どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

トランクスが歴史を変えても変わらなかったもの~DB世界の因果律?

トランクスが未来からやってきたことで、悟空は病死を回避し、人造人間にだれも殺されず、やってきたセルさえも倒すことができました。歴史は大きく変わり、トランクスのいた世界よりも平和な未来を実現することができましたが、魔人ブウ編まで含めて考えると、実はあまり大きく歴史は変わっていないとも言えます。

 

変わっていないものを列挙します。

 

・悟空の死亡→心臓病では死ななかったが、セル戦で死亡

べジータの死亡→人造人間には殺されなかったが、ブウ戦で死亡

クリリンヤムチャの死亡→人造人間には殺されなかったが、ブウに殺される

・悟飯・ピッコロ・天津飯の死亡→人造人間には殺されなかったが、地球消滅で死亡

・世界の多くの人々の死亡→人造人間にはあまり殺されなかったが、ブウによりほぼ全滅

・トランクスの死亡→未来のトランクスはいずれもセルに殺され、現代のトランクスは地球消滅で死亡

 

まぁブウにより悟空・べジータ・デンデ・サタン以外は全て死んでいるので、トランクスの未来と一致して当然ではあるんですが、結局のところ世界は、人造人間による破滅は免れても魔人ブウによる破滅を免れなかったということになります。

メインキャラの中でもまず悟空が死んでいるというのが一致しており、またトランクスはどの世界でも必ず一度死んでいるなど、実はタイミングは多少ずれたとしても、ドラゴンボールの世界のキャラはどんなに歴史を変えても「死ぬ」という運命を変えることができないのではないか…と推測できます。

 

もちろん、単に話の展開で「まだ殺せる=ドラゴンボールで生き返れる」キャラはとりあえず殺しとくような作り方をしているので、当たり前といえば当たり前ではあるんですが、これをあえて「実はドラゴンボールの世界では、死ぬ運命を覆すことが出来ない」と考えると、面白いのではないかと考えました。

 

そして、その「死ぬ運命」を唯一覆せるのが、ドラゴンボールです。これなら死んでも生き返ることができます。トランクスの未来と原作世界の最大の違いは、死んでも生き返る手段があったということです。因果律を唯一変えられるのがドラゴンボールであるとすれば、それは老界王神が「ナメック星人にだけ許された反則技」と言ったのも理解できます。GTに登場した邪悪龍も、ドラゴンボールにより因果律を操作しすぎた罰、と考えればなんとなくそれっぽいですね。

 

ただ、もしそうだとすると、ブウに一度消されている地球は、いずれ滅ぶ運命だったということになってしまいます。トランクスの未来は、「超」により宇宙そのものが消滅してしまいましたし(苦笑)、どうもドラゴンボールの世界の地球は呪われているようです。

もしかしたら、ドラゴンボールを使うことで因果律を操作すると、その反動でより強い破滅が訪れるようになっていたりするのかもしれません。ドラゴンボールでより多くの人間を生き返らせた結果、地球全体が消え、最終的には宇宙さえ消えるように事態が進んでいってしまっている、と考えると、悟空たちが延々と強い敵と戦わなければならないストーリー展開にマッチするのではないでしょうか(笑)まぁ、そう考えると因果律というのはジャンプ漫画に宿命付けられた運命と言い換えてもいいのかもしれませんが。

 

ある意味では、魔人ブウというのは因果律を超越して生き延び続ける者を滅ぼすための存在だったりしたのかもしれません。他の星まで滅ぼしかねないため、界王神は倒そうとしていましたが。最終的には全王こそがその究極的な存在とも言えますね。なんでも消すことができますし。言葉の意味的には破壊神こそブウの役割をする必要があるような気がしますが、ブウの発生(なんかビビディが作ったわけではなくなったそうなので)はビルスの活動停止と連動していたりするのかもしれませんね。

 

このように考えたとき、どんなに歴史を変えても変わらない現実があったとしても、一度変わった歴史の中で新たに生まれたものが因果律の異分子になる可能性がある、という考え方もできると思います。

