どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボール超 未来トランクス編 感想

 TVアニメであるドラゴンボール超は、ほとんど劇場版の展開をなぞるだけで、要するに原作に対するアニメ版ドラゴンボールZの立ち位置であり、しかも劇場版よりも非常に評判が悪かったため特に追いかけていませんでした。しかしオリジナルの展開に入ってちょっとずつ評判が良くなっていった上に、未来のトランクスが再び戻ってくるという話になったことから、全力で毎週録画して追いかけることにしました。個人的には、「未来のトランクスがまた戻ってきて本格的にストーリーを展開する」というのは、ガンダムに例えると「富野監督の新作アニメとしてF92が制作される」くらいのレベルの出来事であったので、大いに歓迎したものでした。それがまさか「シーブックもセシリーも死んで歴史も全くクロスボーンやVに繋がらない結末」のようにされるとは思いませんでしたが!(笑)

 ネタバレですし非常に不満だったので柄にもなく毒を吐きまくります。ご注意ください。


 この未来トランクス編、掴みは非常に良好でした。トランクスが悟空そっくりの謎の敵の襲撃を受け、命からがら過去に逃げてきて、現代の(大きく成長・変化を遂げた)キャラクターたちと再会する、というところまでは、誰もが脳内で描いたことがあるであろうトランクス再会のシナリオでした。トランクスの未来でもバビディダーブラが現れたけど、魔人ブウが復活する前に倒したというのは、フリーザ親子や人造人間も(戦いを楽しもうとせず)容赦なく瞬殺するトランクスらしいエピソードですし、そこで超サイヤ人2に目覚めていたというのも納得できる展開です。魔閃光を使うなどの(すぐ技とか忘れる鳥山明では絶対やらない)ファンサービスも良かったですしね。
 ただ、実際に悟空とべジータを連れて未来に戻ったところからの展開は、それはもう酷いもので、良かったことと言えばベジットがまた出たことくらいだったと思います。酷かった点をとりあえず列挙します。

・一度敗退した悟空が、何の策もなくすぐ未来に戻ろうとする
 →悟空は「負けないこと」を一番に優先するキャラなので、勝てなかった相手にまた挑む場合は必ず勝つために修行をする

・悟空が頭の悪いキャラとして描かれる
 →悟空は育ちの関係から一般常識が欠けているが、敵の弱点を見つけたり新しい戦法を編み出したりできるので、別に頭が悪いわけではない。細かいことや難しいことを考えるのは苦手でも、割と最適解にたどり着ける。

・結局何の策もなく未来に戻り、そしてまた敗退
 →いくらタイムマシンのエネルギー問題が解決したとは言え、頻繁に行き来しすぎ。時間移動は重罪だと言わせるなら、もう少し重く扱うべき。頻繁な行き来は尺を伸ばしたいだけに思える

・ブラックの正体であるザマスの時間軸がおかしい
 →公式サイトの説明ではビルスがザマスを消したことにより分岐したとあるが、そもそもブラックが未来から現れなければ悟空もビルスもザマスに会わなかったはずなので、歴史改変の順番が合わない

・強さの序列が曖昧
 →超サイヤ人2以下の実力のザマスに、超サイヤ人ブルーの悟空やべジータの相手ができるわけがなく、いくら不死身でも勝ち目がないので魔封波なんて使わなくても問題ないはず。怒りを爆発させた悟空でも勝てないブラックに瞬殺されたべジータが修行しただけで圧倒したり、都合に合わせて強さが変わりすぎ。ドラゴンボールにおけるパワーバランスはもっと戦闘力に忠実です。「復活のF」もピッコロの強さが過去との整合性という面では微妙でしたが、作品内での序列は明確でした。

・味方がいちいち間抜けすぎ
 →仙豆を忘れたり壷を割ったりお札を忘れたりタイムマシンをあっさり壊されたり、いくらなんでも毎回抜けすぎ。味方が馬鹿なせいで話がこじれるのは三流以下のシナリオ。

ベジットの時間が短すぎ
 →実はポタラには時間制限があったというのは百歩譲っても、エネルギーを使いすぎると早く解けるのはまずいでしょう。フュージョンと全く変わらないし、さんざん引き伸ばしてたんだからベジットで1話使うくらいの余裕はあったんじゃないのかと

・未来のマイが意味不明
 →現在のマイはドラゴンボールで若返って子供になってるだけで実際はもう中年のはずなのに、未来のドラゴンボールを使っていないマイがトランクスと同程度の年齢というのは辻褄が合わないと最初から言われていたのに、何も説明がなかった。そっくりなだけで別人なのかと思ったけどそう匂わせることもなく、カップリングとしても意味不明。単にトランクスの彼女役を新規で出すのではダメだったのか

・トランクスの強さに根拠がなさすぎる
 金髪のまま青いオーラをまとい強くなったり、元気玉のような力で剣を作ったりするのはいいんですが、そこに理屈が何も伴っていないのが不自然。基本的に、ドラゴンボールのパワーアップや必殺技には必ず理屈があるのですがそれが守られていない

・そして、何よりも結末が最悪
 →ザマスが宇宙そのものになって全王に消してもらうしかなく、世界は滅亡してトランクスとマイは別の自分がいる並行世界に帰るという、何も解決していない酷い終わり方。バッドエンドにしても「世界が滅んじゃったからよく似た別の平行世界に帰ればいいよね」という結末は下手なラノベでもないだろうというレベル。しかもそういう結末にならなきゃいけない必然がない

 色々不満がありましたが最後が一番ダメだったのでどうしようもありません。まさかGT以下の黒歴史確定とは思いませんでした。色々苦労してやっと平和を手にしたトランクスにこの仕打ちは一体何だったのでしょうか。
 前半はドラゴンボールをそれなりによく知っている人がシナリオを書いているんだなと思っていたんですが、後半はそれが嘘のようにドラゴンボールらしくない展開ばかりでした。一体何があったんでしょうか。特に「強さに説明がないこと」と「悟空というキャラクターの誤解」が目立った印象です。
 主人公たる悟空の性格を理解していないのは最も致命的でした。これで本当に鳥山明の助言を受けていたんでしょうか。またハリウッド版のときみたいにキレて新作作ってくれそうな気がしますが(笑)、本当に分かってなさ過ぎる。ブウ編の終盤にべジータが何で「おまえがナンバーワンだ」と言ったと思ってるんでしょうね。「負けないため」なんですよ、悟空が強いのは。勝てなかったら策を考えようとしたり修行するのはべジータじゃなくて悟空の役目なんですよ。というかブラックが強いならまず何で強いのか分析するべきでしょうに。正体が誰かじゃなくて強さの理由の方を探さなきゃいけないんですよ、ドラゴンボールは。そこに全く説明がなかったのも、大きな欠陥でしたね。

 どこまで鳥山明が考えたアイデアなのかはわかりませんが、個人的には今回の話は人造人間編のリベンジだったんだろうなと思ってたんですよね。「復活のF」がフリーザ親子の地球襲来のリメイクだったと考えられますし、その続きとなると人造人間編になりますよね。レッドリボン軍が作った人造人間が超サイヤ人より強いという展開はやはり説得力に欠け、未来の神が悟空の体を乗っ取って人類を滅ぼしにやってきたという方が納得できます。悟空も病気で死んでしまうのではなく、悪の存在になってしまうという方がインパクトが大きいでしょう。敵が悪ではなく正義側から生まれたので、ドラゴンボールを悪用できてしまうというのも考え方としてはありだと思います。ただそれを解決する手段を、ちゃんと考えてからシナリオを練って欲しかった。それに尽きますかね。
 最後、未来を滅ぼしてしまった理由はどうしても分かりません。全王を2人にしたかったのでしょうか。その理由も今後の展開次第なのかもしれませんが、無理矢理すぎるように思います。ビルスも含む全ての神々の中で頂点に位置する全王を2人にしてしまうというのも理解しがたいですし。ただあまりにも展開が無理矢理すぎるので、何か制作側にあったのかなぁとも思います。いずれにせよ黒歴史確定です。ドラゴンボールの原作は、鳥山明が直接作った作品だけで十分です(苦笑)。

