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どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

セル編以降の真の主人公はべジータだったかもしれない、という話

 ドラゴンボールの物語は、基本的に主人公である悟空を中心に進んでいきますが、アニメにおける「Z」となるサイヤ人編以降は、実は悟空は物語の中心から外れていきます。というのも、悟空は死んだり重傷を負ったり病気になったりして一時的に戦線を離脱し、その間に他の仲間たちが戦い、他の誰もが勝てない強敵にぶち当たったところで悟空がやってくる、という話の作り方に変わるからです。

 悟空が離脱している間、物語の中心になるのは息子の悟飯でした。まだ実力不足の悟飯が、仲間たちのサポートを受けながらなんとかピンチを切り抜けていき、どうしようもなくなったときに悟空がやって来る、というのが黄金パターンだったと言えます。

 しかし、それもフリーザ編までの話で、人造人間が登場してからは、悟飯さえ物語の中心から外れていきます。もちろん最後にセルを倒したのは悟飯なのですが、精神と時の部屋超サイヤ人に目覚めるまでは、悟飯は中心どころかまともに戦いにさえ参加する機会がありませんでした。唯一の戦闘シーンは、20号に捕まったピッコロを救出したときに一発食らわせた瞬間だけだったと言えます。

 人造人間編において、悟空不在の間に中心になっていたのはべジータです。離脱した悟空に代わって超サイヤ人となって戦い、19号や18号と戦った後、修行してパワーアップしてセルとも戦います。フリーザ編でもある意味べジータが活躍していましたが、あくまでも第三陣営としての働きであり、主人公サイドの活躍ではありませんでした。

 

 人造人間編以降におけるべジータは、ある意味物語を面白くするために存在したキャラであったと言えます。本来なら起動前に倒せてもおかしくなかった17号と18号を目覚めさせるタイミングを与え、セルの完全体化も見逃しています。更に自爆後に復活したセルに逆上して突っ込み、悟飯に大きな傷を負わせて不利な状況にしてしまいました。魔人ブウを復活させるきっかけを作ったことも含め、べジータがいなければ、何事もなくあっという間に物語を終わらせることができたはずです(笑)。

 17号と18号の起動とセルの完全体化を見逃したのは、より強い者と戦いたいというサイヤ人の本能によるものでしたが、自爆後のセルへの突撃と魔人ブウ復活については、非常に人間味のある心理を根拠としています。実はパワーインフレでストーリーを進めてきたドラゴンボールにおいて、感情的な理由で物語を複雑化させる事例はそう多くなく、その意味でべジータは作中でも屈指の人間臭いキャラへと進化したと言えます。

 特に、「トランクスが殺されたことによる逆上」という、それまであまり伏線のなかったべジータの感情は、少し深く考察してみる必要があると思います。それまで、べジータは特にトランクスに対して特別な感情は抱いておらず、セル完全体化を阻止しようとしたトランクスには本気で攻撃を仕掛けたりもしていました。この時のべジータの心情は、一体どのようなものだったのでしょうか。

 

 一つ鍵となるのは、べジータサイヤ人の王子であるということです。自分が王子でエリート中のエリートであることに誇りを持っていたキャラであることは、べジータアイデンティティの一つなのですが、それはつまり、自分という個人だけでなく、サイヤ人という一族、あるいはその中でも王族という特別な血統にあるという自覚を持っていることを意味します。

 それは自分自身が強くなればいいと思っている悟空とは決定的に違う点で、つまり自分だけでなくサイヤ人全体や自分自身の一族が最強でありたい、という思いがあるのがべジータなのではないかと思うわけです。

 悟空の死後、戦う気を失ったように見えたべジータは、7年後、トランクスを悟飯よりも強くしたいという気持ち(ブルマ談)で稽古をつけていました。べジータは自分の息子が、下級戦士の息子より弱いということも認めたくなかったのでしょう。また悟空よりも悟飯の方が強かった=純粋なサイヤ人より地球人とのハーフの方が強いという理解から、トランクスは自分より強くなれる可能性があり、同じハーフなら王子の息子であるトランクスの方が悟飯より強くなれるはず、という期待もあったのかなと思います。実際、天下一武道会でトランクスが悟天に勝ったときも、「俺の息子の方が血統が良かった」と喜び悟空に大して自慢していました。べジータは明らかに自分の血筋にも誇りを持っており、個人レベルに留まらず家族というものに視点が行くサイヤ人であると言えます。それ故に「神と神」以降の家族を大切にするべジータに繋がっていくのでしょう。

 

