どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

トランクスが歴史を変えても変わらなかったもの~DB世界の因果律?

トランクスが未来からやってきたことで、悟空は病死を回避し、人造人間にだれも殺されず、やってきたセルさえも倒すことができました。歴史は大きく変わり、トランクスのいた世界よりも平和な未来を実現することができましたが、魔人ブウ編まで含めて考えると、実はあまり大きく歴史は変わっていないとも言えます。

 

変わっていないものを列挙します。

 

・悟空の死亡→心臓病では死ななかったが、セル戦で死亡

べジータの死亡→人造人間には殺されなかったが、ブウ戦で死亡

クリリンヤムチャの死亡→人造人間には殺されなかったが、ブウに殺される

・悟飯・ピッコロ・天津飯の死亡→人造人間には殺されなかったが、地球消滅で死亡

・世界の多くの人々の死亡→人造人間にはあまり殺されなかったが、ブウによりほぼ全滅

・トランクスの死亡→未来のトランクスはいずれもセルに殺され、現代のトランクスは地球消滅で死亡

 

まぁブウにより悟空・べジータ・デンデ・サタン以外は全て死んでいるので、トランクスの未来と一致して当然ではあるんですが、結局のところ世界は、人造人間による破滅は免れても魔人ブウによる破滅を免れなかったということになります。

メインキャラの中でもまず悟空が死んでいるというのが一致しており、またトランクスはどの世界でも必ず一度死んでいるなど、実はタイミングは多少ずれたとしても、ドラゴンボールの世界のキャラはどんなに歴史を変えても「死ぬ」という運命を変えることができないのではないか…と推測できます。

 

もちろん、単に話の展開で「まだ殺せる=ドラゴンボールで生き返れる」キャラはとりあえず殺しとくような作り方をしているので、当たり前といえば当たり前ではあるんですが、これをあえて「実はドラゴンボールの世界では、死ぬ運命を覆すことが出来ない」と考えると、面白いのではないかと考えました。

 

そして、その「死ぬ運命」を唯一覆せるのが、ドラゴンボールです。これなら死んでも生き返ることができます。トランクスの未来と原作世界の最大の違いは、死んでも生き返る手段があったということです。因果律を唯一変えられるのがドラゴンボールであるとすれば、それは老界王神が「ナメック星人にだけ許された反則技」と言ったのも理解できます。GTに登場した邪悪龍も、ドラゴンボールにより因果律を操作しすぎた罰、と考えればなんとなくそれっぽいですね。

 

ただ、もしそうだとすると、ブウに一度消されている地球は、いずれ滅ぶ運命だったということになってしまいます。トランクスの未来は、「超」により宇宙そのものが消滅してしまいましたし(苦笑)、どうもドラゴンボールの世界の地球は呪われているようです。

もしかしたら、ドラゴンボールを使うことで因果律を操作すると、その反動でより強い破滅が訪れるようになっていたりするのかもしれません。ドラゴンボールでより多くの人間を生き返らせた結果、地球全体が消え、最終的には宇宙さえ消えるように事態が進んでいってしまっている、と考えると、悟空たちが延々と強い敵と戦わなければならないストーリー展開にマッチするのではないでしょうか(笑)まぁ、そう考えると因果律というのはジャンプ漫画に宿命付けられた運命と言い換えてもいいのかもしれませんが。

 

ある意味では、魔人ブウというのは因果律を超越して生き延び続ける者を滅ぼすための存在だったりしたのかもしれません。他の星まで滅ぼしかねないため、界王神は倒そうとしていましたが。最終的には全王こそがその究極的な存在とも言えますね。なんでも消すことができますし。言葉の意味的には破壊神こそブウの役割をする必要があるような気がしますが、ブウの発生(なんかビビディが作ったわけではなくなったそうなので)はビルスの活動停止と連動していたりするのかもしれませんね。

 

このように考えたとき、どんなに歴史を変えても変わらない現実があったとしても、一度変わった歴史の中で新たに生まれたものが因果律の異分子になる可能性がある、という考え方もできると思います。

何が言いたいかというと、悟天の存在です。トランクスの未来では生まれ得なかった悟天が、原作世界では悟空が生きている時間が長かったために産まれることができました。他の未来には存在しない悟天こそが、因果律の定めの呪縛から解き放つ可能性になるのだ…なんて話の展開を思いついてしまいました。まぁ、公式というか鳥山明氏はそんな話は作らないと思いますけどね(笑)。