 ではどんな展開なら良かったのでしょうか。とりあえず最後の展開はもちろん無しにして、トランクスがザマスを倒すのは良かった。それも未来の人々の力を借りて人間の力で決着をつけるというのも良かった。そのためには、まずトランクスが悟空(とべジータ)と修行するというシーンを入れておき、視聴者の見えないところで実は元気玉を教わっていたということにすれば良かった。ベジットはあくまでトランクスに決着をつけさせるため、自分ではザマスを倒さずトランクスの元気玉の時間稼ぎをあえて行うようなポジションで良かった。ベジットは新ナメック星のドラゴンボールで分離し、二つ目の願いでブラックに殺された人々を生き返らせれば良かった。これで十分でしょう。
 また何回も未来を行き来せず、ブラックが最初に過去に来たときに悟空がブルーになったのを学習してロゼになり、べジータが太刀打ちできなかったところで強制的に未来に戻ってしまい、勝つためにトランクス含めて修行するという展開で十分尺を稼げたと思います。まず悟飯・悟天・現在トランクスを集めて未来トランクスを超サイヤ人ゴッドにして、ブルーにもなれるよう修行するという話で良かったはずです。結局ブルーになれずじまいだったけど、決戦の土壇場でブルーに覚醒するという感じにできますし。あとは全ての神が滅んだ世界で、トランクスがサイヤ人の神として残るという結末でよかったんじゃないかと思います。マイは普通に別人でいい。
 あとはザマスがブラックになった理由ですね。トランクスの未来に現れた以上、トランクスが現在にやってくる前に歴史が変わっていないといけません。過去の設定から引っ張ってくるなら、セルに殺されたトランクスが干渉していた第4の歴史の悟空の末路でいいような気がするんですが、ややこしすぎるとは思うので、単純に第10宇宙の悟空の身体を乗っ取ったくらいで良かったんじゃないですかね。せっかく複数の宇宙があって、それぞれの歴史が微妙に違うというところまでやったんだから、実はタイムマシンの時空移動は複数の宇宙を移動してただけだったとかでもいいような気はしました。本当に時間をコントロールしているのはウイスの巻き戻しだけだったとか。
 そもそも、ザマスの思想があまりドラゴンボールっぽくないのが気になりましたね。第10宇宙にいるのに第7宇宙の地球を滅ぼそうとするのも意味がわからないですし。「人間」の定義も曖昧だったしなぁ。地球に獣人がいたり宇宙人がいろんな星にいる世界観における「人間」って何なんでしょうね。神以外の知的生命体って意味なんでしょうか。なんとなく、シナリオが破綻したのはザマスというキャラの設定自体をミスった結果であるようにも思えます。「悟空そっくりの敵」ってとこまでは良かったんですけど、そこから先はアニメスタッフ側が膨らませたアイデアだったのかもしれませんね、あまりにも鳥山明っぽくないので。またベジットを出せるから、ポタラを持ってる界王神サイドの人間が敵っていうのは良かったと思いますよ。でもザマスは界王神の見習いであって界王ではないと思うんだ。北の界王様が界王神になるとは思えないし、ザマスのポジションは完全にキビトの位置だったと思うんですけど。服装も含めて。

 とにかくこんなに突っ込みどころが多いドラゴンボールも初めてでした。GTも劇場版もここまで酷くはなかったです。でもゲームはめちゃくちゃ繁盛してるみたいだから、やっぱりビジネスで続けてるんでしょうね。ベジットブルーが出た週に各種ゲームでも登場してたみたいですし、そのスケジュールに合わせてあの出番の短さだったんでしょうか。ガンダムのビジネスも業が深いですが、ドラゴンボールもなかなかに業が深いようです。

何故、未来の人造人間は凶悪だったのか

 人造人間17号と18号は、原作の時間軸と未来の時間軸で、全く違う性格になっていました。いくら歴史が違っているとはいえ、同一人物であるはずなのに残忍さが違いすぎるような気がします。その理由を、魔人ブウをヒントに考えてみました。

 

  何故魔人ブウがヒントになったかという理由は、作中の正史世界では、未来からトランクスが来たことなどにより滅びの未来を回避しましたが、結局魔人ブウによって一度地球は壊滅してしまうんだよな、と思ったところにあります。

 おそらく作者はあんまり意図していないと思うのですが、トランクスの未来と作中の正史では、それぞれ悟飯とトランクス(と悟天)以外のサイヤ人は全て死んでしまうという意味で共通しています。違いはピッコロらサイヤ人以外の戦士たちが生きているかどうかなのですが、ピッコロ以外はほぼ戦力外なのであまり違いはないと言えます
 もう一つの共通点は、世界を壊滅させた側のバックグラウンドです。魔人ブウが世界を壊滅させたのは、生みの親であるバビディを殺し自由になった後で、ほぼ「遊び」の延長でした。サタンによって一度は手懐けられるものの、悪の魔人ブウに変身してしまった後は、一瞬でほぼすべての人類を皆殺しにしてしまいました。一方未来の人造人間も、生みの親であるドクター・ゲロを殺した後、ほとんど遊びで世界を壊滅させています。魔人ブウよりなまじ知能がある分、たちの悪い遊び方で少しずつ人類をいたぶり殺していました。

 ここで言えるのは、人造人間と魔人ブウのどちらも、「生みの親を殺した後、目標を見失ったことで遊びとして世界を滅ぼしている」ということです。どちらも何故生みの親を殺したのかと言えば、基本的には絶対服従を強いようとしたことによる反発からでした。ただ、人造人間が生みの親を殺したのは、未来世界も原作世界も同じです。その違いはどこにあったのでしょうか。

 人造人間の場合は、生みの親を殺したこと以前に、生み出された理由、つまり孫悟空を殺すため、という目的を失っています。人造人間側が、いつ未来の悟空の病死を察知したかはわかりませんが、未来の人造人間の狂暴化は、原作世界との分岐点ともなっているはずの「悟空の死」がキーになっているのではないかと推測することができるのです。
 未来の人造人間17号と18号が、いつどのような理由で行動を開始したのかは明らかになっていません。トランクスは19号と20号の存在を知りませんでしたが、それは「存在しなかった」のではなく、原作世界同様に19号と20号が現れたものの、ベジータたちに追い詰められて17号と18号を稼働させ、その17号と18号がベジータたちを皆殺しにしたため、その2体しか知られていなかったと考えることも可能です。そもそも、トランクスが予告した時間に19号と20号が現れたわけですし、(設定変更の名残とはいえ)トランクスはこの時現れた人造人間が19号と20号であると言っていたわけですから、未来世界においても19号と20号が存在していた可能性はないわけではありません。
 ただ、それ以前にドクター・ゲロが事前に悟空の死を察知していたかどうかという点がわかりません。スパイロボを常に派遣していたのであれば、悟空の死も知っていそうなものですが、未来世界でも原作世界でも同じ時間に人造人間が出現していたことを考えると、悟空の死を知らなかった可能性もあります。というか19号と20号が何故あの時間にあの島から行動を開始したのかが不明なので(苦笑)なんとも言えないのですが…。気を察知できない以上、悟空たちに奇襲をかけることも可能だったわけですから、あえて辺境の都市から動き始めた理由はよくわかりませんね。セルのように、一般人から気を吸い取ってパワーアップでもするつもりだったんでしょうか。この辺は人造人間編の設定の二転三転のあおりを食らった部分ですね。

 もう一つ鍵となりそうなのは、20号ことドクター・ゲロが原作世界において17号と18号を起動させたときに、「なおっておればよいのだが」と言いながら作動させ、17号と18号が完全服従しているように見えたことで「なおったようだ」と判断していることです。おそらく17号と18号が言うことを聞かなかったので、より強い洗脳のようなものをかけようとしていたのだと思います。未来世界では、この調整に失敗したことで、より狂暴な性格となって稼働したのかもしれません。
 原作世界でも、結局17号と18号の洗脳には失敗しているのですが、その性格はどちらかというと穏やかでした。「直っておればよいのだが」の発言から、一度制御に失敗して、停止コントローラーで停止させ、再調整したものと思われますので、未来の17号と18号はこの再調整を行う前の状態だったと考えることができます。何故未来世界では調整が一回少ないのか、それは「悟空が死亡したことを確認したから」なのではないでしょうか。

 つまり、こういう推測が可能なのです。ドクター・ゲロは悟空の死を確認し、目的を悟空の抹殺から本来の世界征服(?)に修正、その時点でより強力な力を持つ17号と18号の調整はあきらめ、19号と自身20号で計画を実行することにしたと。しかしベジータたちの力が予想以上に高かったため、20号は慌てて未完成の17号と18号を起動、しかしコントロールが効かず、自身は殺され、ベジータたちも皆殺しにされ、そのまま世界を滅ぼす活動に出てしまった、と。
 17号と18号に与えられた使命が悟空の抹殺から世界征服に変わっていたとすれば、その後の行動も理解できます。調整が不十分なので征服というよりは破壊に近いですが、その使命を行っていただけなのです。原作世界の17号と18号も、ゲロを殺した後は、結局目的がないので課せられた使命である悟空を狙うために行動し始めましたしね。
 つまり未来の17号と18号は、調整が不十分なためより狂暴な性格となっており、しかも攻撃対象が悟空個人から世界へと変わっていたために、あのような残忍な存在となってしまったのではないか、と考えることができるのです。

 魔人ブウバビディを殺して自由に過ごしている間に、ミスター・サタンに出会い、話の通じる存在になりました。原作世界の人造人間たちも、セルという共通の敵との戦いを経て新しい人生を歩んでいます。どちらも悟空が死んでいる(関わっていない)時の出来事なのですが、その悟空の死がちょっと早かっただけで、未来の人造人間とは和解できる可能性がなくなってしまったと考えると、いかに悟空の病死というのが歴史にとって大きな影響であったかがわかりますね。

