どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ドラゴンボールZ 神と神 感想

 ドラゴンボールの考察もしている身としては、これは見に行かないわけにはいかないでしょう、ということで、見てきました。本当は、もうちょっと早く見に行きたかったんですが。

 ネタバレしまくりですのでご注意ください。

 

 

 一言で言ってしまうと、かゆいところに全部手が届いているものの、最後の盛り上がりだけは物足りなかったかな、という感想です。
 というのも、さすが鳥山明原作というだけあって、キャラクターの魅力が存分に出ているということ、ギャグパートのキレが半端ないということ、悟空というキャラクターの描き方、このあたりについては文句なしでした。戦いもいつもの劇場版の「地球がピンチ!突如現れた邪悪な敵に悟空が立ち向かう!!」みたいなノリではなく、純粋に強いだけの存在に対して悟空が力試しをする、というだけの話だったので、終始和やかな話だったのが良かったですね。この辺は、「悪い奴から世界を守る戦い」みたいな話は本当は苦手な鳥山明らしいつくりだったなと思います。なので、逆に劇場版じゃなくてTVスペシャルとかでもいいんじゃないかという気もしましたが、まぁ商売ですからね。

 事前情報として、どうも超サイヤ人ゴッドというのに悟空がなるらしい、ということだけはわかっていたので、なんだよまた悟空最強な話かよと思っていたんですが、その悟空は最後まで勝てずじまい、また他のキャラクターについてもちゃんと見せ場がある(サイヤ人一家だけですが)というのがいい意味で裏切られました。ベジータはもちろん、悟飯やトランクスのギャグパートでの「らしい」見せ場もよかったです。この辺が、GTとかはダメダメだったんだよなぁ(苦笑)
 ビルスが切れる理由も「プリンを食べれなかったから」というのがまた鳥山明らしくて良いです。しかもブウとの取り合いの結果というのがまた低次元で「らしい」ですね。基本的に鳥山明の世界の神様にはろくなのいませんからね…(笑)

 また、過去のエピソードやGT以降との整合性もちゃんと取っていることも感心しました。ざっと整理すると以下のような感じですね。

破壊神ビルスの存在
 今さらブウ以上に強い奴が宇宙にいたとか言われても…と思っていたのですが、破壊の神なので世界の危機には手を貸さない、だからフリーザやブウが暴れても手を出さなかった(そもそもその間は寝ていた)と納得できる設定だったので、思ったよりすんなり受け入れられました。正直人造人間の設定の方が無理があると思いますし(笑)、ある意味では界王神よりよほど神様らしいかなという気がしましたね。
 じゃあ界王神はなんなんだという気がしますが、たぶんあれは破壊でも創造でもなく単に維持・調和の神なんだと思います。だからフリーザ程度ならともかく、宇宙規模で災厄となり得るブウとは戦う必要があったということですね。

超サイヤ人ゴッドの存在
 超サイヤ人4もいるし、まぁ期間限定の変身なんだろうなぁとは思っていたんですが、やっぱりその通りでした。変身方法は純粋な心のサイヤ人が合計6人必要で、だからブウ編までのメンツでは無理だったという整合性も(半ば無理矢理ですが)取れています。まぁ、未来のトランクスを呼んでくればパン抜きでも可能ですが…(笑)
 また、神は戦闘力を表に出さない、という設定は素晴らしいと思います。だから戦闘力を上げるだけではなれないし、そのあたりが悟空にとってヒントになって、ゴッドの力の源泉をつかむことができたんじゃないかと思いますね。元々平常時から超サイヤ人でいることで更にパワーアップする、という発想をした悟空だからこそ、通常時に全く気を発しないという発想にも合点がいったのかなと。界王神天下一武道会ではほとんど力を察知されていなかったのも、その辺が理由だったんだろうと思います。
 ただ、この「5人のサイヤ人のパワーを1人に与える」というアイデア自体は、GTで割と多用されていたりするんですよね…あの時の超サイヤ人4悟空は、実質的に超サイヤ人ゴッドだったということなんでしょうかね。超サイヤ人4ゴジータの髪の毛が赤いのは、すでに単体でゴッドの領域に達しているということなんだろうとは思いますが。でも膨大な気を発していたあたり、完全なゴッドではないような気もします。
 ところで、悟空が仲間の力を借りてゴッドになったことに対して、「悔しい」と言ったのはまさに鳥山明の真骨頂だろうなと思います。そうなんですよ、以前考察した通り、悟空は強くなりたい、強い奴と戦いたいと考えてるだけで、みんなのためとか地球のためとかはあんまり考えてないんです。だから、その場しのぎで他の人の力を借りて勝ったとしても、次は自分の力だけで戦って勝ちたいと考えるキャラなんです。だから、ゴッドに自力でなれなかったことは悟空にとって「悔しい」はずなんです。そこをちゃんと描いてくれたのは良かったですね。劇場版でのブロリー戦や、GTだとなんか当たり前のように仲間の力を集めて強くなってたりしたんで、ここが悟空というキャラクターの描き方の差だったのだと思います。
 そういう意味では、サイヤパワーを集めるという描写も含めて、超サイヤ人ゴッド自体が、鳥山版超サイヤ人4みたいなものなのかなと思います。原作者なら、更に上の超サイヤ人を出すならこういう設定にするよ、という意味で。

