どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボールZ 神と神 感想

 ドラゴンボールの考察もしている身としては、これは見に行かないわけにはいかないでしょう、ということで、見てきました。本当は、もうちょっと早く見に行きたかったんですが。

 ネタバレしまくりですのでご注意ください。

 

 

 一言で言ってしまうと、かゆいところに全部手が届いているものの、最後の盛り上がりだけは物足りなかったかな、という感想です。
 というのも、さすが鳥山明原作というだけあって、キャラクターの魅力が存分に出ているということ、ギャグパートのキレが半端ないということ、悟空というキャラクターの描き方、このあたりについては文句なしでした。戦いもいつもの劇場版の「地球がピンチ!突如現れた邪悪な敵に悟空が立ち向かう!!」みたいなノリではなく、純粋に強いだけの存在に対して悟空が力試しをする、というだけの話だったので、終始和やかな話だったのが良かったですね。この辺は、「悪い奴から世界を守る戦い」みたいな話は本当は苦手な鳥山明らしいつくりだったなと思います。なので、逆に劇場版じゃなくてTVスペシャルとかでもいいんじゃないかという気もしましたが、まぁ商売ですからね。

 事前情報として、どうも超サイヤ人ゴッドというのに悟空がなるらしい、ということだけはわかっていたので、なんだよまた悟空最強な話かよと思っていたんですが、その悟空は最後まで勝てずじまい、また他のキャラクターについてもちゃんと見せ場がある(サイヤ人一家だけですが)というのがいい意味で裏切られました。ベジータはもちろん、悟飯やトランクスのギャグパートでの「らしい」見せ場もよかったです。この辺が、GTとかはダメダメだったんだよなぁ(苦笑)
 ビルスが切れる理由も「プリンを食べれなかったから」というのがまた鳥山明らしくて良いです。しかもブウとの取り合いの結果というのがまた低次元で「らしい」ですね。基本的に鳥山明の世界の神様にはろくなのいませんからね…(笑)

 また、過去のエピソードやGT以降との整合性もちゃんと取っていることも感心しました。ざっと整理すると以下のような感じですね。

破壊神ビルスの存在
 今さらブウ以上に強い奴が宇宙にいたとか言われても…と思っていたのですが、破壊の神なので世界の危機には手を貸さない、だからフリーザやブウが暴れても手を出さなかった(そもそもその間は寝ていた)と納得できる設定だったので、思ったよりすんなり受け入れられました。正直人造人間の設定の方が無理があると思いますし(笑)、ある意味では界王神よりよほど神様らしいかなという気がしましたね。
 じゃあ界王神はなんなんだという気がしますが、たぶんあれは破壊でも創造でもなく単に維持・調和の神なんだと思います。だからフリーザ程度ならともかく、宇宙規模で災厄となり得るブウとは戦う必要があったということですね。

超サイヤ人ゴッドの存在
 超サイヤ人4もいるし、まぁ期間限定の変身なんだろうなぁとは思っていたんですが、やっぱりその通りでした。変身方法は純粋な心のサイヤ人が合計6人必要で、だからブウ編までのメンツでは無理だったという整合性も(半ば無理矢理ですが)取れています。まぁ、未来のトランクスを呼んでくればパン抜きでも可能ですが…(笑)
 また、神は戦闘力を表に出さない、という設定は素晴らしいと思います。だから戦闘力を上げるだけではなれないし、そのあたりが悟空にとってヒントになって、ゴッドの力の源泉をつかむことができたんじゃないかと思いますね。元々平常時から超サイヤ人でいることで更にパワーアップする、という発想をした悟空だからこそ、通常時に全く気を発しないという発想にも合点がいったのかなと。界王神天下一武道会ではほとんど力を察知されていなかったのも、その辺が理由だったんだろうと思います。
 ただ、この「5人のサイヤ人のパワーを1人に与える」というアイデア自体は、GTで割と多用されていたりするんですよね…あの時の超サイヤ人4悟空は、実質的に超サイヤ人ゴッドだったということなんでしょうかね。超サイヤ人4ゴジータの髪の毛が赤いのは、すでに単体でゴッドの領域に達しているということなんだろうとは思いますが。でも膨大な気を発していたあたり、完全なゴッドではないような気もします。
 ところで、悟空が仲間の力を借りてゴッドになったことに対して、「悔しい」と言ったのはまさに鳥山明の真骨頂だろうなと思います。そうなんですよ、以前考察した通り、悟空は強くなりたい、強い奴と戦いたいと考えてるだけで、みんなのためとか地球のためとかはあんまり考えてないんです。だから、その場しのぎで他の人の力を借りて勝ったとしても、次は自分の力だけで戦って勝ちたいと考えるキャラなんです。だから、ゴッドに自力でなれなかったことは悟空にとって「悔しい」はずなんです。そこをちゃんと描いてくれたのは良かったですね。劇場版でのブロリー戦や、GTだとなんか当たり前のように仲間の力を集めて強くなってたりしたんで、ここが悟空というキャラクターの描き方の差だったのだと思います。
 そういう意味では、サイヤパワーを集めるという描写も含めて、超サイヤ人ゴッド自体が、鳥山版超サイヤ人4みたいなものなのかなと思います。原作者なら、更に上の超サイヤ人を出すならこういう設定にするよ、という意味で。