アルティメット悟飯とは何だったのか

 今回は悟飯の話。

 復活のFでは、修業をしていなかった悟飯が「超サイヤ人にならなんとかなれる」レベルまで落ちていました。これでGTでの扱いにも整合性が取れたことになりますが、そもそも悟飯は老界王神に潜在能力を全て引き出してもらい、超サイヤ人になる必要はなくなっていたのではないか?という疑問があります。
 今回はその疑問についてある程度の回答を出したいと思います。


 そもそも、いわゆるアルティメット悟飯と俗称される、潜在能力を限界以上に引き出した姿の悟飯は、どういう存在だったのでしょうか。

 超サイヤ人にならずとも超サイヤ人3以上の戦闘力を持っている、という意味では、おそらく悟飯が「超サイヤ人化をした上で引き出せるはずの戦闘力」を含めて引き出せる可能性がある力を全て通常の状態で発揮した姿、と定義することができます。ある意味では、超サイヤ人ゴッドに最も近い存在であったかもしれません。
 超サイヤ人は、以前の考察で定義しましたが、「界王拳のように戦闘力を倍加させ、界王拳と違って肉体そのものも上昇した戦闘力に耐えられるよう強化する」というものであったと考えられますが、肉体強化がセットになるため、身体には無理をかけている、ということになります。フリーザの100%パワーやゴールデン化も同様でしたね。
 そのような無理をせず、自然に秘めた力を引き出すことができるのが、アルティメット化ということになります。

 逆に言えば、アルティメット化は「変身」を伴うものではなく、通常なら修業してレベルアップしないと引き出せない力を、チート的な裏技で一気に引き出した状態、つまりレベルカンスト状態なのがアルティメット化なのではないか、と考えることができます。
 例えるならば、現在レベル50、最高レベル100のキャラクターのレベルを一気に120まで上げるのがアルティメット化と言えます。それに対し、超サイヤ人はレベル50のまま、変身によってレベル100に匹敵する戦闘力に一時的になるもの、と言えます。
 つまり超サイヤ人変身を仮にレベル+50の効果とするならば、アルティメット化は単にレベル上限突破の効果となり、デフォルトの能力が底上げされる形となるわけです。

 超サイヤ人と違うのは、潜在能力を限界以上まで引き出しているので、これ以上の成長はほぼ見込めないということです。悟空やベジータのように絶えず修業をして、自分の限界レベルをどんどん底上げしていくほどの余地がもうなく、しかも本人に強くなる気がそれほどないので、あとは下降線をたどっていくだけ…というわけです。
 ゲームであれば、一度上がったレベルが下がることはありませんが、実際の人間はトレーニングをしなければ衰えていきます。何もしないでいると、レベルは下がっていくのです。
 つまり、悟飯は修業をしなかったため、120まで上がったレベルが50まで戻ってしまったのでしょう。その状態でより高い戦闘力を発揮するには、再び超サイヤ人化するしかなかったというわけです。
 そもそもアルティメット化自体が、修業をせずに一気に強くなるという、本人の努力が伴わない形での強化だったため、失われるのも早かった、ということなのではないでしょうか。

 サイヤ人と地球人のハーフは生まれつきの戦闘力が高い、ということになっていますが、実際に強くなれる確率が高いのは、やはり純粋なサイヤ人なのではないかなと思います。強くなるための意識とそのための努力が違うからです。もちろん、悟空やベジータが特別である部分もあるのですが、例えば未来の悟飯は、10年以上修業をサボらずし続けても人造人間を超えられなかったのに、現代の悟飯は悟空と修業したことによって精神と時の部屋での1年で人造人間をはるかに上回る力を手にしています。これは明らかに悟空が一緒だったからで、トランクスも超サイヤ人を超えるというベジータの発言に「考えたこともなかった」と言っています。仮に悟飯が自力で修業をしようとしたとしても、強くなるためのアイデアが、そもそも地球人とのハーフには欠けているので、強くなるのは難しいと言えます。
 だから、結局のところ「より強い敵が現れる」ドラゴンボールの世界において、そのレベルについて行けるのは、飽くなき向上心を持ち続けている悟空とベジータだけであって、悟飯はどうしても置いて行かれざるを得ない、というのが、魔人ブウ編後半から復活のFにかけての悟空・ベジータ・悟飯の扱いなのではないか…と思ったのでした。


 ちなみに超サイヤ人ゴッドは、気の練り方を根本的に変える変身であるため、言わばレベル50のままレベル150並のステータスにアップできる状態なのではないかと考えられますが、その上で更に超サイヤ人(ブルーだけでなく通常の金髪にも)に変身することができます。そう考えると、アルティメット悟飯が更に超サイヤ人に変身することもできたのではないかという気もしますが、アルティメット化がいわゆるステータスカンスト化(MAXレベルに引き上げる)であるに対して、ゴッドは単純なステータス上昇(MAXレベルの上限を突破できる)なので、レベル自体はそのままなので、更にそこから成長できる余地が生まれることから、更に変身することができるのでしょう。
 そう考えると、悟飯も(悟天もトランクスも)ゴッド化すればそれなりに強くなりそうな気がするんですが、まぁ本人に強くなる気がないんでしょうね。アルティメット化と違い、ちゃんと修業して力をコントロールできるようにならないと使いこなせないようですしね。

 結局のところ、一番大事なのは才能や天性の肉体ではなく、飽くなき向上心ということでしょうか。スポーツの世界においても、トップレベルでの勝負を分けるのは結局意識の差だったりしますので、そういう意味でもやはりドラゴンボールは、決してリアリティのない作品ではないのではないかと思う次第です。

ドラゴンボールZ 復活のF 感想

 ドラゴンボール考察派の一人としては外せない映画、今回も見てきました。

 まぁ、相変わらず鳥山氏の設定観念はガバガバだったわけですが(笑)それでも悟空のパワーアップとか人間性の部分については、ちゃんとしっかり描かれていたのかなと思います。なので細かいことを突っ込むとめちゃくちゃな内容ではありましたが、個人的にはすんなり心に落ちたストーリーでした。

 何故かということについては、ネタバレ全開でいきます。


 まずエンターテイメント的な感想としては、フリーザはどうやって復活してどうパワーアップしたんだろう、と思っていたんですが、普通にドラゴンボールで蘇って本気で修業したら超サイヤ人ゴッド並みに強くなりましたという理屈もあったもんじゃない内容でした。まぁフリーザ一族は血統的にはサイヤ人よりも優れていて、破壊神の領域に到達できるポテンシャルがあるということにしておきましょう。

 フリーザが悟空への復讐の為に地球に乗り込んでくるのは、かつて同じことをやろうとしたわけですから当然の流れで、悟空が来るまで仲間たちでしのぐというのも至極まっとうな流れでしょう。しかし、餃子とヤムチャは置いてきたという明らかにネットでネタにしてくださいと言わんばかりのセリフを言わせておいて、それよりも戦闘力が低いであろう亀仙人がやってきたかはかなり謎ですね(笑)18号さえ置いてきたのに何故クリリンに連れて行くよう頼んだのか、その経緯は気になるところです。まぁ昔から劇場版ではちょくちょく戦う姿を見せてはいたんですけどねぇ。悟天とトランクスが出てこないのはたぶん尺の問題なんですが、フリーザが来た時点で気でバレると思うんですが…まぁ完全に尺の事情なんで突っ込むのは野暮なところなのかもしれません。
 亀仙人以外では、フリーザの部下で一番強そうな奴にピッコロが苦戦するのはちょっと解せませんでした。ピッコロさんは修業サボってないと思うんで、最低でも17号と互角だったレベルの力は持っていると思うんですけどね。まぁ悟飯が活躍する前フリだったんで、仕方ないんですが。
 悟飯は修業サボってたせいでかなりパワー落ちてるみたいですね。アルティメット悟飯とは何だったのかということについては、後日考察するつもりでいるんですが、とりあえずGTとの整合性は取れました。しかし一時は全戦士最強まで上り詰めたのに、ナメック星時代の立ち位置まで戻ってしまったのはちょっと悲しいですね。超サイヤ人になる間もなかったとはいえ、フリーザにパンチ一発でKOされるのは、いつかの映画のリベンジということになるでしょうか(笑)

 悟空とフリーザの対決は、昔の方が見応えがあったかなぁというのが正直な感想です。水中からの奇襲とか、「今度は死ぬかもね」とか、左手だけで戦うとか、20倍界王拳とか、うんあの戦いはやっぱり名作でしたね。今回はなんかただゲーム的にボコスカやってるだけという印象でした。まぁその中でも、「こんなもの…!」とか大地を斬ったりとか、かつての戦いを彷彿させる要素はありましたが。
 またフリーザが結局ビルスウイスには及ばないのと、悟空とベジータが二人でかかれば負ける相手ではないという意味で、かつてのフリーザ魔人ブウほどの脅威が感じられなかったのも、盛り上がりにかける要因かもしれません。悟空が光線銃で不意打ちを食らってしまうというのももう少し演出の仕方を考えて欲しかったなぁと思います。