・悟空、ベジータ、悟飯のパワーバランス
 魔人ブウ編までにおいて、劇中で合体・吸収抜きでの戦闘力上の単体最強キャラは悟飯でした。ゴテンクスと戦った悪のブウは悟空とベジータでは勝てないことが作中で明言されており、そのブウを完全に圧倒したキャラは悟飯だけであったからです。しかしGTにおいて、超サイヤ人4が出る前から、最強のキャラは悟空であり、次いでベジータが強く、悟飯はその2人には劣るということが明言されていました。これについては謎だったのですが(単に悟飯がなまっただけかと思えた)、悟空は今作において超サイヤ人ゴッドの力を得て大幅なパワーアップを遂げており、ベジータもブルマを殴られた怒りでそれまでの悟空以上のパワーを発揮していました。これらの描写は、この2人が悟飯よりも強くなったことの強調であるように思え、GTでの描写を積極的に肯定しているように感じました。
 また、悟飯がアルティメット化ではなく超サイヤ人になっているイラストがいくつかありましたが、これは超サイヤ人ゴッドを生み出すためのものであったように描かれており、やはりアルティメット化した方が強いということが暗に示されていたように感じました。GTでは悟飯は普通に超サイヤ人になっており、その説明理由にはあまりなっていないのですが、アルティメットと超サイヤ人のどちらにもなれるという実例が示されたことは個人的には良かったと思っています。

・悟空にとってのベジータ
 魔人ブウとの最後の戦いの中において、ベジータはついに悟空がナンバーワンであることを認めました。今回は、それに対して悟空がベジータに対して尊敬の念を抱いていることが語られ、両者の認め合う姿勢が改めて示されたことになります。このあたりは、まさに作者自身が作ったからこそのセリフだったのかなと思いました。
 元々、フリーザベジータが殺された時から、悟空はベジータの持つサイヤ人としての誇りを、その強さ以上に認めていたように描かれていました。悟空にとって、自分がサイヤ人であったという現実は多少なりともショックであったと思うのですが、ベジータの姿勢を見て、自分がサイヤ人であることを肯定的に思えるようになったのかもしれませんね。
 また、ビルスは最後に悟空とベジータはさらに強くなる可能性があるということを語っていました。これは、後にこの2人だけが超サイヤ人4に目覚めることへの伏線の意味があるのかなぁと感じましたね。まぁ、鳥山氏の中でも悟飯は戦いが好きじゃないから能動的には強くならない、悟空とベジータは飽くなき向上心があるからどこまでも強くなれる、という考え方があると思うので、単にそれが示されただけなのかもしれませんが。


 以上のように、ちゃんと色々考えられて作られているのが分かったので、決して内容の濃いストーリーだったとは思いませんが、それでも飽きさせない、旧来のファンでも満足できる描写や設定がちゃんと盛り込まれていたと思いますね。
 GTにも繋がるようにある程度意識してるんだなぁ、と感心した部分もあったんですが、そもそもピラフ一味が若返っちゃってた時点でGTに繋がらないということに気付きました(笑)まぁ、またドラゴンボールを使って年齢を元に戻したという可能性もありますが、やっぱりGTとは別の続編に分岐すると考えた方がめんどくさくなくていいかもしれません(笑)