・悟空、ベジータ、悟飯のパワーバランス
 魔人ブウ編までにおいて、劇中で合体・吸収抜きでの戦闘力上の単体最強キャラは悟飯でした。ゴテンクスと戦った悪のブウは悟空とベジータでは勝てないことが作中で明言されており、そのブウを完全に圧倒したキャラは悟飯だけであったからです。しかしGTにおいて、超サイヤ人4が出る前から、最強のキャラは悟空であり、次いでベジータが強く、悟飯はその2人には劣るということが明言されていました。これについては謎だったのですが(単に悟飯がなまっただけかと思えた)、悟空は今作において超サイヤ人ゴッドの力を得て大幅なパワーアップを遂げており、ベジータもブルマを殴られた怒りでそれまでの悟空以上のパワーを発揮していました。これらの描写は、この2人が悟飯よりも強くなったことの強調であるように思え、GTでの描写を積極的に肯定しているように感じました。
 また、悟飯がアルティメット化ではなく超サイヤ人になっているイラストがいくつかありましたが、これは超サイヤ人ゴッドを生み出すためのものであったように描かれており、やはりアルティメット化した方が強いということが暗に示されていたように感じました。GTでは悟飯は普通に超サイヤ人になっており、その説明理由にはあまりなっていないのですが、アルティメットと超サイヤ人のどちらにもなれるという実例が示されたことは個人的には良かったと思っています。

・悟空にとってのベジータ
 魔人ブウとの最後の戦いの中において、ベジータはついに悟空がナンバーワンであることを認めました。今回は、それに対して悟空がベジータに対して尊敬の念を抱いていることが語られ、両者の認め合う姿勢が改めて示されたことになります。このあたりは、まさに作者自身が作ったからこそのセリフだったのかなと思いました。
 元々、フリーザベジータが殺された時から、悟空はベジータの持つサイヤ人としての誇りを、その強さ以上に認めていたように描かれていました。悟空にとって、自分がサイヤ人であったという現実は多少なりともショックであったと思うのですが、ベジータの姿勢を見て、自分がサイヤ人であることを肯定的に思えるようになったのかもしれませんね。
 また、ビルスは最後に悟空とベジータはさらに強くなる可能性があるということを語っていました。これは、後にこの2人だけが超サイヤ人4に目覚めることへの伏線の意味があるのかなぁと感じましたね。まぁ、鳥山氏の中でも悟飯は戦いが好きじゃないから能動的には強くならない、悟空とベジータは飽くなき向上心があるからどこまでも強くなれる、という考え方があると思うので、単にそれが示されただけなのかもしれませんが。


 以上のように、ちゃんと色々考えられて作られているのが分かったので、決して内容の濃いストーリーだったとは思いませんが、それでも飽きさせない、旧来のファンでも満足できる描写や設定がちゃんと盛り込まれていたと思いますね。
 GTにも繋がるようにある程度意識してるんだなぁ、と感心した部分もあったんですが、そもそもピラフ一味が若返っちゃってた時点でGTに繋がらないということに気付きました(笑)まぁ、またドラゴンボールを使って年齢を元に戻したという可能性もありますが、やっぱりGTとは別の続編に分岐すると考えた方がめんどくさくなくていいかもしれません(笑)