 ただ、そんな突っ込みどころ満載の内容でも納得できたのは、フリーザへのとどめの刺し方でした。展開としては、悟空が不意打ちで倒され、ベジータが代わりにとどめを刺そうとしたところでフリーザが地球を破壊してしまい、ウイスの力で時間を戻して悟空がすぐフリーザにとどめを刺す、という演出なんですが、これは以前も指摘した「悟空は勝利した相手には絶対にとどめを刺さない」というキャラクターだからこその演出なんですよ。そしてピッコロやベジータ、ブウなどと違って仲間になる要素が微塵もないフリーザに対し、悟空はとどめを刺しきることができなかったんです(トランクスが倒しましたが)。それが何十年越しかにして、ようやく悟空は本当の意味でフリーザにとどめを刺したんですよ。これは凄く大きいことだったんじゃないかな、と思いました。
 個人的には、悟空は悪人にとどめを刺さないキャラで居続けて欲しかった気もするんですが、そういった非情になりきれないことによって大切なものを失うこともある、と悟空に気付かせるための物語が今回の映画だったんだなと考えると、非常に意義深い内容であったように思ったのです。フリーザはそのために蘇ったのだと。

 かつての悟空も、セルにとどめを刺せと悟飯に言ったように、悪い奴のとどめは刺さなきゃいけないとわかってはいたんですよ、たぶん頭では(未来のトランクスと初めて会った時にも、フリーザは自分がとどめを刺すべきだったと言っていましたしね)。でもそういうとどめを自分がささなきゃ逆にやられてしまうような殺し合いに巻き込まれること自体がもう嫌になってしまったから、セルとの戦いでは自らの命を投げ出してしまった部分もあったんだと思うんですよね。ただその後生き返って生き続けることになった以上、そういう甘さはどこかで克服しなきゃいけなかった、ということなんだと思います。

 なのでやっぱり鳥山明という人は(かなり周囲に説得されて嫌々関わったっぽいですが)、細かい設定はめちゃくちゃでも、話の筋はしっかり考えてキャラクターを作る人なんだなぁ、と思ったのでした。新しいテレビシリーズでどういう展開を作るのかは、少し楽しみにしたいところです。


 以下、設定面でのツッコミ!

1.ドラゴンボールでは1年以上前に死んだ人は生き返られないんじゃなかったっけ?
 →そんなもんデンデが作り直した時にどうにかしたんだよ!

2.悪人は死ぬと魂が浄化されて生前の姿と記憶を失うんじゃなかったっけ?
 →そんなのアニメ版でも守られてなかったし今更どうでもいいんだよ、あれはベジータは死んでも悟空にあの世で会えないって話をピッコロがしただけ!

3.地球のドラゴンボールでかなえられる願いは最終的に3つにならなかったっけ?
 →あれ作者めっちゃ適当だから!最初2つになったのに後から急に3つになって、その後「たくさんの人を生き返らせちゃうと2つに減る」という設定に変わったから!フリーザ1人生き返らせたのに2つだったのはなんでだって?フリーザ様はめっちゃ強いからなのと、かなり昔に遡ったから神龍のエネルギー凄い使ったんだよきっと。もしくはデンデがやっぱり2つに減らしたとか、そもそも3つになってたっていう方が間違いだったとか。

4.フリーザが戦闘服ごと再生してるのは何故?
 →知るかボケ!


 あととりあえず超サイヤ人ゴッドの力を取り込んだ青い超サイヤ人(神と神の終盤で悟空がなってた超サイヤ人の完全版でしょうね)の正式名称はちゃんと考えてあげた方がいいと思います…。ゲームでは超サイヤ人ゴッドSSって表記されてるみたいですが。まぁゴッド化した後に超1になるとあれになるってことなんでしょうから、もう金髪の超サイヤ人にはなれないのかもしれないですけどね。だとしたらGTは完全になかったことになります。

 まぁ、ドラゴンボールビジネスはまだまだ続くということで、ガンダムとは別の形の因果の果てをこれからも見守っていこうと思ったのでした。

人造人間編の悟空の心理

 人造人間~セル編の悟空ってなんか変じゃなかった?という話です。


 あれ、悟空なんかちがくね?と思ったきっかけは、覚醒後の悟飯がセルを追い詰めた際に、「とどめだ!すぐにとどめを刺せ!」って言ってることを改めて読んだときです。悟空って基本的に敵にとどめを刺すことをすごくためらうキャラなんですよ。前に考察したように、ピッコロやベジータだけでなく、フリーザにさえとどめを刺すのをためらったのが悟空なんです。その悟空が、自ら率先して「とどめを刺せ」と言うのはなんか違うような気がしたんですね。

 もちろん、このセリフは後のセルの自爆の伏線となっており、この時点で悟空が死ぬことは決まっていたのだと思います。しかしそれにしても心境が変わりすぎていないかと。
 そもそもセル編の悟空はちょっと変なんです。誰よりも強くなることを目指しているはずなのに、セルを超えることはあっさりとあきらめて悟飯にバトンタッチしていますし。そもそも作者(や当時の編集者)がストーリー作りに行き詰っていたと思われることは、人造人間編の紆余曲折を見ればよくわかるので、そのあおりをくらっているような気もするのですが、そこをあえて心情面で考察してみたいと思います。

 キーになる要素は2つあります。1つは、フリーザ親子が地球に来襲したことです。トランクスと出会った悟空は、「オラがやっぱあまかったらしい・・・。あいつはナメック星でやっつけておくべきだった」と言っていました。確かにナメック星で確実に悟空がフリーザを殺しておけば、フリーザ親子が地球に来ることはありませんでした。何故なら、フリーザが地球に来たのは明確に悟空へのリベンジのためだったからであり、それ以外の理由は全くないからです。
 それまで、悟空がとどめを刺さなかったことによって悪いことが起きたことはありませんでした。ピッコロは味方になりましたし、ベジータも最終的には敵対関係ではなくなっています。それ以外のキャラは悟空がとどめを刺さなくても死んでしまったキャラがほとんどでしたが、まぁ圧倒的に悟空の方が強かったので生き残っていたとしても大きな悪さをすることはなかったでしょう。
 しかしフリーザは違いました。見逃しても改心することはなく、復讐の為に地球へやってきたのです。それも悟空より先に地球に到着し、地球人を皆殺しにしようとしていました。そしてトランクスがいなければフリーザを倒す力を持っていたのは悟空だけでしたから、やはり悟空がフリーザを殺す以外に解決の道はなかったと言えます(トランクスのいた未来では、実際にそうなったのです)。
 つまり悟空はフリーザに出会って初めて、「見逃しても分かり合えない」存在を知ったことになります。この経験が、セルにもとどめを刺さないとヤバい、と思い当たる伏線になってるのではないかと思います。

 もう一つのキーは、死んだ悟空がドラゴンボールでの復活を拒否した際、「オラがいねえ方が地球も平和だと思うんだ」と言っていること。普通に聞いてると今更何をという感じですが、人造人間というのは明確に「悟空を殺すために作られた」存在だったんですよ。それまでの敵は結果的に悟空と戦うことになっても、別に悟空と戦うために生まれてきたわけではなかったんですね。それまでより強い相手を追いかけるだけだった悟空が、今度は狙われる立場になったわけです。そして未来では実際に人造人間に滅ぼされているわけで、悟空がいなければ間違いなく起こらなかった未来ではあります。
 そして何故か、悟空は人造人間と戦うことにあまりワクワク感を感じていないようでした。トランクスに未来を告げられた時は戦う気満々でしたが、病に倒れた後の悟空は、とてもセルと戦うことを楽しみにしているようには見えませんでした。もしかしたら「人造人間」であることが、悟空の闘争本能を引き出さなかったのかもしれません。たまたま現れた自分より強いヤツではなく、計算して作られた対自分用の存在のために修業するというのが、あまりモチベーションを生まなかったのではないかと。
 悟空は病に倒れている間に、それなりに色々と考えたのかもしれません。自分はただ強い敵と戦ってそれを超えたいと思っていただけだった、しかし強くなりすぎて逆に狙われるようになってしまった。しかもとんでもない悪人に狙われて自分の身内や世界が巻き込まれようとしている、これからも自分を狙って悪が現れるかもしれない、その悪を退治するのは自分の役目なのか、と。
 つまりは悟空は正義の味方として生きる人生を拒否したのではかと思います。強くなるために戦いたいけど、世界を守るために戦うのは嫌だと。

 実際悟空はブウ編以降も、自ら世界を守る戦いに身を投じることには非常に消極的です。そういうのは悟飯の方が向いていると思っているし、ブウを直接倒すのも若い戦士であるべきだと思っているし、生き返った後も、世界を守る役目はウーブに任せようとしていました。なんというか、「レベル上げてステータスカンストさせる方がラスボス倒してエンディング迎えるより楽しい」みたいなタイプですね(笑)

 心臓病になったというのも大きなポイントかもしれませんね。戦いの中で一度死んだことがある悟空も、戦い以外の理由で死ぬことは想定していなかったのかもしれません。いつ発病するかわからない状況で生き続け、実際に発病し、なんとか一命を取り留めたものの、そのような体験をすれば誰でも人生観が変わりそうなものです。実は死んだ方がいいんじゃないか…そう考えるくらい弱気になっていたのかもしれません。

