どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

孫悟空の驕り

 「復活のF」で、悟空は自分の力に自信がありすぎるあまり、油断しすぎる傾向があるとウイスに指摘されていました。しかし、過去の作中の悟空の振る舞いからが、そこまで悟空が油断をするという描写はないような気がします。

 実際の悟空の振る舞いを思い返してみると、どうでしょうか。

 

 まず少年時代は、あまりそういう傾向は見られません。最初の天下一武道会ジャッキー・チュンに負けたこともあり、世界にはもっと強いヤツがいると常に上を目指して修行していました。

 いわゆる「舐めプ」っぽい行動がみられるようになったのは、成長し身長が伸びてからでしょうか。第23回天下一武道会での天津飯戦では、ズボンの帯を奪うなど相手をおちょくる戦い方をしていました。

 ナッパは界王拳で瞬殺できるのにすぐしなかったのは、消費を抑えたいのと殺された仲間の恨みを一発ずつお見舞いしたかったからだと思うので、舐めプとはちょっと違いますね。

 ギニュー特戦隊戦では、「おめえはオラには勝てねえ、戦わなくてもわかる」と無駄な戦いを避けるようになりました。このあたりで一定のレベルより下の相手は試合相手にもならないとみなすようになってきます。

 

 間を一度飛ばして、魔人ブウ編では、超サイヤ人3になる前に、「オラもベジータも甘く見すぎていたよ」と、魔人ブウがそんなに強いと思っていなかったという言葉を発しています。この時点での悟空は、もう自分に匹敵する強さの敵はこの世にはいない、というところまで極めた自信があったようです。実際、ダーブラ含めたバビディ一味に対してはかなり余裕の態度を見せていました。

 おそらく、悟空は超サイヤ人2になり、その上の3まで達したことで、これ以上の世界はないと思い至っていたのだと思います。その上の世界をビルスに教えられ、また上昇意欲が生まれるに至るのですが、それでも油断癖を指摘されるということは、それだけ「強くなった」という自覚があるからなのでしょう。復活したフリーザに対しても落ち着いた態度でいましたし、戦闘力では負けている自覚があっても、すぐにピークが過ぎると看過していましたし、簡単には負けない自信があるようでした。

 

 あえて飛ばしたセル編ですが、この頃は悟空が心臓病になってしまったこともあり、あまり悟空が強い相手にどう挑むかという姿勢を見ることができません。そのため判断が難しいのですが、トランクスに未来を教えられ猶予が3年あったにも関わらず、悟空はたいしてパワーアップしていなかったこと、その後精神と時の部屋で1年修行しただけで大幅にパワーアップしたことを考えると、そこまで真剣に力を伸ばすことを考えていなかったように思えます。もちろん、悟空と同等に戦える修行相手がいなかったからでもありますが、超サイヤ人になったことでかなり強くなった自覚があり、人造人間がそれ以上に強いとはあまり信じられなかった部分があるのではないかと思います。実際、ベジータ超サイヤ人になったことでかなりの自信を見せており、18号に敗れた際はかなり困惑していました。

 悟空は強い相手を知る度に、それに勝つために修行に勤しむというパワーアップの仕方をしてきましたが、セルという相手がいても悟飯より先に超サイヤ人2になろうとはしなかったように、超サイヤ人への覚醒が悟空に「これ以上強くなる方法はないのではないか」と思わせてしまった側面があるのかなと思います。鳥山明氏が、超サイヤ人より強くするアイデアが思いつなかったと言っていましたから、作中の悟空もそう思っていたのでしょう。悟飯にセルの相手を任せたのは、悟飯が覚醒しないと超サイヤ人の上が見えなかったことの証左でもあります。

 

 そんな悟空が再び強さを目指すようになったのには、先述の通りビルスの登場が大きかったのですが、もう一つにベジータと一緒に修行するようになったというのが大きいのかなと思います。フリーザ編までは、亀仙人・カリン様・神様・界王様と何らかの師匠がいたことで強くなってきましたが、自分で修行するようになるとあまり身が入らなかったようにも思えます。同等の強さを持つ人物がいませんでしたし、精神と時の部屋では悟飯を超サイヤ人にして対等に修行をしていましたが、やはり息子相手では真剣になりにくかったのでしょう。

 そんな中で、それまで一緒に修行するなどとは(ベジータの方が)思わなかったところ、ベジータが悟空を認め和解したことで、一緒に修行をできるようになり、共に伸びるという楽しさを思い出したのかもしれません。ちょうど亀仙人の下でクリリンと一緒に修行していたのと、ウイスの下でベジータと一緒に修行しているのは同じ構図ですしね。

 その意味で、悟空にとっては「ベジータと一緒に競える環境」というのが非常に理想的で、その状況になるまでの間、孤高の最強戦士だった期間に悟空の驕りが形成されていったのかなと思います。

 

 しかし、亀仙人ジャッキー・チュンとして悟空の前に立ちはだかっていなかったら、もっと早く悟空は自分の強さに驕れるようになっていたのかもしれません。そう思うと、やはり亀仙人は師匠として素晴らしい人間だったと思いますね。