何が言いたいかというと、悟天の存在です。トランクスの未来では生まれ得なかった悟天が、原作世界では悟空が生きている時間が長かったために産まれることができました。他の未来には存在しない悟天こそが、因果律の定めの呪縛から解き放つ可能性になるのだ…なんて話の展開を思いついてしまいました。まぁ、公式というか鳥山明氏はそんな話は作らないと思いますけどね(笑)。

 

成長した悟飯は本来どのようなキャラになるべきだったか

ドラゴンボール超の宇宙サバイバル編があまりにもご都合主義過ぎて思考停止に陥っていたのでしばらくネタが浮かびませんでした。とりあえず悟飯が落ちてサバイバル編の扱いに区切りが付いたので悟飯ネタで行こうと思います。

 

というのも、制作側がすごく悟飯の扱いに苦慮しているように見えたんですよね。悟空と同じような等身・服装でありながら、悟空とは違うキャラとして扱わなければならず、かといって「こういう役割」というキャラ付けがしにくくなっているからです。一応、リーダーという役割は与えられていましたが、物語も作戦もクソもない展開だったのでほとんど生かされていませんでしたし、強さ的にもザコではないが、悟空たちには及ばないというポジションの使い方が分からないからか、その時によって強くなったり弱くなったりする安定しない使われ方をしていました。

これが少年時代のままであったなら、子供というキャラでいくらでも使い方があり、実際セル編までの悟飯はアニメオリジナルや劇場版でも非常に動いていた印象があります。成長させてしまったのが失敗ではあるんですが、これは鳥山氏自身が認めているところで、今更どうにもなりません。

 

そもそも、原作者である鳥山氏自身が扱いきれずに主人公を放棄させたキャラなので、それを他人がどう扱おうとも上手くいかないのはある意味当然なのですが、もう少しキャラ付けはできるのではないかと思い、少し考えてみました。

 

まず、少年時代の悟飯の個性は、「戦いが好きではない」が「キレると瞬間的に凄まじい戦闘力を発揮する」というもので、その時に限って言えば悟空以上の力を発揮することもあり得るというのが明確な個性でした。

ただ、だからといってキレても敵のボスを倒せるほどの力を発揮するわけではなく、瞬間的に劣勢を覆したり、味方のピンチを救ったりするのが精一杯という扱いで、本当の意味で全力を開放して悟空を超えるのは、セル編の超サイヤ人2覚醒まで待たなければなりませんでした。

 

青年時代になると、元々少年時代からその片鱗はあったのですが、「悪いヤツには容赦しない」という個性が加わり、正義の味方としての戦い方をするようになります。悟飯はキレた相手については完膚なきまで叩きのめしたり、「死んじゃえー!」と言ってしまえるので、ある意味悟空よりも敵を「殺せる」キャラではあります。セルやセルジュニアに対しても容赦していませんでしたし、アルティメット化して甘さが消えた状態では悟空とは異質の冷徹さを見せていました。

 

つまり、悟飯の性格は「戦うのは好きではないが、本当に敵と見定めた相手は徹底的に潰す」というもので、悟空が戦うのが好きで、相手を殺すよりも生かしてずっと戦い続けることを望むのとは極めて対照的であると言えます。むしろ戦うのが嫌いだからこそ相手の息の根を止めてしまえると言ってもいいのかもしれません。

 

これは前々から言っていたことなのですが、悟飯は戦いを望まない=回避したいと考えるはずなので、もっと戦わない方法を模索するキャラであるべきだったのかなと思っています。例えば、人造人間と和解するきっかけになったり、ブウをサタンのように手懐けることも悟飯ならできたんじゃないかと思うんですよね。戦いありきのドラゴンボールではそういうキャラが許されなかったということではあると思うんですが、「考え直してはくれませんか?できれば戦いたくなかったのですが…仕方ないですね」とか言っていきなり本気出して一瞬で終わらせるキャラとかだったらもう少し悟空やべジータとは違うカッコよさを出せたんじゃないかなぁとか思います。

 

まぁ悟飯の場合、戦うモチベーションがないので強くさせにくい、というのは理解できます。何もしなくても勝手に強さを求めて修行する悟空と違って、悟飯は敵がいるから仕方なくピッコロや悟空に鍛えられていただけなので、自発的に修行することは難しいでしょう。また、鳥山氏が過去に語っていたように、戦いが好きじゃないキャラを無理矢理戦わせる展開にするのに違和感があったというのも分かります。最終的に戦いを引退させて学者であり良い父親にさせたというのは、ある意味では鳥山氏の親心のようなものなのかなとも思います。