 まぁ残された家族のことなどを全く考えないところが無責任な悟空らしいとも言えますが、結局のところ本人の心理的な揺らぎを経て、単純に英雄として生き続けることを拒否したというところが裏ではあったんじゃないかと思うのです。


 ただ、その材料となるにはセルというキャラは非常に曖昧な設定でした。セルは完全体になることを目的としていて、その後は完全体の強さを引き出すことを望んでいました。ある意味その時の悟空より悟空らしい性格をしています。簡単に人々を殺したりするために悪そうに描かれていますが、実は全然悪役としての要素を満たしていなかったりします。というかむしろセルは、悟空の良きライバルとして改心する可能性さえあったような気がします(笑)
 悟空が死ぬ伏線として、悟飯が激怒する伏線としての悪役であれば、もう少し裏付けが欲しかったですね。フリーザはそもそも性格が残虐非道であり、またドラゴンボールで不老不死になるという目標とそれを台無しにされた怒りが悪役としての威厳を高めていました。セルの悪役っぽい要素というと、人間を吸収して強くなるという設定と、人々が恐怖におののく顔を見るのが好きということくらいですかね。まぁサイヤ人的な強くなりたいという本能と、フリーザの持つ残虐性の両方を持っていると考えると、最強の悪役のような気はしますが。

 結局のところ悟空は、何かを守るための戦いは好きではなかったんだと思います。ただ純粋に強さだけを追い求めたかったのに、それをさせてもらえない、という悩みがセル編の死に繋がっていったのではないでしょうか。

ドラゴンボールZ 神と神 感想

 ドラゴンボールの考察もしている身としては、これは見に行かないわけにはいかないでしょう、ということで、見てきました。本当は、もうちょっと早く見に行きたかったんですが。

 ネタバレしまくりですのでご注意ください。

 

 

 一言で言ってしまうと、かゆいところに全部手が届いているものの、最後の盛り上がりだけは物足りなかったかな、という感想です。
 というのも、さすが鳥山明原作というだけあって、キャラクターの魅力が存分に出ているということ、ギャグパートのキレが半端ないということ、悟空というキャラクターの描き方、このあたりについては文句なしでした。戦いもいつもの劇場版の「地球がピンチ!突如現れた邪悪な敵に悟空が立ち向かう!!」みたいなノリではなく、純粋に強いだけの存在に対して悟空が力試しをする、というだけの話だったので、終始和やかな話だったのが良かったですね。この辺は、「悪い奴から世界を守る戦い」みたいな話は本当は苦手な鳥山明らしいつくりだったなと思います。なので、逆に劇場版じゃなくてTVスペシャルとかでもいいんじゃないかという気もしましたが、まぁ商売ですからね。

 事前情報として、どうも超サイヤ人ゴッドというのに悟空がなるらしい、ということだけはわかっていたので、なんだよまた悟空最強な話かよと思っていたんですが、その悟空は最後まで勝てずじまい、また他のキャラクターについてもちゃんと見せ場がある(サイヤ人一家だけですが)というのがいい意味で裏切られました。ベジータはもちろん、悟飯やトランクスのギャグパートでの「らしい」見せ場もよかったです。この辺が、GTとかはダメダメだったんだよなぁ(苦笑)
 ビルスが切れる理由も「プリンを食べれなかったから」というのがまた鳥山明らしくて良いです。しかもブウとの取り合いの結果というのがまた低次元で「らしい」ですね。基本的に鳥山明の世界の神様にはろくなのいませんからね…(笑)

 また、過去のエピソードやGT以降との整合性もちゃんと取っていることも感心しました。ざっと整理すると以下のような感じですね。

破壊神ビルスの存在
 今さらブウ以上に強い奴が宇宙にいたとか言われても…と思っていたのですが、破壊の神なので世界の危機には手を貸さない、だからフリーザやブウが暴れても手を出さなかった(そもそもその間は寝ていた)と納得できる設定だったので、思ったよりすんなり受け入れられました。正直人造人間の設定の方が無理があると思いますし(笑)、ある意味では界王神よりよほど神様らしいかなという気がしましたね。
 じゃあ界王神はなんなんだという気がしますが、たぶんあれは破壊でも創造でもなく単に維持・調和の神なんだと思います。だからフリーザ程度ならともかく、宇宙規模で災厄となり得るブウとは戦う必要があったということですね。

超サイヤ人ゴッドの存在
 超サイヤ人4もいるし、まぁ期間限定の変身なんだろうなぁとは思っていたんですが、やっぱりその通りでした。変身方法は純粋な心のサイヤ人が合計6人必要で、だからブウ編までのメンツでは無理だったという整合性も(半ば無理矢理ですが)取れています。まぁ、未来のトランクスを呼んでくればパン抜きでも可能ですが…(笑)
 また、神は戦闘力を表に出さない、という設定は素晴らしいと思います。だから戦闘力を上げるだけではなれないし、そのあたりが悟空にとってヒントになって、ゴッドの力の源泉をつかむことができたんじゃないかと思いますね。元々平常時から超サイヤ人でいることで更にパワーアップする、という発想をした悟空だからこそ、通常時に全く気を発しないという発想にも合点がいったのかなと。界王神天下一武道会ではほとんど力を察知されていなかったのも、その辺が理由だったんだろうと思います。
 ただ、この「5人のサイヤ人のパワーを1人に与える」というアイデア自体は、GTで割と多用されていたりするんですよね…あの時の超サイヤ人4悟空は、実質的に超サイヤ人ゴッドだったということなんでしょうかね。超サイヤ人4ゴジータの髪の毛が赤いのは、すでに単体でゴッドの領域に達しているということなんだろうとは思いますが。でも膨大な気を発していたあたり、完全なゴッドではないような気もします。
 ところで、悟空が仲間の力を借りてゴッドになったことに対して、「悔しい」と言ったのはまさに鳥山明の真骨頂だろうなと思います。そうなんですよ、以前考察した通り、悟空は強くなりたい、強い奴と戦いたいと考えてるだけで、みんなのためとか地球のためとかはあんまり考えてないんです。だから、その場しのぎで他の人の力を借りて勝ったとしても、次は自分の力だけで戦って勝ちたいと考えるキャラなんです。だから、ゴッドに自力でなれなかったことは悟空にとって「悔しい」はずなんです。そこをちゃんと描いてくれたのは良かったですね。劇場版でのブロリー戦や、GTだとなんか当たり前のように仲間の力を集めて強くなってたりしたんで、ここが悟空というキャラクターの描き方の差だったのだと思います。
 そういう意味では、サイヤパワーを集めるという描写も含めて、超サイヤ人ゴッド自体が、鳥山版超サイヤ人4みたいなものなのかなと思います。原作者なら、更に上の超サイヤ人を出すならこういう設定にするよ、という意味で。

・悟空、ベジータ、悟飯のパワーバランス
 魔人ブウ編までにおいて、劇中で合体・吸収抜きでの戦闘力上の単体最強キャラは悟飯でした。ゴテンクスと戦った悪のブウは悟空とベジータでは勝てないことが作中で明言されており、そのブウを完全に圧倒したキャラは悟飯だけであったからです。しかしGTにおいて、超サイヤ人4が出る前から、最強のキャラは悟空であり、次いでベジータが強く、悟飯はその2人には劣るということが明言されていました。これについては謎だったのですが(単に悟飯がなまっただけかと思えた)、悟空は今作において超サイヤ人ゴッドの力を得て大幅なパワーアップを遂げており、ベジータもブルマを殴られた怒りでそれまでの悟空以上のパワーを発揮していました。これらの描写は、この2人が悟飯よりも強くなったことの強調であるように思え、GTでの描写を積極的に肯定しているように感じました。
 また、悟飯がアルティメット化ではなく超サイヤ人になっているイラストがいくつかありましたが、これは超サイヤ人ゴッドを生み出すためのものであったように描かれており、やはりアルティメット化した方が強いということが暗に示されていたように感じました。GTでは悟飯は普通に超サイヤ人になっており、その説明理由にはあまりなっていないのですが、アルティメットと超サイヤ人のどちらにもなれるという実例が示されたことは個人的には良かったと思っています。

・悟空にとってのベジータ
 魔人ブウとの最後の戦いの中において、ベジータはついに悟空がナンバーワンであることを認めました。今回は、それに対して悟空がベジータに対して尊敬の念を抱いていることが語られ、両者の認め合う姿勢が改めて示されたことになります。このあたりは、まさに作者自身が作ったからこそのセリフだったのかなと思いました。
 元々、フリーザベジータが殺された時から、悟空はベジータの持つサイヤ人としての誇りを、その強さ以上に認めていたように描かれていました。悟空にとって、自分がサイヤ人であったという現実は多少なりともショックであったと思うのですが、ベジータの姿勢を見て、自分がサイヤ人であることを肯定的に思えるようになったのかもしれませんね。
 また、ビルスは最後に悟空とベジータはさらに強くなる可能性があるということを語っていました。これは、後にこの2人だけが超サイヤ人4に目覚めることへの伏線の意味があるのかなぁと感じましたね。まぁ、鳥山氏の中でも悟飯は戦いが好きじゃないから能動的には強くならない、悟空とベジータは飽くなき向上心があるからどこまでも強くなれる、という考え方があると思うので、単にそれが示されただけなのかもしれませんが。