 さて、物足りなかった点というのは、シンプルです。戦闘シーンについては、強さの底が見えないビルスに対し、超サイヤ人ゴッドになった悟空の力がどこまで通用するのか、という描写が、かつてのフリーザ最終形態と悟空のどっちが強いのか、という展開に非常に似ていて、それを思い出してワクワクしました。結局フリーザ戦と同様、ビルスの方が一枚上手だったということになるのですが、フリーザ戦の場合は、そこから超サイヤ人化というどんでん返しがあったわけで、それがビルス戦にはなかったので、物足りなかったなと思ったんですよね。ゴッドの力を取り込んだという感じになって、お、これでゴッドを超える更に新しい形態が出てくるのか!?と思ったんですが、そんなことはありませんでした。
 結局のところ、悟空は途中で勝てないことが分かって、戦いに勝つというよりも稽古をつけてもらう(かつての亀仙人のように)ことを主目的にシフトしたということが作中でも描かれていたので、それはそれで納得しているんですが、劇場版というのはやっぱりオリジナルのとどめ技とかで最後をちゃんと盛り上げてくれる印象があるので(神精樹から元気をもらったスーパー元気玉、ピッコロの力を借りた100倍界王拳元気玉吸収からの超サイヤ人化、悟空とベジータフュージョン、龍拳、など)、やっぱりエンタメ的にはそういうのがあってもよかったなぁ、と思った次第です。

 ただ、最後ビルスの技を止めきれずに一回力尽きるところは、バーダックフリーザに殺されるところのオマージュだという意見をネットで見たときは、そういうことかと感心してしまいました。ここは、アニメスタッフ側の演出だったんですかねぇ。


 で、超サイヤ人ゴッドという設定が出てから、超サイヤ人4とはどっちが強いんだという疑問がいろんなところで散見されます。映画が終わった後にもそういう話をしている人がいましたし、やっぱり誰もが気になるのかなと思います(笑)
 個人的な私見としては、この話の後にGTが続くのであれば、超サイヤ人4の方が上だと思います。というのも、今回悟空はゴッドの力を取り込んで超サイヤ人1の状態でも大幅なパワーアップを遂げていますので、その状態からさらに4になったということは、この話の時点でのゴッドよりは強くないとおかしい、と思うのです。ビルスも更に強くなる、という言い方をしていますしね。
 ただ、超サイヤ人4の悟空がビルスより強いかというと、それは微妙なところかなと思います。超サイヤ人4のゴジータであれば、もしかしたら勝てるかなというくらいですね。ゴジータは超一星龍を完全に圧倒していましたし。とはいえフュージョンの効果時間内に勝てるかどうかという別の問題がありますね。
 じゃあベジットならどうか、という問題がありますが、比較する材料がないので全くわかりませんね。理論上は、悟飯・悟天・トランクス・パン・ブラの力を借りた超サイヤ人ゴッドのベジットが最強だとは思いますけど、そもそもベジットが再登場すること自体があり得ないでしょうから。

 

 今回映画を見て感じたのは、ドラゴンボールという作品の世間への浸透度ですね。幅広い年齢・性別の人が見に来ていましたし(ぱっと見では20代前半が一番多いように感じました)、映画が終わった後はみんなマニアックなドラゴンボール談義をしてるんですよ。特段マニアでもオタクでもなさそうな人たちがこれだけ語れる作品というのも、かなり希有なんじゃないかと思います。等身大ガンダムを見たときに感じたのに近い、「文化」としての浸透度を感じました。
 今後も新作が続いていくのかどうかはわかりませんが(悟空の「かめはめ…うりゃぁぁぁ」って声が悲しい…もう野沢さんは「波ぁーっ!!」って声を出せないんでしょうか)、改めて日本人に根付いている漫画だったんだなぁと感じることができました。それだけでも、ありがとうと言いたいですね。


 最後に、今回ビーデルのお腹の中にパンがいたことになっていましたが、その時点でブラが生まれていなかったことを考えると、ブルマが妊娠したのはこの後ということになります。というかパンは悟飯の息子で悟空の孫ですが、ブラはベジータの娘でトランクスの妹なんですよね…38歳頑張ったな…(笑)