とはいえ今後もドラゴンボールが続き、色々なキャラを強くしていなければならないのであれば、悟飯をどう戦いに参加させていくかということも考えなければなりません。

 

ドラゴンボール超の描写で見れば、悟飯が戦う理由は間違いなく妻と娘がいることにできるはずです。いざというときに悟空やべジータに頼らずに戦える力を得る、というのは十分理由になると思うので、その辺で修行をしていくしかないんだろうなと思います。宇宙サバイバル編では、アルティメットの力を取り戻すだけで精一杯でしたので(そもそもアルティメットは変身ではないので取り戻すとかそういう話ではないはずなんですが…)。

というかもしかしたら、実は悟空やフリーザなんかよりよほど破壊神に向いているような気もしますね(笑)できるだけ破壊を望まないものの、本当にダメなものは容赦なく破壊できるのは、くしゃみで適当に星を壊す誰かさんよりはずっと向いているような気がします。まぁ、ストレスは大きそうですが。

 

外見的に悟空とかぶってしまうのは最早仕方ないので、基本的に悟飯は悟空と違う戦場で戦わせるべきなんだろうなとも思います。かつてのZの劇場版でのトランクスくらいの扱いでいいんじゃないかなぁと思いますね。

あとはとにかく「戦いはできるだけ避けたいと思う」「戦うと決めたら容赦なく潰す」というところを徹底して欲しいかなぁと…そんな風に思うのでした。

 

ビルスは何故超サイヤ人ゴッドと戦いたがったか

 破壊神ビルスは、あまり仕事熱心な神ではありません。その責務を果たさないがために、魔人ブウの暴走もフリーザの跳梁も許してしまっています。しかし、そのビルスが長い眠りから覚めてまで戦いたがったのが、超サイヤ人ゴッドでした。

 決してサイヤ人ではなく、特に強いヤツと戦いたがる性格でもないビルスが、何故そうまでして超サイヤ人ゴッドを求めたのでしょうか。

 

 結論から言うと、ビルスは破壊神の座を誰かに譲りたいのだと思います。ビルスは何度か悟空に破壊神にならないかと誘っていますし、フリーザに譲ってもいいとくらい思っていそうな節が見られます。おそらく、本人は破壊神の責務というものが好きではないのでしょう。

 何故ビルスが破壊神になったのかというくだりが不明なため、現時点では状況証拠からしか推測できませんが、ビルスは基本的にめんどくさがりで、破壊神の役割をしっかりこなそうなどとは思っていないことがわかります。

 おそらく、ずっと破壊神の後釜を探していて、やっと見つけた「神の領域」の存在たる超サイヤ人ゴッドの兆しが見えたために、それを強く求めたのだと思います。今のところ、それくらいしか説明がつきません。

 フリーザを放置していたのも、フリーザに破壊神の役割を与える可能性を検討していたからなのではないでしょうか。性格的に、破壊神になってしまったら色々と世界がヤバいことになりそうですが、やらかしたら全王に消されてしまいますし、お目付け役の天使もいますので、仮にフリーザが破壊神になったとしてもそこまで自由にはなれないのかなと思います。だからこそ、ビルスもその役目に息苦しさを感じているのかもしれません。

 

 話の流れから考えて、ビルスの後を悟空が継ぐという可能性は考えられません。かつて地球の神の座も譲られそうになりましたが、当然断っているのが悟空です。しかしもしかしたら、次に鳥山明氏がシナリオを書くときが来たら、ビルスの後継問題というのももう少し話に絡んでくるかもしれませんね。すでにバトルロイヤル編でも、他の宇宙では破壊神クラスのキャラと破壊神の関係性が描かれ始めていますし、ビルスと悟空の関係も、もう少し違ったものになるかもしれません。

ドラゴンボールにおける、漫画とアニメの演出の違い

 ドラゴンボール超のバトルロイヤル編、最強クラスのキャラが力を温存しながら戦っていたり、弱小キャラが活躍していたりと、各キャラの強さのバランスが良く分からない印象が非常に強くなっています。