 以上のように、ちゃんと色々考えられて作られているのが分かったので、決して内容の濃いストーリーだったとは思いませんが、それでも飽きさせない、旧来のファンでも満足できる描写や設定がちゃんと盛り込まれていたと思いますね。
 GTにも繋がるようにある程度意識してるんだなぁ、と感心した部分もあったんですが、そもそもピラフ一味が若返っちゃってた時点でGTに繋がらないということに気付きました(笑)まぁ、またドラゴンボールを使って年齢を元に戻したという可能性もありますが、やっぱりGTとは別の続編に分岐すると考えた方がめんどくさくなくていいかもしれません(笑)

 さて、物足りなかった点というのは、シンプルです。戦闘シーンについては、強さの底が見えないビルスに対し、超サイヤ人ゴッドになった悟空の力がどこまで通用するのか、という描写が、かつてのフリーザ最終形態と悟空のどっちが強いのか、という展開に非常に似ていて、それを思い出してワクワクしました。結局フリーザ戦と同様、ビルスの方が一枚上手だったということになるのですが、フリーザ戦の場合は、そこから超サイヤ人化というどんでん返しがあったわけで、それがビルス戦にはなかったので、物足りなかったなと思ったんですよね。ゴッドの力を取り込んだという感じになって、お、これでゴッドを超える更に新しい形態が出てくるのか!?と思ったんですが、そんなことはありませんでした。
 結局のところ、悟空は途中で勝てないことが分かって、戦いに勝つというよりも稽古をつけてもらう(かつての亀仙人のように)ことを主目的にシフトしたということが作中でも描かれていたので、それはそれで納得しているんですが、劇場版というのはやっぱりオリジナルのとどめ技とかで最後をちゃんと盛り上げてくれる印象があるので(神精樹から元気をもらったスーパー元気玉、ピッコロの力を借りた100倍界王拳元気玉吸収からの超サイヤ人化、悟空とベジータフュージョン、龍拳、など)、やっぱりエンタメ的にはそういうのがあってもよかったなぁ、と思った次第です。

 ただ、最後ビルスの技を止めきれずに一回力尽きるところは、バーダックフリーザに殺されるところのオマージュだという意見をネットで見たときは、そういうことかと感心してしまいました。ここは、アニメスタッフ側の演出だったんですかねぇ。


 で、超サイヤ人ゴッドという設定が出てから、超サイヤ人4とはどっちが強いんだという疑問がいろんなところで散見されます。映画が終わった後にもそういう話をしている人がいましたし、やっぱり誰もが気になるのかなと思います(笑)
 個人的な私見としては、この話の後にGTが続くのであれば、超サイヤ人4の方が上だと思います。というのも、今回悟空はゴッドの力を取り込んで超サイヤ人1の状態でも大幅なパワーアップを遂げていますので、その状態からさらに4になったということは、この話の時点でのゴッドよりは強くないとおかしい、と思うのです。ビルスも更に強くなる、という言い方をしていますしね。
 ただ、超サイヤ人4の悟空がビルスより強いかというと、それは微妙なところかなと思います。超サイヤ人4のゴジータであれば、もしかしたら勝てるかなというくらいですね。ゴジータは超一星龍を完全に圧倒していましたし。とはいえフュージョンの効果時間内に勝てるかどうかという別の問題がありますね。
 じゃあベジットならどうか、という問題がありますが、比較する材料がないので全くわかりませんね。理論上は、悟飯・悟天・トランクス・パン・ブラの力を借りた超サイヤ人ゴッドのベジットが最強だとは思いますけど、そもそもベジットが再登場すること自体があり得ないでしょうから。

 

 今回映画を見て感じたのは、ドラゴンボールという作品の世間への浸透度ですね。幅広い年齢・性別の人が見に来ていましたし(ぱっと見では20代前半が一番多いように感じました)、映画が終わった後はみんなマニアックなドラゴンボール談義をしてるんですよ。特段マニアでもオタクでもなさそうな人たちがこれだけ語れる作品というのも、かなり希有なんじゃないかと思います。等身大ガンダムを見たときに感じたのに近い、「文化」としての浸透度を感じました。
 今後も新作が続いていくのかどうかはわかりませんが(悟空の「かめはめ…うりゃぁぁぁ」って声が悲しい…もう野沢さんは「波ぁーっ!!」って声を出せないんでしょうか)、改めて日本人に根付いている漫画だったんだなぁと感じることができました。それだけでも、ありがとうと言いたいですね。


 最後に、今回ビーデルのお腹の中にパンがいたことになっていましたが、その時点でブラが生まれていなかったことを考えると、ブルマが妊娠したのはこの後ということになります。というかパンは悟飯の息子で悟空の孫ですが、ブラはベジータの娘でトランクスの妹なんですよね…38歳頑張ったな…(笑)

ドラゴンボールの戦闘力を真面目に考察

 いよいよ触れてはいけなそうな禁断の領域・ジャンプインフレの象徴の一つである戦闘力に足を踏み入れてみたいと思います。

 ここでは前提条件として、ドラゴンボール大全集等の書籍に記載されている数値は一切無視して、原作に出てくる数字のみを基準に考えます。アニメオリジナルも無視です。

 まず、戦闘力という概念が最初に登場するラディッツ戦から順を追ってみます。

 最初に戦闘力が描写されたのは、一般農夫の5という数値でした。ここで成人男性はだいたいそのくらい、という基準が示されます。
 次にピッコロの322という数値が出ます。一般人の60倍以上、まぁ都市一つくらいは消せるのでそれくらい差があっても当然でしょうか。
 ピッコロに対し悟空は334でした。しかしこれは重りをつけていたときの数値で、外すことによって悟空は416、ピッコロは408まで上昇します。戦闘力は基本的に気の量と同義なのですが、それを考えると重りをつけることで発散される気の量も抑えつけられていることになります。行動が制限されるため…ですかねぇ。
 ところで、ラディッツは基本的に戦闘力を口に出して言っているのですが、悟空とピッコロの数値だけは口に出していません。ピッコロがショックを受けるから作者が気を使ったんでしょうかね(笑)
 しかし、上記の戦闘力はあくまでも通常時のもの。技を使うときは、戦闘力はさらに上昇します。悟空がかめはめ波を撃った時の数値は924、ピッコロの魔貫光殺砲は1330でした。魔貫光殺砲は全エネルギーを指先だけに集める技ですし、かめはめ波も元々の説明は「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる大技」でした。そのため、通常時よりもはるかに大きな気を放出することから、戦闘力も上昇するというわけです。

 ところで、このように技を使うときだけ戦闘力が上がる、という描写は、このラディッツ戦と、悟飯がナッパに魔閃光を撃った時くらいでした。ほかの場合は、どちらかというと力を込めて気を開放した時に上昇する描写が多かったように思います。また、ラディッツ戦での悟空とピッコロの戦闘力に比べて、ナッパ戦でのクリリン達の戦闘力は少なくとも1200を超えており(栽培マンが1200であるため)、神様の元などで1年間修業した彼らが、悟空に敗れてから5年間修業したピッコロよりもはるかにパワーアップしているのはどうにも解せないものがあります。しかし、ピッコロの戦闘力を魔貫光殺砲使用時の1330として考えると、現実的な数値であるように感じられます。

 つまり、ラディッツ戦からナッパ戦までの間に、戦士たちは「必殺技の使用時と同等の戦闘力を通常戦闘でも発揮できるようになった」と考えることが可能なのです。この頃から、「周囲の気を探る」という能力や「一気に気を高める」という行為が見られるようになったのは、そのためなのではないでしょうか。
 それまでのかめはめ波などの大技を使うときしか高めなかった気を、通常状態でも発揮できるようになった結果、基本戦闘力が1000を超えるレベルに達することができたのではないでしょうか。界王拳は、それをさらに限界を超えたレベルまで瞬間的に高めることができるものと言えます。その分負担が来ることから、戦闘力を借金しているようなものですね。上げた分、後で下がるという意味で。
 その証拠に、その後も悟空たちは通常時には戦闘力を抑えており、スカウターの数値をは著しく低い値を示しています。ナメック星に到着した時の悟空も、通常の戦闘力は5000と出ていました。そうであるならば、ラディッツ戦での悟空の通常400、本気で900という数値も低すぎることはなかったと言えます。
 なお、ラディッツの戦闘力は作中では明言されていません。ドラゴンボール大全集では1500とされていますが、はっきりとは根拠がないと思います。確実なのは、栽培マンの1200は超えるであろうということですね。ただ悟飯の1307の攻撃でダメージを受け、1330の魔貫光殺砲で貫かれたところを見ると、低く見積もって1300でしょうね。