ドラゴンボールの戦闘力を真面目に考察

 いよいよ触れてはいけなそうな禁断の領域・ジャンプインフレの象徴の一つである戦闘力に足を踏み入れてみたいと思います。

 ここでは前提条件として、ドラゴンボール大全集等の書籍に記載されている数値は一切無視して、原作に出てくる数字のみを基準に考えます。アニメオリジナルも無視です。

 まず、戦闘力という概念が最初に登場するラディッツ戦から順を追ってみます。

 最初に戦闘力が描写されたのは、一般農夫の5という数値でした。ここで成人男性はだいたいそのくらい、という基準が示されます。
 次にピッコロの322という数値が出ます。一般人の60倍以上、まぁ都市一つくらいは消せるのでそれくらい差があっても当然でしょうか。
 ピッコロに対し悟空は334でした。しかしこれは重りをつけていたときの数値で、外すことによって悟空は416、ピッコロは408まで上昇します。戦闘力は基本的に気の量と同義なのですが、それを考えると重りをつけることで発散される気の量も抑えつけられていることになります。行動が制限されるため…ですかねぇ。
 ところで、ラディッツは基本的に戦闘力を口に出して言っているのですが、悟空とピッコロの数値だけは口に出していません。ピッコロがショックを受けるから作者が気を使ったんでしょうかね(笑)
 しかし、上記の戦闘力はあくまでも通常時のもの。技を使うときは、戦闘力はさらに上昇します。悟空がかめはめ波を撃った時の数値は924、ピッコロの魔貫光殺砲は1330でした。魔貫光殺砲は全エネルギーを指先だけに集める技ですし、かめはめ波も元々の説明は「体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる大技」でした。そのため、通常時よりもはるかに大きな気を放出することから、戦闘力も上昇するというわけです。

 ところで、このように技を使うときだけ戦闘力が上がる、という描写は、このラディッツ戦と、悟飯がナッパに魔閃光を撃った時くらいでした。ほかの場合は、どちらかというと力を込めて気を開放した時に上昇する描写が多かったように思います。また、ラディッツ戦での悟空とピッコロの戦闘力に比べて、ナッパ戦でのクリリン達の戦闘力は少なくとも1200を超えており(栽培マンが1200であるため)、神様の元などで1年間修業した彼らが、悟空に敗れてから5年間修業したピッコロよりもはるかにパワーアップしているのはどうにも解せないものがあります。しかし、ピッコロの戦闘力を魔貫光殺砲使用時の1330として考えると、現実的な数値であるように感じられます。

 つまり、ラディッツ戦からナッパ戦までの間に、戦士たちは「必殺技の使用時と同等の戦闘力を通常戦闘でも発揮できるようになった」と考えることが可能なのです。この頃から、「周囲の気を探る」という能力や「一気に気を高める」という行為が見られるようになったのは、そのためなのではないでしょうか。
 それまでのかめはめ波などの大技を使うときしか高めなかった気を、通常状態でも発揮できるようになった結果、基本戦闘力が1000を超えるレベルに達することができたのではないでしょうか。界王拳は、それをさらに限界を超えたレベルまで瞬間的に高めることができるものと言えます。その分負担が来ることから、戦闘力を借金しているようなものですね。上げた分、後で下がるという意味で。
 その証拠に、その後も悟空たちは通常時には戦闘力を抑えており、スカウターの数値をは著しく低い値を示しています。ナメック星に到着した時の悟空も、通常の戦闘力は5000と出ていました。そうであるならば、ラディッツ戦での悟空の通常400、本気で900という数値も低すぎることはなかったと言えます。
 なお、ラディッツの戦闘力は作中では明言されていません。ドラゴンボール大全集では1500とされていますが、はっきりとは根拠がないと思います。確実なのは、栽培マンの1200は超えるであろうということですね。ただ悟飯の1307の攻撃でダメージを受け、1330の魔貫光殺砲で貫かれたところを見ると、低く見積もって1300でしょうね。

 ナッパとベジータに比べて弱すぎるよねというラディッツですが、本人の言動はともかくサイヤ人内でのポジションは一般兵レベルだったんでしょうね。ベジータとナッパがフリーザ軍でいうギニューとザーボンぐらいのポジションだとすると、ラディッツはアプールレベルでしょう(苦笑)。ただ生き残りの数少ないサイヤ人だから一応つるませてもらってたって感じなんでしょうね。