 ただ、これは漫画とアニメの性質上の違いで仕方ない部分でもあります。

 

 漫画の場合、特に週間連載ではページ数が限られている上に毎週次の号に期待を持たせるために展開がめまぐるしく変わる傾向があります。長々とバトルを続けていると話が間延びしてしまうことから、ボスクラスとの戦闘以外は比較的一瞬で終わる傾向にあります。特に、カタルシスのために「それまで苦戦していたキャラをあとから現れた強キャラが瞬殺する」という演出は良く使われます。典型的なのがフリーザを瞬殺したトランクスですが、悟空もナッパやリクームなどをノーダメージでKOしたりしてますし、逆パターンでパワーアップしたセルがピッコロやべジータを瞬殺したこともありますね。

 そういう演出が多用されるため、戦闘力が高いキャラは、低いキャラに一方的に勝利できるというイメージが強く、ドラゴンボールの場合は特にその印象が色濃く出ていると言えます。

 

 一方で、アニメは放送時間が長く、漫画と同じペースで続けるとあっという間に話が終わってしまうため、話を引き伸ばすためにオリジナルのエピソードを挟んだりすることが古今東西よく行われてきました。ドラゴンボールなんか気を溜めているだけで話の半分使ったりしてましたからね。典型的な例であると言えます。

 そんな事情があるので、原作漫画では一瞬で勝負が付いた戦いでも、比較的いい勝負に見せる場合もよくあります。そして話の都合上、間を持たせるために原作では手も足も出ないパワーバランスの相手でも、そこそこ互角の戦いをしたりすることが多々あります。

 例えば、魔人ブウの体内に侵入した悟空とべジータが、悟飯やゴテンクスのコピーと戦うエピソードがありましたが、当時の悟空とべジータでは、超サイヤ人3にならずに悟飯やゴテンクス超サイヤ人3)に勝つのは難しい戦闘力バランスでした。しかし実際はいい勝負をしており、本人ではないとは言えやや納得のいかない展開だったことを覚えています。

 このように、アニメでは話の都合でいくらでも力が劣る相手が善戦できるので、戦闘力の強弱のバランスは演出で無視されることもあるのです。「ドラゴンボール超」は、このアニメの演出方法に則って作られているため、パワーバランスが良く分からなくなっていると言えます。ましてや、複数のキャラが入り乱れるバトルロイヤルでは、厳密な戦闘力の序列に沿って戦いを演出するのは困難であり(というか多分ゴッドクラスのキャラがフルパワーで全員吹っ飛ばすだけで大半が消える)、話の都合で強さを変えざるを得ないのです。

 

 とはいえ、これが魔人ブウ編終了直後ならともかく、神の領域に達したキャラにはそれ以下のキャラは手も足も出ない、というビルス基準が出来た後の話では正直しんどいよなぁ、とも思いますけどね。まだ悟空がゴッドの力をちゃんとコントロールできておらず、ブルーに変身可能になる前の話だったらなぁ、なんて思ったりもします。

 まぁ、とにかく言えるのは、アニメではあんまり戦闘力の強弱の差は気にしない方がいい、ということかなと思いますね。そういうのは鳥山明が直接作った作品の中だけで考えた方が、精神衛生上は良いかなと思います。劇場版の敵とかも強さ曖昧ですしね。

何故第7宇宙には大界王神と4人の界王神がいたのか

 「ドラゴンボール超」において各宇宙に一人ずつ界王神と破壊神がいることになったことにより、魔人ブウ編において過去に存在したとされた「大界王神と東西南北の界王神」の設定がほぼなかったことになってしまいました。しかし、この設定なくして魔人ブウの存在が説明できなくなってしまうため、整合性をどのように取ればいいか、少し考えてみました。

 

 取っ掛かりになるのは、「老界王神をゼットソードに封印していたのは破壊神ビルスだった」という新設定です。というか、これしかヒントはないでしょう。

 老界王神自体も、東西南北のどれかの界王神だったのか、それとも大界王神だったのかという言及はなく、そもそも界王神は当時一人だったかどうかもはっきりしていません。ただ魔人ブウ編当時の15代前という説明のみがありました(というか、多分老界王神が出てきた当初はまだ東西南北の界王神の設定はなかったのでしょう…)。

