どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

「神と神」以降の世界観が示したセル編・ブウ編の「デフレ」

 「神と神」以降登場した「神の領域」により、ブウ編までの強さはカスみたいなものだったというレベルのインフレが発生しましたが、「力の大会編」では神の領域の強さが曖昧となり、戦闘力の高さの基準が良く分からなくなってしまった部分があります。

 ドラゴンボールはジャンプ漫画の例に漏れず、パワーインフレの歴史を重ねてきました。特に超サイヤ人が登場した後は、敵と味方が交互に少しずつ強くなっていくインフレゲームに突入していたイメージがあります。その中でどんどん強くなっていったキャラクターたちが、手も足も出ないビルスゴールデンフリーザという新たな敵と、ある程度戦えてしまう17号や他の宇宙の戦士たちは一体何なんだという感想を、ずっとドラゴンボールを見てきた人ほど思ってしまうと思います。

 

 ただ、よくよく考えると、そもそも人造人間・セル編からブウ編までの間、実はそんなにパワーインフレは起きていなかったんじゃないか、と思い始めました。実はこれらのシリーズの間、そんなに戦闘力の上昇は起きていなくて、一つコツをつかめば壁を越えられる程度の領域でしかなかったんじゃないか、ということです。

 

 というのも、例えば人造人間なんかは、実は超サイヤ人とそこまで実力は離れていなかったんじゃないかと思います。以前の考察でも述べましたが、人造人間の強みは吸収や永久エネルギー炉によってそれまでの戦い方をさせない点にありました。吸収タイプの人造人間には気功波の類が通用せず、物理攻撃でしかダメージを与えられませんし、永久タイプの人造人間はスタミナが無限であるため、瞬間的に大きな力で攻撃しないとジリ貧になってしまいます。ベジータ対18号の戦いなどはその典型で、最初はいい戦いが出来ていたものの、決定打を与えられないままエネルギーを消耗した結果、普通にダメージを受けて倒されてしまっています。それは裏を返せば、消耗さえしなければ勝ち目はあったということになります。

 通常、普通の気を持つ人間同士が互角の戦いをすれば、同じペースで消耗していき、戦いの終盤にはどちらもかなり大きく気を落としていることになります。例えば悟空とベジータが戦った際、悟空は界王拳で大きく消耗し、ベジータは大猿化のためのパワーボール生成にかなりエネルギーを使っていました。ダメージの大きさもあり、終盤は怒り状態になっているとはいえナッパにさえダメージを与えられなかった悟飯と互角レベルの戦闘力しか残っていませんでした。フリーザと悟空の戦いも、悟空は痛めつけられた上20倍界王拳を使った後の超サイヤ人化だった悟空と、元気玉で大ダメージを受けたフリーザの戦いであったため、なかなか決着がつきませんでした。悟空の体力が満タンであったなら、トランクスがやったようにフリーザは瞬殺できたはずです。

 それに対し人造人間は、同じように勝負しても全く戦闘力が落ちないため、段々消耗していく超サイヤ人では分が悪かったのだろうと思います(万全の状態の超サイヤ人と互角の勝負が出来るだけ十分凄いのですが)。それに対し、ベジータ精神と時の部屋で出した結論は、瞬間的により大きな気を出すために肉体を強靭化することでした。気の絶対量が増えたというよりは、「身体が耐えられないほどの全力を出しても耐えられるように肉体を一時的に強化する」という変身であり、それはかつてのフリーザのように、超サイヤ人自体が本当はもっと大きな戦闘力を持っていたということなのだろうと思います。そしてこの形態になれば、人造人間も、それを吸収したセルも相手にならないパワーを発揮することが出来ました。

 それを上回る完全体セルも、更なるパワー重視の変身をしたトランクスの戦闘力が自分より高いことを明言していました。つまり、単純な戦闘力の差であれば、超サイヤ人が全力を出した状態ではセルより上だったということになります。だからファイナルフラッシュや瞬間移動かめはめ波が直撃すれば半身が吹き飛ぶくらいにはダメージを受けてしまうわけです。

 

 では何故完全体のセルは超サイヤ人たちを圧倒することができたのか。セルは単純に超サイヤ人よりも優れた肉体を持っていたので、より超サイヤ人クラスの戦闘力をコントロールすることができたからなのではないかと思います。セルは超サイヤ人に近い特性を持っており、アニメではオーラが金色に同じ効果音でしたし、トランクスと同じパワー重視の変身も可能でした。自爆からの再生後は超サイヤ人2と同じスパークも発生していましたし、本質的には超サイヤ人と同質の力を持っていたと思われます。それを筋肉を増幅させたベジータやトランクスよりも、体を慣らした悟空や悟飯よりもコントロールできる肉体(と、17・18号のエネルギー炉?)を持っていたことから、彼らに負けることはなかったのだと思います。ある意味では旧劇場版のブロリーも同じようなものだと言えそうです。