 ナッパとベジータに比べて弱すぎるよねというラディッツですが、本人の言動はともかくサイヤ人内でのポジションは一般兵レベルだったんでしょうね。ベジータとナッパがフリーザ軍でいうギニューとザーボンぐらいのポジションだとすると、ラディッツはアプールレベルでしょう(苦笑)。ただ生き残りの数少ないサイヤ人だから一応つるませてもらってたって感じなんでしょうね。

 続いてナッパ戦についてですが、戦闘力についてははっきり明言されていません。戦う前に悟飯、ピッコロ、クリリンの戦闘力は981、1220、1083と明言されましたが(誰がどれとははっきり描かれていませんが、アニメで明示されてたようです)、そもそも戦闘中に変化するんだから今の状態で見ても意味がないとベジータに言われ、以後スカウターで測るのをやめてしまっています(つーかナッパは壊しちゃったし)。ただ、ナッパが地球に到着した時に「戦闘力1000を超える反応がひとつやふたつじゃない」と言っているため、少なくとも天津飯の基礎戦闘力は1000を超えていたんじゃないかなと思います。
 この時点でのピッコロたちの最大戦闘力は不明です。悟飯は2800でしたが、ベジータと戦ったときはもうちょっと上がっていたでしょうし、悟飯の魔閃光よりもピッコロが背後から撃ったエネルギー波の方が痛そうにしていたので、ピッコロの戦闘力はそれ以上だった可能性があります。大全集だと3500でしたし。

 クリリンの戦闘力については、ナメック星でフリーザの手下を倒した時の戦闘力が1500程度だったので、少なくともそれくらいまでは上昇していたことになります。ベジータ戦後にそんなに戦闘力上がってないでしょうし。
 そしてナッパの戦闘力についてですが、よく悟空が近づいてきたときの戦闘力5000でうろたえていたからそれ以下だ、と言われるのですが、その割に戦闘力8000以上の悟空の攻撃に何発も耐えてそこそこ戦えていたことから、5000以下は低すぎるという意見もあります。

 戦闘力5000を聞いた時のリアクションは、あくまでも過去の悟空の戦闘力やそれまで戦っていたピッコロたちの戦闘力に比べ、あまりにも高すぎることからの反応のように見えます。一方8000以上と聞いた時のリアクションは、あきらかに自分以上であるというような反応に見えます。そのことから、実際のナッパの戦闘力は5000~8000の間と考えた方が妥当かなと思います。そもそもドラゴンボールの世界では、戦闘力が半分程度の相手は瞬殺することができるように描かれているので、ちょっとナッパが4000は低すぎるように思いますね。
 なお、この時のベジータの戦闘力は、18000であったことが明言されています。そのため悟空の界王拳未使用状態での戦闘力は、2倍では及ばず3倍で上回ったことから、8000~9000の間と考えられます。なお、3倍界王拳かめはめ波ギャリック砲と互角だったのは、最初の3倍界王拳でかなり戦闘力が落ちていたからだと思われます。おそらく6000程度に下がっていたのでしょう。

 その後の戦闘力描写は、主にベジータを中心としたものになっていきます。キュイは18000、治癒後のベジータは24000でした。ザーボン(基本形態)とドドリアはそれ以下とのことですので、18000~24000の間ということで、大全集ではそれぞれ23000と22000とされていました。
 変身後のザーボンに敗れて治療された後のベジータの戦闘力については、リクームと戦ったときに「30000近くまで上がった」とあるので大体29000くらいと考えられます(これ、コミックでは20000近くと書かれているんですが、修正されているバージョンがあるそうです)。となると変身後のザーボンもそのくらいかなと思います。というのも、ベジータザーボンとの2回目の戦闘の際、「油断しているうちに大ダメージを与える」というプランを立てています。これは、逆に言えば油断していないと簡単にはダメージを与えられないことを意味しています。大ダメージを与えれば、相手の戦闘力は下がるので、とどめを刺すのは容易になるというわけです。キュイやドドリア、ジースと戦った際はそのような戦い方はしていないので、これらのキャラに比べると、実力差はかなり小さかったものと考えられます。

 また、ギニュー特戦隊の戦闘力については、ギニュー隊長が120000であること以外明言されていません。

 グルドが10000という大全集の数値は妥当だと思いますが、リクーム・ジース・バータの戦闘力は、ベジータ以上悟空以下としかわからないためはっきりしません。ただ、おそらく60000以下であるのは確実だと思います。というのも、ギニューが当初悟空の戦闘力を見立てた時の数値がそれだからです。この時点で、リクームとバータが倒されていたことを知っていての予測であるため、彼らを倒せるレベルということで60000と予測したのでしょう。ベジータ以上なので、30000~60000の間というところでしょうね。

 最長老に力を引き出してもらった悟飯とクリリンの戦闘力についてですが、グルド戦で10000を超えたという表現をされていたので、10000以上は確実です。ただ20000を超えていたら言い方も変わると思うので、20000以下なのも間違いないですね。

 ただ悟空とチェンジした後のギニューの戦闘力は23000でしたが、このギニューとは2人とも互角以上に戦えていたので、10000台後半だったのかなと思います。悟飯はギニューの気弾が通じなかったので、一度死にかけて復活したこともあってもっとパワーアップしていたと思います。その後フリーザに対してキレたときには、1000000以上の戦闘力相手を吹っ飛ばしてましたし。

 また、ナメック星到着時点での悟空の戦闘力は、界王拳を使って180000であることから90000と大全集では記されていましたが、実際には何倍界王拳であるかを明言していない、また界王拳の最低倍率が2倍であることも明言されていないことから、断定はできないかなと思います。ただ、界王拳を知らないギニューの見立てが85000くらいだったことを考えると、90000は妥当な数値かもしれません。ただそもそも、この頃から悟空は攻撃の瞬間しか戦闘力を高めなくなっているので、通常時の戦闘力は意味を成さなくなっていますね。これ以降あまり戦闘力が明示されなくなるのは、単にインフレが進みすぎているからだけではなく、そもそも常時戦闘力を上げっぱなしという戦闘が減ったからなのだと思います。常時出しっぱなしだと、地球がいくつあっても足りないくらいのエネルギーを持っているキャラ同士の戦いになりますからね、ここから先の領域は。

 フリーザ戦でのベジータの戦闘力ははっきりとはわかりません。全力でぶつかったときの息の切れ方から、5300000には届いていないとは思いますが、対抗できたことから近い数値にはあったように思えます。また1800000まで測れた新型スカウターが壊れたため、それ以上であることも間違いありません。そもそも、「サイヤ人は死にかけてから回復すると戦闘力が上がる」という設定がきわめてご都合主義で、その上昇率に法則性が見出せません。

 ベジータ:18000→24000→30000程度→180000以上→少なくとも100万以上
 悟空:8000~9000→(仙豆4つ消費)→90000以下→少なくとも100万以上

 ベジータは途中までは1.3倍くらいの倍率、悟空は1.8倍くらいの倍率で成長していると思われるのですが、途中から上昇率が跳ね上がっています。フリーザの数値に追いつくためということになるので、結局のところフリーザの数値にインフレの原因があるように思えますね。

 そのフリーザですが、530000という数値は動かすことができません。さらに変身することで100万以上という言葉が出てきており、これが最後の具体的な数値の言及となっています。
 この数値がインフレかというと、実はそうでもなくて、仮に悟空のナメック星到着時の戦闘力が90000だったとして、その10倍界王拳の900000まではその時点で出せたことになるわけですから、100万にわずかに及ばないという絶妙な数値ではあります。その悟空がパワーアップすることでフリーザに対抗できるようになってそうだけど、最終形態のフリーザはそのさらに上だった…という演出なので、基本的に「10倍界王拳で2回目の変身のフリーザまでは対抗できるが、最終形態には及ばない」というラインを守れていればいいのだと思います。

 もっと言ってしまえば、「ベジータは基本形態のフリーザには対抗できるが、変身後には及ばない」「ピッコロは1回目の変身のフリーザまでは対抗できるが、2回目の変身には及ばない」というポジションを守る戦闘力が妥当な数値なのかな、と思います。しかし、悟空には界王拳があるためある程度戦闘力をブーストできますが、ベジータやピッコロにはそれがないのに、フリーザの戦闘力に対抗しなければならないため、インフレが起きているとも言えますね。100歩譲って「ピッコロは界王様の修業を受けたのだから、描写がないだけで界王拳を使えている」と解釈したとしても、ベジータにはそれがないためベジータのインフレだけはどうしても説明できません。やはり天才だということにするしかないんですかねぇ…。

 とりあえず、ベジータは29000くらいから一気にフリーザに対抗できる戦闘力まで上昇したことになるので、10倍以上のパワーアップを果たしていることになります。20倍だとフリーザを超えてしまうので、せいぜい15倍くらいってことでしょうか。つまり450000くらいになっていると。その後もう一度死にかけてデンデにより復活した時も同じくらいのパワーアップ倍率だとすると、45×15で675万となります。
 悟空も同じように15倍程度パワーアップしたとすると、90000程度から135万程度まで上がったということになります。それの20倍界王拳が2700万、フリーザのフルパワーがその倍以上だとすれば5500万くらいですかね。それ以上の超サイヤ人は6000万程度だとすると、実質40~50倍界王拳レベルってことになるのでいい感じです。

