人がかりでジレンを落とし、17号が残っていたので第7宇宙の勝利、という流れはとても分かりやすかったからです。

それに最後の最後で悟空とフリーザが共闘するという演出も、作画も含めて見事でした。フリーザが最後に使った技がかつて悟空のかめはめ波を破った突撃というのも良かったと思います。

ラスト2、3話の構成はおそらく最初から練られていたのかもしれませんが、良く出来ていたと思いますね。それに至る話では、色々と困ったことがありましたが(苦笑)。

 

おそらく、最後にジレンだけが残った時点でほぼ負けは確定していたんだろうなと思います。一番強いジレンが、全員落とせば勝ちだという目論見だったところが、悟空とほぼ相討ちのような状態になったところで、より多くの仲間が残っていた第7宇宙の方が有利だったということです。

そういう意味では、もっとジレンのキャラを当初から出していればなぁと思いますね。一番強いが誰も信頼していないジレンは最後まで動かず、仲間が全員やられてから全力を出し、残っている満身創痍の敵を蹴散らして終わらせる、という算段が見えていればより綺麗な話になっていたと思います。

 

 

このシリーズの最大の問題点が、冒頭に述べたように「演出でいくらでもキャラの強さが変わること」でした。戦闘力を基準にして絶対的なキャラの強弱をつけるのが特徴であったドラゴンボールにあるまじき演出でしたし、そうでなくともボロボロになったキャラが次の話では再び全力で戦っていたりと、脚本家間の連携が取れていないような演出がいくつもあったのが気になりました。最たるものが、全ての力を使い切ったと明言されたべジータが次の話で普通に変身していたことでしょう(笑)。最後は本当に変身もできずにボロボロになって敗れたべジータですが、そこに至るまでの順番がめちゃくちゃでしたね。

ナメック星での悟飯・クリリンべジータの立ち回りのように、戦闘力で明確に劣っていても機転や工夫で生き延びるという演出は可能だったと思うんですが、それが全く見られなかったのは残念でした。

未来トランクス編でのゴクウブラックなんかもそうだったんですが、ブルーを瞬殺出来るように描きながら後半は劣勢になったりと、強敵を強く描きすぎる傾向もあったと思いますね。ジレンは当初触れることすら適わないような強さだったのに、いつの間にか悟空とべジータの2人がかりならいくらでも時間稼ぎできるような関係になっていて、強さの基準がよくわからなくなりました。

 

その延長として、強さの根拠が曖昧だったというのもありますね。悟空に関しては(原作者が設定しただけあって)「神の気」や「身勝手の極意」という明確な根拠があるのに対し、そのどちらもないジレンが何故強いのかとか、べジータが見せたブルーを超えた力は一体なんだったのか(破壊の力を無効化していたのは何故?)とか、そういう説明が一切ないというのが非常に「らしくない」と思いました。トランクスの擬似ブルー形態なんかもそうでしたね。

正直ゆでたまご理論レベルでもいいので、何らかの理屈を設定すべきだと思うんですよね。かつての劇場版だって悟空のオリジナルの決め技には常に何らかの理屈が設定されていましたし(龍拳は微妙ですが)、ある意味ジャンプ漫画の基本だと思うんですが。

 

また17号が悟空・フリーザに次ぐメインキャラ扱いだったというのも首をかしげるものでした。17号の強さにもやはり理屈が説明されていませんし、一応べジータフリーザには明確に劣るという演出はされていたものの、強さはともかくそこまで大きく扱われるようなキャラだったかねという疑問が生じました。原作ではどちらかというとべジータに近い(世界最強を自称したり、挑発に負けてセルにやられたり)タイプのキャラだったんですが、悟空に似ているという言われ方をしていましたし、なんか女性ファンを意識していたんでしょうか。

 

ただ返す返すも、単なるパワーアップ合戦で終わらせず満身創痍の状態で悟空とフリーザに協力させて決めるという演出は見事でした。瞬間的に悟空を超サイヤ人に変身させたのも見事。未来トランクス編は「過程は良かったが結末がクソ」でしたが、その逆だったかなと思います。

 

さて、この続きは劇場版となり、どうも悪そうな新しいサイヤ人が敵になるようです。フリーザ軍が復活したことで三つ巴の展開も予想されますし、結局コントロールできずに終わった身勝手の極意の完成は鳥山氏自身で描くことになりそうですが、過去2作の映画では原作で出来なかった落とし前をつける内容にしていただけに、次回もファンとして期待したいと思います。

個人的には、「未来トランクス編」はDBZで言う「魔凶星編」、「宇宙サバイバル編」は「あの世一武道会編」のようなもので、どちらも原作の穴埋めオリジナルエピソードでしかないと思っているので(シャンパ編は悟空とピッコロが免許取りに行く話程度のレベル)、次回の劇場版だけが真の「ドラゴンボール超」だと思って待ちたいですね。