 さて、物足りなかった点というのは、シンプルです。戦闘シーンについては、強さの底が見えないビルスに対し、超サイヤ人ゴッドになった悟空の力がどこまで通用するのか、という描写が、かつてのフリーザ最終形態と悟空のどっちが強いのか、という展開に非常に似ていて、それを思い出してワクワクしました。結局フリーザ戦と同様、ビルスの方が一枚上手だったということになるのですが、フリーザ戦の場合は、そこから超サイヤ人化というどんでん返しがあったわけで、それがビルス戦にはなかったので、物足りなかったなと思ったんですよね。ゴッドの力を取り込んだという感じになって、お、これでゴッドを超える更に新しい形態が出てくるのか!?と思ったんですが、そんなことはありませんでした。
 結局のところ、悟空は途中で勝てないことが分かって、戦いに勝つというよりも稽古をつけてもらう(かつての亀仙人のように)ことを主目的にシフトしたということが作中でも描かれていたので、それはそれで納得しているんですが、劇場版というのはやっぱりオリジナルのとどめ技とかで最後をちゃんと盛り上げてくれる印象があるので(神精樹から元気をもらったスーパー元気玉、ピッコロの力を借りた100倍界王拳元気玉吸収からの超サイヤ人化、悟空とベジータフュージョン、龍拳、など)、やっぱりエンタメ的にはそういうのがあってもよかったなぁ、と思った次第です。

 ただ、最後ビルスの技を止めきれずに一回力尽きるところは、バーダックフリーザに殺されるところのオマージュだという意見をネットで見たときは、そういうことかと感心してしまいました。ここは、アニメスタッフ側の演出だったんですかねぇ。


 で、超サイヤ人ゴッドという設定が出てから、超サイヤ人4とはどっちが強いんだという疑問がいろんなところで散見されます。映画が終わった後にもそういう話をしている人がいましたし、やっぱり誰もが気になるのかなと思います(笑)
 個人的な私見としては、この話の後にGTが続くのであれば、超サイヤ人4の方が上だと思います。というのも、今回悟空はゴッドの力を取り込んで超サイヤ人1の状態でも大幅なパワーアップを遂げていますので、その状態からさらに4になったということは、この話の時点でのゴッドよりは強くないとおかしい、と思うのです。ビルスも更に強くなる、という言い方をしていますしね。
 ただ、超サイヤ人4の悟空がビルスより強いかというと、それは微妙なところかなと思います。超サイヤ人4のゴジータであれば、もしかしたら勝てるかなというくらいですね。ゴジータは超一星龍を完全に圧倒していましたし。とはいえフュージョンの効果時間内に勝てるかどうかという別の問題がありますね。
 じゃあベジットならどうか、という問題がありますが、比較する材料がないので全くわかりませんね。理論上は、悟飯・悟天・トランクス・パン・ブラの力を借りた超サイヤ人ゴッドのベジットが最強だとは思いますけど、そもそもベジットが再登場すること自体があり得ないでしょうから。

 

 今回映画を見て感じたのは、ドラゴンボールという作品の世間への浸透度ですね。幅広い年齢・性別の人が見に来ていましたし(ぱっと見では20代前半が一番多いように感じました)、映画が終わった後はみんなマニアックなドラゴンボール談義をしてるんですよ。特段マニアでもオタクでもなさそうな人たちがこれだけ語れる作品というのも、かなり希有なんじゃないかと思います。等身大ガンダムを見たときに感じたのに近い、「文化」としての浸透度を感じました。
 今後も新作が続いていくのかどうかはわかりませんが(悟空の「かめはめ…うりゃぁぁぁ」って声が悲しい…もう野沢さんは「波ぁーっ!!」って声を出せないんでしょうか)、改めて日本人に根付いている漫画だったんだなぁと感じることができました。それだけでも、ありがとうと言いたいですね。


 最後に、今回ビーデルのお腹の中にパンがいたことになっていましたが、その時点でブラが生まれていなかったことを考えると、ブルマが妊娠したのはこの後ということになります。というかパンは悟飯の息子で悟空の孫ですが、ブラはベジータの娘でトランクスの妹なんですよね…38歳頑張ったな…(笑)