 だとすれば、セルとの戦いでトランクスが死んだときの気持ちも推測できます。それは、単に自分の息子が殺されたという悲しみから来る怒りではありません。その前段階として、悟飯が悟空や自分以上の力を目覚めさせたという現実がありました。べジータ自身が目標としていた悟空の力を、軽く上回る圧倒的な力を覚醒させた悟飯に対し、自分の息子であるトランクスは、あっけなく殺されてしまいました。このことにより、悟空に対して抱いていた劣等感が、悟飯とトランクスの落差により余計に爆発したということなのではないでしょうか。

 更に、その直前には目標としていた悟空が死んでいます。悟空はほぼ、悟飯の力の覚醒と引き換えに無理矢理戦わせ苦しい思いをさせたことへの代償という形で死んだに等しく、ある意味父親としての責任を取ったようにも受け取れます。それに対してむざむざ息子を死なせてしまったべジータは、父親としての悟空への劣等感さえ抱いたのかもしれません。

 つまりべジータは、セルへの怒りではなく自分への怒りによって逆上したとも言えます。自分が一番強ければ、悟飯が戦うことも、悟空が死ぬことも、トランクスが殺されることもなかったのです。そうならなかった情けなさからの逆上であり、それ故に大した力も引き出せず一撃でノックアウトされてしまったとも言えます。その後悟飯に素直に謝ったのは、悟飯は「この状況がもうどうしようもないから」であると受け取っていましたが、どちらかというと、その時点で最強のサイヤ人となった悟飯の足を引っ張ることしかできなかった王子である自分、という現実を認めたことによるものだったのかなと思います。

 とはいえ、トランクスが殺されたことや悟飯が悟空以上の力を発揮したことにより、べジータの息子への感情が変化したことは間違いありません。トランクスが未来に帰る際に見せた小さな挨拶は、それまで自分しか信じてこなかったべジータに生まれた新しい感情だったとも言えます。ある意味では、べジータが王子から王になった瞬間かもしれません。それまでは悟空という同年代の相手だけを見ていましたが、残ったのは悟飯とトランクスという下の世代のサイヤ人なわけで、残った純粋種のサイヤ人は自分だけという自覚もあったのでしょう。

 

 一方で、べジータはそんな自分に対して違和感を覚えていました。家族を持ち穏やかに過ごすことを「悪くない」と感じていた自分に戸惑いを覚えるようになります。その感情を振り切り、純粋に1日だけこの世に戻ってきた悟空との戦いに集中したいという気持ちから、べジータバビディの支配を受け入れることになりました。

 これは、家庭を持ち自分の好きに生きることができなくなった男性が、若い頃に好きだったものに集中したくなる気持ちに近いと言えます。実際、悟空とは互角のバトルを楽しむことができましたが、その結果魔人ブウが復活してしまい、かつてセルを完全体にした時には取らなかった責任を自らの命で取ることになります。ある意味では、悟空がセルに対して見せた責任の取り方を知っていたからこその行動であったのかもしれません。

 その後のべジータは、決して自分のためだけに行動することはなくなりました。悟空との合体を受け入れ、悟空のための時間稼ぎ=かませ犬に自らなることを受け入れ、元気玉を使ってブウを倒すというアイデアを提案しています。今までのべジータでは考えられなかった行動です。そりゃ、神龍も悪人とはみなさないでしょう。これらの心境の変化は全て、べジータが「家族のために生きるサイヤ人の王」としての自分を受け入れた結果でもあると言えます。悟空との戦いを通じて、自分はもうかつての「悟空を超えることだけを目標としていた自分」ではないということも自覚したのでしょう。だからこそ、それまで認めたくなかった「悟空は自分より強い」という現実も、受け入れることができたとも言えます。自分と悟空という2人の関係性から、自分の血筋を継承する家族を確保すること、という関係性に変わったからです。もっとも、悟空を超えることをあきらめたわけではないのですが。

 

 はっきり言って、ドラゴンボールにおいてこんなに心理的な変化が大きいキャラはべジータくらいです。初登場時からフリーザ編、セル編、魔人ブウ編と着実に心境が変化していったのを考えると、「ドラゴンボールZ」は「べジータが完全に改心するまでの物語」であったとさえ言えます。特にべジータの息子トランクスが登場してからは、べジータを中心に話が回っていたと言っても過言ではありません。

 べジータはブウ編以降、パワーインフレの頂点には一度も立っていません。しかし魔人ブウとの最後の戦いは、間違いなくべジータがいなければ勝てていませんでした。最後のきっかけがサタンであったとしても、元気玉を作るという提案も、そのために地球の人々を全員生き返らせるというアイデアも、自分ひとりで戦うことにこだわる悟空には思いつかなかったでしょう。べジータの心理が変化していたから、魔人ブウを倒すことができたのです。悟飯やゴテンクスでも、一人で倒すことしか考えていなかったわけですから、一番純粋なサイヤ人に近いべジータが、一番地球人に近くなったというのが、ドラゴンボールの物語の最大の「救い」だったりしたのかもしれません。