 その後の各宇宙の界王神がどれも一人であったことを考えても、「本来、界王神は宇宙に一人」であることの方が正常ということになるのかなと思います。

 だとすれば、魔人ブウが過去に暴れていた際の第7宇宙において、大界王神と東西南北の界王神がいたこと自体が、非常に特殊な事態であったと考えられます。そのように解釈すれば、理屈付けはそう難しくありません。

 

 もし、本来は一人でいい権力者が、中央+各地域の管轄に分担する必要があるとすれば、それはどのような時でしょうか。普通に考えれば、「一人では対応しきれないほどの異常事態」であった時なのではないかと思います。ではその異常事態とは何か。

 その一つが「魔人ブウの出現」であるのは間違いありません。実際、この魔人ブウに東の界王神以外全ての界王神が吸収もしくは殺害されてしまっており、一人一人が最低でもフリーザを一撃で倒すレベルの力は持っているはずの界王神が5人がかりで戦って勝てなかったわけですから、もし界王神が1人だったらどうしようもなかったはずです。

 ただ、魔人ブウへの対処のために界王神が複数いたのであれば、東西南北に管轄を分ける必要がなく、他にも問題はあったように思います。

 

 もう一つの理由があるとすれば、それは「破壊神の不在」でしょう。第7宇宙の破壊神ビルスはそのほとんどの期間を眠っており、魔人ブウのような界王神ですら収拾が難しい事態の対処が行われていなかったことから考えて、ブウがビビディの差し金によって暴れていた時も眠っていたと考えられます(超の漫画版で実際にそう語られているようです)。

 つまり、ビルスは老界王神を封印し一時的に界王神不在の状況を作ったばかりか、破壊神としての役割もほとんど行使しておらず、むしろ界王神が破壊神の役割さえ代行していた可能性が考えられるのです。

 

 おそらく、界王神が5人もいた理由は、この「破壊神と界王神の役割の両方をこなす必要があった」ことにあるのではないかなと思います。

 実際のところ、当時の正規の界王神は大界王神だったのだろうと思います。ただ界王神と破壊神の両方の役割を行う必要があったため、役割の分担が必要になったのでしょう。

 だとすれば、もう1人破壊神役の界王神がいればいいのではないかという気もしますが、界王神と同等の力を持った者をもう1人用意するというのは困難だったのだろうと思います。例えばゴワスが弟子としてザマスを使役していたように、界王神にやや劣る見習いクラスの存在しかいなかったため、1人で全てをこなすのは難しかったということなのでしょう。

 実際は、唯一生き残った東の界王神界王神の後継者となったわけですが、本来は正規の界王神になれるほどの実力はなかったのでは、と思います。基本的に頼りなく、老界王神に比べて能力が低いように見えたのもそのせいでしょう。

 

 もしかしたら、大界王神以外で唯一ブウに吸収された南の界王神が、事実上の界王神代行だったのかもしれません。最も戦闘力が高かったようですし、ブウが殺害ではなく吸収という選択肢を選んだのは、彼に勝つのが難しいとブウ自身が判断したからだとも考えられ、最も破壊神に近い存在だったとは言えそうです。ただ、当時の大界王神には他に3人の弟子がいたため、温情で4人を平等な東西南北の界王神に任命した、なんてことも想像できます。

 

 このように考えると、ビルスが破壊神の役割をこなさなかったせいでブウが生まれたりしているので、迷惑も甚だしい気がするのですが、そのビルスを起こしたのが超サイヤ人ゴッドになれる資質を持った悟空であり、悟空がそのレベルに達したのもビルスフリーザを放置し、魔人ブウの対処も行わなかったせいであると考えると、ビルスと悟空の関係は思った以上に因果めいているのかもしれません。

 

 ちなみに、大界王神はブウに吸収され、そのブウは善悪に分離したあげく力だけ悪のブウに奪われ、接続を切り離されたことにより純粋なブウに戻り、そのまま吐き出されたことを考えると、善悪に分離した時点でほぼ大界王神そのものになっていたと考えられます。今残っているミスター・ブウは、ほぼ大界王神(と南の界王神)が変化した姿と言ってもいいのかもしれませんね。

未来の悟飯は何故生き残れたか

未来世界では、人造人間に大半の戦士が殺され、唯一生き残った悟飯がトランクスを鍛えるという背景が明確な現代との違いになっていました。

 

ところで、人造人間たちとの戦いで、何故悟飯だけが唯一生き残ることができたのでしょうか?ピッコロあたりがかばったのでしょうか?