 続いてナッパ戦についてですが、戦闘力についてははっきり明言されていません。戦う前に悟飯、ピッコロ、クリリンの戦闘力は981、1220、1083と明言されましたが(誰がどれとははっきり描かれていませんが、アニメで明示されてたようです)、そもそも戦闘中に変化するんだから今の状態で見ても意味がないとベジータに言われ、以後スカウターで測るのをやめてしまっています(つーかナッパは壊しちゃったし)。ただ、ナッパが地球に到着した時に「戦闘力1000を超える反応がひとつやふたつじゃない」と言っているため、少なくとも天津飯の基礎戦闘力は1000を超えていたんじゃないかなと思います。
 この時点でのピッコロたちの最大戦闘力は不明です。悟飯は2800でしたが、ベジータと戦ったときはもうちょっと上がっていたでしょうし、悟飯の魔閃光よりもピッコロが背後から撃ったエネルギー波の方が痛そうにしていたので、ピッコロの戦闘力はそれ以上だった可能性があります。大全集だと3500でしたし。

 クリリンの戦闘力については、ナメック星でフリーザの手下を倒した時の戦闘力が1500程度だったので、少なくともそれくらいまでは上昇していたことになります。ベジータ戦後にそんなに戦闘力上がってないでしょうし。
 そしてナッパの戦闘力についてですが、よく悟空が近づいてきたときの戦闘力5000でうろたえていたからそれ以下だ、と言われるのですが、その割に戦闘力8000以上の悟空の攻撃に何発も耐えてそこそこ戦えていたことから、5000以下は低すぎるという意見もあります。

 戦闘力5000を聞いた時のリアクションは、あくまでも過去の悟空の戦闘力やそれまで戦っていたピッコロたちの戦闘力に比べ、あまりにも高すぎることからの反応のように見えます。一方8000以上と聞いた時のリアクションは、あきらかに自分以上であるというような反応に見えます。そのことから、実際のナッパの戦闘力は5000~8000の間と考えた方が妥当かなと思います。そもそもドラゴンボールの世界では、戦闘力が半分程度の相手は瞬殺することができるように描かれているので、ちょっとナッパが4000は低すぎるように思いますね。
 なお、この時のベジータの戦闘力は、18000であったことが明言されています。そのため悟空の界王拳未使用状態での戦闘力は、2倍では及ばず3倍で上回ったことから、8000~9000の間と考えられます。なお、3倍界王拳かめはめ波ギャリック砲と互角だったのは、最初の3倍界王拳でかなり戦闘力が落ちていたからだと思われます。おそらく6000程度に下がっていたのでしょう。

 その後の戦闘力描写は、主にベジータを中心としたものになっていきます。キュイは18000、治癒後のベジータは24000でした。ザーボン(基本形態)とドドリアはそれ以下とのことですので、18000~24000の間ということで、大全集ではそれぞれ23000と22000とされていました。
 変身後のザーボンに敗れて治療された後のベジータの戦闘力については、リクームと戦ったときに「30000近くまで上がった」とあるので大体29000くらいと考えられます(これ、コミックでは20000近くと書かれているんですが、修正されているバージョンがあるそうです)。となると変身後のザーボンもそのくらいかなと思います。というのも、ベジータザーボンとの2回目の戦闘の際、「油断しているうちに大ダメージを与える」というプランを立てています。これは、逆に言えば油断していないと簡単にはダメージを与えられないことを意味しています。大ダメージを与えれば、相手の戦闘力は下がるので、とどめを刺すのは容易になるというわけです。キュイやドドリア、ジースと戦った際はそのような戦い方はしていないので、これらのキャラに比べると、実力差はかなり小さかったものと考えられます。

 また、ギニュー特戦隊の戦闘力については、ギニュー隊長が120000であること以外明言されていません。

 グルドが10000という大全集の数値は妥当だと思いますが、リクーム・ジース・バータの戦闘力は、ベジータ以上悟空以下としかわからないためはっきりしません。ただ、おそらく60000以下であるのは確実だと思います。というのも、ギニューが当初悟空の戦闘力を見立てた時の数値がそれだからです。この時点で、リクームとバータが倒されていたことを知っていての予測であるため、彼らを倒せるレベルということで60000と予測したのでしょう。ベジータ以上なので、30000~60000の間というところでしょうね。