 ただ、注意したいのはこの時の悟空とフリーザは、戦う中でかなり戦闘力を落としているということです。悟空の場合、10倍界王拳を使いながらフリーザと戦いダメージを受け、さらに20倍界王拳を使ってほとんどのエネルギーを消費しています。その上、元気玉を作っている間にもかなりのダメージを受け、元気玉の使用でもある程度のエネルギーを使っているはずです(魔人ブウに使ったときは悟空自身の気が足りずに押し返されそうになったため)。そのため、この時点での悟空の戦闘力はほとんど無いに等しい状態だったはずなのです。
 一方のフリーザも、20倍界王拳ではそこまでダメージを受けなかったようですが、元気玉の直撃で本人が「死にかけた」と言っているので、相当のダメージを受けているはずです。そのため、フリーザの最大戦闘力は確かに5500万くらいあるかもしれませんが、実際に作中で戦った時の戦闘力は、それに遠く及ばないものであったと思います。
 悟空は、フリーザ以上のダメージを受けていたがために超サイヤ人になってもフリーザと互角に見える程度だったのであって、双方万全であればやはりトランクスのように瞬殺できるくらいのパワーアップをしていたのかもしれません。

 なお、超サイヤ人は悟空の身体がぼろぼろであっても普通に戦える状態になっていたことから、界王拳のように戦闘力だけを上げるものではなく、肉体そのものもその戦闘力に耐えられるだけの強化が行われるものであると考えられます。これは、ベジータとトランクスが超サイヤ人を超えようとしてさらに肉体が強化されたことからも、明らかでしょう。
 超サイヤ人になったら界王拳は使わなくなったのも、界王拳が「肉体をそのままに戦闘力だけ上げる」技であるのに対し、超サイヤ人が「肉体含めた全てを強化する」という変身であるためでしょう。ただそれはそれでかなり身体に負担をかけているということなので、超サイヤ人の上に界王拳を重ねるのはかなり危険であったのだと思います。悟空がアニメで超サイヤ人状態の界王拳を使っていますが、あれは死んでいるあの世だからこそできたのだと思いますね。

 ピッコロの戦闘力は、100万以上のフリーザに対抗できていたのでやはり同じくらいはあると言えます。このピッコロはネイルと同化したものであるため、戦闘力42000のネイルが何らかの影響を与えていたと言えますね。
 ではネイルと同化するまえの戦闘力はどの程度のものだったのでしょうか。悟空は界王様と修業することで、基本戦闘力が400から5000に上昇しました。1.25倍のパワーアップです。ピッコロの戦闘力が3500であったと仮定すると、その1.25倍は4375…。正直話になりません。
 そもそも、ピッコロは同化前のネイルに「信じられんくらいのパワー」と評されていることから、ネイルと同等以上の戦闘力をその時点で持っていたことになります。また、ネイルはピッコロと同化することでパワーが「数倍になる」と表現しています。これがどのくらいかは定かではありませんが、10倍には満たないと考えると最大で9倍、これを100万で割ると11万程度…でしょうか。高すぎですね。ほとんどギニューレベル。そりゃアニメでチェンジの標的にされるわけです(笑)
 アニメじゃヤムチャたちもギニュー特戦隊以上の戦闘力になっているからピッコロが11万になっていてもおかしくない、という意見もありそうですが、界王様と修業しただけで11万はかなり無理があるんですよね。当時のベジータの6倍以上の戦闘力ということになるんですよ。
 この辻褄を合わせるためには、やはり界王拳を習得していたと考えるしかありません。ただピッコロは戦闘力を引き上げた分身体に負担が生じたという描写はなかったので、界王拳をアレンジして戦闘力をギリギリまで上げる技を身につけていたと考えられます。天津飯が界王様と修業することになった際に、同じ修行では悟空に追いつけないからポイントだけつかんで独自に技を磨く、と言っていました。ピッコロも、同じことを考えていても全くおかしくありません。
 そもそもピッコロはナメック星人なので、肉体に関しては地球人やサイヤ人よりも強化が容易なのかもしれません。神様と同化した後に本気を出したピッコロも、筋肉がかなり膨れ上がっていました。あの世では死なないので限界まで身体を酷使しまくって、悟空以上に界王拳を使いこなすことができるようになったのかもしれません。(そう考えると、神様と同化する前のピッコロが人造人間戦までに相当なパワーアップを果たしていたのも理解できます)。
 だとすると、11万の戦闘力は界王拳状態だと言えます。それが何倍界王拳かによるんですが…当初の悟空は2倍までしか許されていなかったのですが、ピッコロは肉体強化によりさらに上昇が可能になったと考え、またクリリンより弱いとは考えたくないので、20000以上はあると考えると、4倍界王拳だったなら27500、3倍なら36000というところです。このくらいが妥当ですかねぇ…。

 概算値をまとめるとこうなります。

ラディッツ戦時>
悟空:通常400→本気900
ピッコロ:通常400→最大1300(長いチャージ時間を要する)
クリリン:通常200
天津飯:通常250
ヤムチャ:通常170

ラディッツ:1200以上

<ナッパ戦時>
悟空:通常5000→本気8500→2倍界王拳17000→3倍界王拳25500
ピッコロ:通常1200→本気3000以上
悟飯:通常1000程度→本気1500→激怒2800(その後死にかけて回復しているため更にパワーアップの可能性あり)
クリリン:通常1000→本気1500
天津飯:通常1000以上

ナッパ:5000以上8000以下
ベジータ:18000

ギニュー特戦隊戦時>
悟空:通常5000→本気90000→界王拳180000→10倍界王拳900000
ベジータ:24000→ザーボン戦後29000→リクーム戦後430000
悟飯:20000弱→リクーム戦後23000以上(フリーザに一度やられてからさらにパワーアップ)
クリリン:19000程度
ネイル:42000

グルド以外の特戦隊→30000以上60000以下
ギニュー:120000

フリーザ戦時>
悟空:135万→10倍界王拳で1350万→20倍界王拳で2700万→超サイヤ人で6500万
ピッコロ:36000→界王拳で110000→ネイルと同化後100万以上
ベジータ:430000→デンデによる復活で650万?

フリーザ→530000→第2形態110万(2倍)→第3形態550万(5倍)→最終形態50%2750万(5倍)→最終形態100%5500万

<パワーアップの法則>
悟空は死にかけから回復すると1.8倍増
ベジータは死にかけると1.3倍増
悟空、ベジータ共に一定レベルを超えると死にかけからの回復で15倍
ピッコロとネイルの同化は10倍未満
フリーザの変身は1回で2倍、2回で10倍、3回で100倍(通常形態比)
超サイヤ人は50倍

 こう考えると、一番おかしいのは悟空とベジータが途中から死にかけからの復活で15倍パワーアップしているということです(苦笑)
 これこそインフレと言わざるを得ないのですが、無理矢理理由を作ると、サイヤ人の壁を越えて超サイヤ人になれるレベルに到達した時に、急激に戦闘力が上がるのかもしれません。
 ただ、ベジータは2度死にかけてその度に急激な上昇が起きていたことになります。そのため素の戦闘力は悟空よりもはるかに上ということになってしまうのですが…さすが王子としておくべきなのか、ベジータもピッコロのように自己流界王拳を身に着けていたと考えておくべきかというところです。
 ここはあえて後者を選んで考察してみると、ベジータがリクーム戦後に得たパワーアップは単純に1.3倍で38000くらいで、そこから10倍に戦闘力を引き上げることが可能となって380000くらいでしょうか。悟空のように1.8倍のパワーアップなら52000で10倍が520000、ちょうどフリーザに匹敵するくらいになりますね。そのあとデンデによる回復で15倍になったとすると780000、その10倍で780万。まぁこんなところが妥当かもしれません。

というわけで訂正。

ベジータ:29000→52000(10倍界王拳で520000)→デンデの回復で780000(10倍界王拳で780万)

 さらに、悟飯は混血だから2度15倍になっていると考えると、は19000×15×15で427.5万と第3形態のフリーザには及ばないものの大幅パワーアップを実現していたと考えることができます。悟飯はこの後精神と時の部屋で修業するまでそんなにパワーアップしていない(そもそもほとんど強敵と戦っていない)ので、2度の上昇で超サイヤ人2になる条件まで満たしていたのかも…しれません。しかもこれ、界王拳なしですからね(笑)

 超サイヤ人以上の領域は、先に述べたとおり、戦闘力で考察を行うこと自体が無謀です。そもそも瞬間的にしか力を引き上げていないからですね。ただ、戦闘力を引き上げる=それに耐えられる身体を作るということで、超サイヤ人のパワーアップが更なる肉体強化→平常時でも超サイヤ人でいられるよう身体を慣らす→あの世で身体能力を無視したパワーアップを行う、という段階を踏んでいるのは非常に理に適っています。鳥山明氏は、それなりに考えてインフレを発生させていたと思いますね。