 

メインの時間軸では、悟飯はセルゲームまでほとんど前線に出てきませんでした。その要因は、当初ヤジロベーを助けに行く役割を任されたことと、その後心臓病を発症した悟空を連れ帰る役割を与えられたことです。

未来の時間軸では、悟空は早々に心臓病を患って死亡していますし、他の戦士も殺されてしまったのですから、悟飯が誰かを助けるために一時離脱したとは考えにくいものがあります。

 

そこでポイントとなるのはやはり、その悟空が早期に死亡しているということかなと思います。

メインの時間軸では、人造人間が来襲することが知らされていましたので、悟飯は悟空やピッコロと修行していました。しかし、悟空が死に、人造人間が現れることを知らない世界ではどうだったでしょうか?

おそらくセル編後やブウ編後の悟飯同様、修行はろくにせず勉強に専念していたはずです。だから、その後人造人間が現れたとしても、すぐに戦いにはいかなかったのでしょう。修行していないから腕も落ちているでしょうし、気を感じられない相手で強さも分からないため、まさかフリーザよりも強いとは誰も思わず、ピッコロやべジータがいれば十分と考え悟飯を戦わせようとする者はいなかったはずです。

 

しかし結果的には全滅してしまい、戦いに行かなかった悟飯だけが生き残ったとなれば、悟飯としては自己流でも修行して自分が強くなるしかないと考えるしかありません。

未来の悟飯はどうやって超サイヤ人になったのか、ピッコロたちが殺されたからかと言われることもありますが、そんなに早期に超サイヤ人になれていたら、10年以上も戦い続けてずっと超サイヤ人のままそれ以上パワーアップせずにいたことも逆に不自然のような気もします。

 

そうではなく、未来の悟飯は当初修行をやめていたと考えれば、そもそもメインの時間軸よりもだいぶ戦闘力が落ちたところから悟飯の修行がスタートして、しかもピッコロたちの死に様も見ていないので超サイヤ人にも覚醒できず、かなり長い間修行に明け暮れていたのではないかと考えることができます。

案外、初めて外伝に登場した当初の未来悟飯は、割とまだ超サイヤ人になったばかりだったのかもしれません。だとすれば、ちょっと修行しただけで人造人間に勝てると思って返り討ちにあったのもなんとなく分かるような気がします。何回も戦ったことがあるなら、力の差を知っていてもう少し慎重になっていたでしょうからね。

 

このように考えると、未来の悟飯の修行過程が少し想像しやすくなり、また10年以上修行した悟飯が超サイヤ人1で止まっていることにも(単に修行のアイデア不足だったという理由以外で)納得できるのではないかと思います。

ドラゴンボールGTの思い出

ドラゴンボール超は原作っぽくない側面を見せる度に批判されることを避けられませんが、そういう批判が出ると同時に、「GTよりはマシ」という意見と、「これより酷かったGTってどんだけだったんだよ…」というGTを知らない世代の意見が垣間見えたりします。

実際に、GTを最初から最後まで追った身としては、一体ドラゴンボールGTとはどんな内容だったか、ということを改めて振り返ってみようかなと思います。

 

(欠点その1)あまりにも悟空しか活躍しない

当時一番不満だったのがここですかねぇ。「超」では基本的に「復活のF」で鳥山明が引いた強さのラインを基準としているので、悟空とべジータが同格ですが、GTは超サイヤ人4になった悟空だけが強く、それ以外はザコでした。悟飯や悟天はかませ犬の役割すら与えられていませんし、本来主役の一人だったはずのトランクスさえ見せ場はありません。ゴテンクスへのフュージョンも許されず、最後には超サイヤ人4になったべジータさえ、フュージョンのエサになっただけでした。新必殺技のファイナルシャインアタックは超17号に効かなかったしなぁ。