 最長老に力を引き出してもらった悟飯とクリリンの戦闘力についてですが、グルド戦で10000を超えたという表現をされていたので、10000以上は確実です。ただ20000を超えていたら言い方も変わると思うので、20000以下なのも間違いないですね。

 ただ悟空とチェンジした後のギニューの戦闘力は23000でしたが、このギニューとは2人とも互角以上に戦えていたので、10000台後半だったのかなと思います。悟飯はギニューの気弾が通じなかったので、一度死にかけて復活したこともあってもっとパワーアップしていたと思います。その後フリーザに対してキレたときには、1000000以上の戦闘力相手を吹っ飛ばしてましたし。

 また、ナメック星到着時点での悟空の戦闘力は、界王拳を使って180000であることから90000と大全集では記されていましたが、実際には何倍界王拳であるかを明言していない、また界王拳の最低倍率が2倍であることも明言されていないことから、断定はできないかなと思います。ただ、界王拳を知らないギニューの見立てが85000くらいだったことを考えると、90000は妥当な数値かもしれません。ただそもそも、この頃から悟空は攻撃の瞬間しか戦闘力を高めなくなっているので、通常時の戦闘力は意味を成さなくなっていますね。これ以降あまり戦闘力が明示されなくなるのは、単にインフレが進みすぎているからだけではなく、そもそも常時戦闘力を上げっぱなしという戦闘が減ったからなのだと思います。常時出しっぱなしだと、地球がいくつあっても足りないくらいのエネルギーを持っているキャラ同士の戦いになりますからね、ここから先の領域は。

 フリーザ戦でのベジータの戦闘力ははっきりとはわかりません。全力でぶつかったときの息の切れ方から、5300000には届いていないとは思いますが、対抗できたことから近い数値にはあったように思えます。また1800000まで測れた新型スカウターが壊れたため、それ以上であることも間違いありません。そもそも、「サイヤ人は死にかけてから回復すると戦闘力が上がる」という設定がきわめてご都合主義で、その上昇率に法則性が見出せません。

 ベジータ:18000→24000→30000程度→180000以上→少なくとも100万以上
 悟空:8000~9000→(仙豆4つ消費)→90000以下→少なくとも100万以上

 ベジータは途中までは1.3倍くらいの倍率、悟空は1.8倍くらいの倍率で成長していると思われるのですが、途中から上昇率が跳ね上がっています。フリーザの数値に追いつくためということになるので、結局のところフリーザの数値にインフレの原因があるように思えますね。

 そのフリーザですが、530000という数値は動かすことができません。さらに変身することで100万以上という言葉が出てきており、これが最後の具体的な数値の言及となっています。
 この数値がインフレかというと、実はそうでもなくて、仮に悟空のナメック星到着時の戦闘力が90000だったとして、その10倍界王拳の900000まではその時点で出せたことになるわけですから、100万にわずかに及ばないという絶妙な数値ではあります。その悟空がパワーアップすることでフリーザに対抗できるようになってそうだけど、最終形態のフリーザはそのさらに上だった…という演出なので、基本的に「10倍界王拳で2回目の変身のフリーザまでは対抗できるが、最終形態には及ばない」というラインを守れていればいいのだと思います。

 もっと言ってしまえば、「ベジータは基本形態のフリーザには対抗できるが、変身後には及ばない」「ピッコロは1回目の変身のフリーザまでは対抗できるが、2回目の変身には及ばない」というポジションを守る戦闘力が妥当な数値なのかな、と思います。しかし、悟空には界王拳があるためある程度戦闘力をブーストできますが、ベジータやピッコロにはそれがないのに、フリーザの戦闘力に対抗しなければならないため、インフレが起きているとも言えますね。100歩譲って「ピッコロは界王様の修業を受けたのだから、描写がないだけで界王拳を使えている」と解釈したとしても、ベジータにはそれがないためベジータのインフレだけはどうしても説明できません。やはり天才だということにするしかないんですかねぇ…。