 つまり超サイヤ人の領域に達した戦いでは、単純な戦闘力は超サイヤ人が独力で発揮できる限界パワーが最大であって、それをどこまで瞬間的にコントロールできるかどうかの勝負であったと言うことができます。もし超サイヤ人の戦闘力を1億5000万とするのであれば、おそらくそこから最大の戦闘力の数値はほとんど変わっていなかったのではないかと思います。1億5000万の戦闘力をどうやってコントロールして相手にぶつけるかの勝負に変わっていたと言うことです。

 この壁を一つ越えたのが、超サイヤ人2という形態でしょう。悟飯は肉体的に大きく変化したわけではないにも関わらず、これまでとは圧倒的に異なるレベルの力を発揮していました。再生前のセルがフルパワーで放ったかめはめ波も易々打ち返していることから、単純に気の絶対量、戦闘力で超サイヤ人レベルを上回っていたことがわかります。つまり根本的に1段階上のレベルに達したと言えます。

 この超サイヤ人2は、混血で凄まじい力を秘めた悟飯だからこそなれた形態だと当初は思われていましたが、その後悟空もベジータも修行で変身可能となったことから、鍛えればこの領域に達することは可能であったと考えられます。理屈はわかりませんが、セルが自爆からの再生で(サイヤ人の特性のおかげで)この領域に達したということを考えると、修練を積めば変身可能なもので、悟飯だけは元々秘めた力が大きいが故に大した修行もなくそれだけの変身ができたというところでしょうか。

 

 ブウ編に関しては、この超サイヤ人2の領域の戦いだったと言えます。ダーブラもそうでしたし、最初に登場した魔人ブウも、ベジータは一方的にボコボコにし気で体を貫くことも可能でした。ただ、ブウは物理攻撃で一切ダメージを受けない仕様である上、破片が少しでも残っていれば無限に再生可能で体力も減らないというチートすぎる肉体を持っていたので、そもそも「倒すことができない」存在でした。防御に気を使う必要がないため攻撃に気を全振りできることから、威力の高い技を一瞬で繰り出すことができ(セルの全力かめはめ波クラスを乱発できるというイメージ)、相手をお菓子にしたり回復させたりといった魔術的な能力も持っていることが、強さの理由です。そしてその肉体は、超サイヤ人2のベジータが命を燃やし尽くしても消しきれないほどのものであるため、耐久力は超サイヤ人2の全力以上であったと思われます(ベジータは地球を消さないように自爆したと思うので、地球ごと自爆してたらどうなっていたかはわかりませんが)。

 ブウを完全に消すために必要だったのが、「超サイヤ人3クラスの気」でした。悟空はそれが可能であったということから、超サイヤ人3の全力であればブウを消滅することが可能だったと言えます。もちろん、その超サイヤ人3のゴテンクスやそれ以上の力を得た悟飯を吸収したブウには、ベジットでなければ対抗できなかったのは言うまでもありません。

 超サイヤ人3の原理も名言はされていませんが、「エネルギーの消耗が激しい」「時間制限がある」「時間という概念がある現世では原則として変身してはいけないもの」というキーワードから、超サイヤ人2が持っているエネルギーを期間限定で凝縮・増幅させたものということなのかなと思います。それくらいの力を出せば、ブウを消滅させることができたということですが、本質的には超サイヤ人2+界王拳のようなものなんじゃないかと個人的には考えています。

 

 つまり、フリーザを倒したあとのドラゴンボールの物語において、合体・吸収を除けば超サイヤ人超サイヤ人2→超サイヤ人3の3段階しか戦闘力の増幅は起きていなかったんじゃないかと思います。セルは超サイヤ人超サイヤ人2の間、ブウは2と3の間くらいの戦闘力を持っていて、戦闘力以外の特殊能力を含めて悟空たちを苦しめていたイメージです。

 これはあくまで「超サイヤ人」が持っている気をいかに増幅させ、それを肉体でコントロールするかの過程のものであって、「技」の習得に近く、そのキャラ本人の力を鍛えるという意味でのレベルアップはあまり起きていなかったんじゃないかと思います。フリーザ編ではサイヤ人が瀕死と回復を繰り返して「本人自身が」何回も強くなっていきましたが、セル編以降はそのパワーアップは超サイヤ人1→2→3の2回しか起きていないということです。

 それに対し、老界王神の力でパワーアップした悟飯は、超サイヤ人にならずとも超サイヤ人3以上の戦闘力を発揮していました。これこそ、本当の意味での「レベルアップ」であり、超サイヤ人に頼らなくてもなれる素の最高レベルに達した状態であったのかなと思います。そしてその更に上がビルスら神の領域であり、それはフリーザがちょっと修行すれば簡単に達することができる領域でもあったのでしょう。だから他の宇宙でも才能ある者が修練を積めばそのレベルになることは可能なわけです。

 

 超サイヤ人ゴッド以降のパワーアップについては、映画「ブロリー」でもう少し整理されると思うので、それを待って考察してみたいと思います。