ドラゴンボールZは、悟空が戦線離脱している間のそれ以外のキャラの奮闘も売りだった作品です。だからクリリンやピッコロやべジータの活躍を楽しむことが出来ました。それが一切なかったのが非常に残念でしたね。そういやピッコロなんて死ぬために出てきただけでした。

唯一、ウーブがベビー戦で悟空以外の戦士として出てきましたが、お菓子光線を跳ね返されて食われるという有様で、だいぶ後になってから思い出したかのように実はわざと食われて内部から攻撃するつもりだったと言ったのも萎えました。というかZの最終回で悟空に次ぐ最強の戦士になるはずだったキャラが全然その格を与えられなかったのは悲しかったですね(キャラ的に魅力が薄いというのはありますが)。

今作られていたら、ゲームキャラを増やせるという名目で無駄にゴテンクス超サイヤ人3べジータなどが出ていたと思います。

 

(欠点その2)過去作から借りてきたアイデアばかり

超サイヤ人4や邪悪龍などはオリジナル要素ですが、端々に過去作のアイデア流用と思えるネタが使われていたのも微妙でした。ベビーはツフル人が作り出した生体兵器という意味では、「サイヤ人絶滅計画」で使われたネタですし、ベビーへのとどめの一撃(太陽に吹っ飛ばす)はクウラへのそれで見たものでした。悪人が地獄からよみがえるというのは「復活のフュージョン!悟空とべジータ」のネタですし、ゴジータが再登場したのもそうでした。超17号へのとどめが龍拳だったのは「龍拳爆発!悟空がやらねば誰がやる」ですし、邪悪龍へのとどめが元気玉だったのは魔人ブウへのとどめと同じでした。目新しさやカタルシスという点がだいぶ足りなかったかなぁと思います。

その意味では、「超」は超サイヤ人ブルーの界王拳とか、トランクスの元気剣とか(その後の展開は別として)、一応それまでにない技を出しているという意味で頑張っている方かなと思います。そうそう、「10べえかめはめ波」も嫌いでしたね。界王拳のときはちゃんと「10ばい」って言ってたやんって。超でも「でえふく」とか言ってるけど。

 

(欠点その3)基本的に、対象年齢が低い

多分GTが抱えていた根本的な問題だと思うんですが、話の内容が、Zよりも数段小さい子向けになっていたと思います。パンとギルの絡みなんかもそうですが、基本的に話が小さい子にも分かるように、という視点で作られていたと思います。だからどこか話がコミカルでしたし、悟空が肉体だけでなく精神的にも幼くなっていましたし、理屈の辻褄あわせが適当だったように思います。スゴロク空間とか、いちいち謎の子供っぽさがありました。地獄での悟空対フリーザ・セルなんかはその極地で、「復活のF」と比較したら涙が出てきます。多分、当時の脚本家は完全に子供向けアニメのつもりで作っていたと思います。ポケモンとかデジモンみたいな感覚で。

それに比べたら、「超」はまだ過去作のファンに向けて作られているのが明確で、旧作キャラ同士の絡み(未来トランクスと現代キャラの会話とか、17号やフリーザへのほかのキャラの反応とか)などは非常に力を入れて作られている分、かなりマシな部類です。

 

とりあえず「Z」が持っていた魅力をことごとくスポイルしたのが「GT」だったかなぁと思います。

いい点はなにかなかったのか、と言われると…うーん、大猿という忘れられた存在を引っ張り出してきたこと自体はよかったですね。ドラゴンボールが敵になるというアイデアも良かった。超17号はダメでしたね。なんで17号じゃなきゃいけないのか分からなかった。実は17号はセルよりも強かったのだとか、今見ると未来予知っぽくて笑えますが、当時はアホか、むしろその超17号を蘇ったセルに吸収させろよと思ってました。

邪悪龍も7体いるんだから、それぞれ別の戦士が倒しに行くという展開でも良かったと思うんですよ。ワンピースとかそうじゃないですか。悟空は四星龍とそのついでに三星龍とだけ戦っていればよかったんですよ。そういう発想が根本的になかったのが、GTの残念さかなぁと思います。

 

うん、思い出しても不満しか出てこないですね(笑)。いやほんと、超の方が全然ましです。もう少しGTを擁護できることを言えるかと思っていたんですが、思い出したら不満しか出てきませんでした。