 とりあえず、ベジータは29000くらいから一気にフリーザに対抗できる戦闘力まで上昇したことになるので、10倍以上のパワーアップを果たしていることになります。20倍だとフリーザを超えてしまうので、せいぜい15倍くらいってことでしょうか。つまり450000くらいになっていると。その後もう一度死にかけてデンデにより復活した時も同じくらいのパワーアップ倍率だとすると、45×15で675万となります。
 悟空も同じように15倍程度パワーアップしたとすると、90000程度から135万程度まで上がったということになります。それの20倍界王拳が2700万、フリーザのフルパワーがその倍以上だとすれば5500万くらいですかね。それ以上の超サイヤ人は6000万程度だとすると、実質40~50倍界王拳レベルってことになるのでいい感じです。

 ただ、注意したいのはこの時の悟空とフリーザは、戦う中でかなり戦闘力を落としているということです。悟空の場合、10倍界王拳を使いながらフリーザと戦いダメージを受け、さらに20倍界王拳を使ってほとんどのエネルギーを消費しています。その上、元気玉を作っている間にもかなりのダメージを受け、元気玉の使用でもある程度のエネルギーを使っているはずです(魔人ブウに使ったときは悟空自身の気が足りずに押し返されそうになったため)。そのため、この時点での悟空の戦闘力はほとんど無いに等しい状態だったはずなのです。
 一方のフリーザも、20倍界王拳ではそこまでダメージを受けなかったようですが、元気玉の直撃で本人が「死にかけた」と言っているので、相当のダメージを受けているはずです。そのため、フリーザの最大戦闘力は確かに5500万くらいあるかもしれませんが、実際に作中で戦った時の戦闘力は、それに遠く及ばないものであったと思います。
 悟空は、フリーザ以上のダメージを受けていたがために超サイヤ人になってもフリーザと互角に見える程度だったのであって、双方万全であればやはりトランクスのように瞬殺できるくらいのパワーアップをしていたのかもしれません。

 なお、超サイヤ人は悟空の身体がぼろぼろであっても普通に戦える状態になっていたことから、界王拳のように戦闘力だけを上げるものではなく、肉体そのものもその戦闘力に耐えられるだけの強化が行われるものであると考えられます。これは、ベジータとトランクスが超サイヤ人を超えようとしてさらに肉体が強化されたことからも、明らかでしょう。
 超サイヤ人になったら界王拳は使わなくなったのも、界王拳が「肉体をそのままに戦闘力だけ上げる」技であるのに対し、超サイヤ人が「肉体含めた全てを強化する」という変身であるためでしょう。ただそれはそれでかなり身体に負担をかけているということなので、超サイヤ人の上に界王拳を重ねるのはかなり危険であったのだと思います。悟空がアニメで超サイヤ人状態の界王拳を使っていますが、あれは死んでいるあの世だからこそできたのだと思いますね。

 ピッコロの戦闘力は、100万以上のフリーザに対抗できていたのでやはり同じくらいはあると言えます。このピッコロはネイルと同化したものであるため、戦闘力42000のネイルが何らかの影響を与えていたと言えますね。
 ではネイルと同化するまえの戦闘力はどの程度のものだったのでしょうか。悟空は界王様と修業することで、基本戦闘力が400から5000に上昇しました。1.25倍のパワーアップです。ピッコロの戦闘力が3500であったと仮定すると、その1.25倍は4375…。正直話になりません。
 そもそも、ピッコロは同化前のネイルに「信じられんくらいのパワー」と評されていることから、ネイルと同等以上の戦闘力をその時点で持っていたことになります。また、ネイルはピッコロと同化することでパワーが「数倍になる」と表現しています。これがどのくらいかは定かではありませんが、10倍には満たないと考えると最大で9倍、これを100万で割ると11万程度…でしょうか。高すぎですね。ほとんどギニューレベル。そりゃアニメでチェンジの標的にされるわけです(笑)
 アニメじゃヤムチャたちもギニュー特戦隊以上の戦闘力になっているからピッコロが11万になっていてもおかしくない、という意見もありそうですが、界王様と修業しただけで11万はかなり無理があるんですよね。当時のベジータの6倍以上の戦闘力ということになるんですよ。
 この辻褄を合わせるためには、やはり界王拳を習得していたと考えるしかありません。ただピッコロは戦闘力を引き上げた分身体に負担が生じたという描写はなかったので、界王拳をアレンジして戦闘力をギリギリまで上げる技を身につけていたと考えられます。天津飯が界王様と修業することになった際に、同じ修行では悟空に追いつけないからポイントだけつかんで独自に技を磨く、と言っていました。ピッコロも、同じことを考えていても全くおかしくありません。
 そもそもピッコロはナメック星人なので、肉体に関しては地球人やサイヤ人よりも強化が容易なのかもしれません。神様と同化した後に本気を出したピッコロも、筋肉がかなり膨れ上がっていました。あの世では死なないので限界まで身体を酷使しまくって、悟空以上に界王拳を使いこなすことができるようになったのかもしれません。(そう考えると、神様と同化する前のピッコロが人造人間戦までに相当なパワーアップを果たしていたのも理解できます)。
 だとすると、11万の戦闘力は界王拳状態だと言えます。それが何倍界王拳かによるんですが…当初の悟空は2倍までしか許されていなかったのですが、ピッコロは肉体強化によりさらに上昇が可能になったと考え、またクリリンより弱いとは考えたくないので、20000以上はあると考えると、4倍界王拳だったなら27500、3倍なら36000というところです。このくらいが妥当ですかねぇ…。

