どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

戦闘力のコントロールとはどういうことか

 スカウターで戦闘力を測っていた頃のドラゴンボールでは、「戦闘力=気のコントロールができる」ということが主人公側の一つのメリットとなっていました。
 しかし、コントロールができない敵側でも、本気で戦う時に力を込めたりしているなど、必ずしもコントロールしていないようには見えないように描写されていたように思います(初戦闘時のナッパやベジータなど)。
 そもそも漫画なんだから、という問題であるような気もしますが、敵側と味方側で戦闘力のコントロールについてどう違うのか、少し考察してみたいと思います。

 まず、戦闘力をコントロールする、ということがどういうことかを考えてみます。イメージとしては界王拳などを使用したときのように、一時的に気を高めて攻撃力などを強化するようなことだと思えますが、原作の中で初めて描写された「戦闘力のコントロール」とは、悟空がかめはめ波ラディッツに使用したときでした。その後ピッコロが魔貫光殺砲を使用するときも、戦闘力が格段に上昇していました。
 このことから察するに、戦闘力とは「気」の密度・量と同義であるように思えます。かめはめ波は全身の気を集中させて一気に解放する技ですし、魔貫光殺砲は全てのエネルギーを指先に集中して貫通力の高いエネルギー波を撃ち出す技です。
 つまり、戦闘力をコントロールするということは、自らの発する気の量を調節することであると考える事が出来ます。だからこそ、スカウターに察知されないほど気を消す事もできるのでしょう。

 逆に言えば、戦闘力をコントロールできない種族というのは、常時同じ量の気を発し続けているということになります。しかし、先に述べたように一部のキャラクターは、本気の状態とそうでない状態が区別されているなど、コントロールが行われているように見えます。
 ただ、気を発するにしても勢いというものがあるのかなと思います。電気にも電力と電圧があるように、気にも発する勢いによってエネルギーの放出量が変化するのではないかということです。戦闘力のコントロールをせずに本気を出すということは、すなわち体発しているエネルギーをより瞬間的に外に放出するということなのではないでしょうか。

 作中では、大技を使った後は戦闘力が低下するという描写があります。これも戦闘力=気の量であることによって起きるもので、つまり自分の持っているエネルギーを多量に放出した分、自分に残る気の量は減少するということになるのだと思います。
 そう考えると、常時気を発していることになるコントロールできない種族はどんどんエネルギーが減っていってしまうことになりますが、気は生体エネルギーですから常時体内で生産されているのだと思われます。つまりちょっとの気の放出くらいであれば、すぐチャージされるということです。太陽炉みたいなものですね(笑)
 逆にチャージが追いつかないくらいエネルギーを放出したり、ダメージを受けてチャージするだけの身体機能がなくなってしまった場合は、どんどん戦闘力が低下していってしまうのでしょう。

 戦闘力の高い低いという話が議論されることがありますが、これはそのキャラクターが持っている気の総量を比較しているだけなので、MSで言えばジェネレーター出力を比較しているだけのようなものになってしまいます。
 もちろん気と気をぶつけ合うならそれは総量の勝負になるので、純粋に戦闘力の差になりますが、実際にはスピードや防御力といった要素も加味されるわけで、いわば持っている気の量を自分のどのパラメータに振り分けるか、というようなことを戦闘中に行っていることになるのかなと思います。
 超サイヤ人が出たあたりからは、戦っているキャラはほとんど皆地球を一撃で破壊するほどのエネルギーを持っていることになるのですが、その割に地球は全く壊れていません。これは、エネルギー=戦闘力の総量で勝負しているのではなく、瞬間的なスピードや攻撃力で勝負しているからなのではないかと思います。自分の持っている気をどれだけ相手より瞬間的に多く使うかで争っているから、戦闘力の数値計測をする意味がなくなってしまったのでしょう。

 しかし地球を壊すほどのエネルギーを内包して普通に地球で生活している生物というのは冷静に考えると恐ろしいですね。それでいて宇宙空間では活動できないというのもなんだか不思議です。どういうエネルギー代謝になっているんでしょうね…。