 概算値をまとめるとこうなります。

ラディッツ戦時>
悟空:通常400→本気900
ピッコロ:通常400→最大1300(長いチャージ時間を要する)
クリリン:通常200
天津飯:通常250
ヤムチャ:通常170

ラディッツ:1200以上

<ナッパ戦時>
悟空:通常5000→本気8500→2倍界王拳17000→3倍界王拳25500
ピッコロ:通常1200→本気3000以上
悟飯:通常1000程度→本気1500→激怒2800(その後死にかけて回復しているため更にパワーアップの可能性あり)
クリリン:通常1000→本気1500
天津飯:通常1000以上

ナッパ:5000以上8000以下
ベジータ:18000

ギニュー特戦隊戦時>
悟空:通常5000→本気90000→界王拳180000→10倍界王拳900000
ベジータ:24000→ザーボン戦後29000→リクーム戦後430000
悟飯:20000弱→リクーム戦後23000以上(フリーザに一度やられてからさらにパワーアップ)
クリリン:19000程度
ネイル:42000

グルド以外の特戦隊→30000以上60000以下
ギニュー:120000

フリーザ戦時>
悟空:135万→10倍界王拳で1350万→20倍界王拳で2700万→超サイヤ人で6500万
ピッコロ:36000→界王拳で110000→ネイルと同化後100万以上
ベジータ:430000→デンデによる復活で650万?

フリーザ→530000→第2形態110万(2倍)→第3形態550万(5倍)→最終形態50%2750万(5倍)→最終形態100%5500万

<パワーアップの法則>
悟空は死にかけから回復すると1.8倍増
ベジータは死にかけると1.3倍増
悟空、ベジータ共に一定レベルを超えると死にかけからの回復で15倍
ピッコロとネイルの同化は10倍未満
フリーザの変身は1回で2倍、2回で10倍、3回で100倍(通常形態比)
超サイヤ人は50倍

 こう考えると、一番おかしいのは悟空とベジータが途中から死にかけからの復活で15倍パワーアップしているということです(苦笑)
 これこそインフレと言わざるを得ないのですが、無理矢理理由を作ると、サイヤ人の壁を越えて超サイヤ人になれるレベルに到達した時に、急激に戦闘力が上がるのかもしれません。
 ただ、ベジータは2度死にかけてその度に急激な上昇が起きていたことになります。そのため素の戦闘力は悟空よりもはるかに上ということになってしまうのですが…さすが王子としておくべきなのか、ベジータもピッコロのように自己流界王拳を身に着けていたと考えておくべきかというところです。
 ここはあえて後者を選んで考察してみると、ベジータがリクーム戦後に得たパワーアップは単純に1.3倍で38000くらいで、そこから10倍に戦闘力を引き上げることが可能となって380000くらいでしょうか。悟空のように1.8倍のパワーアップなら52000で10倍が520000、ちょうどフリーザに匹敵するくらいになりますね。そのあとデンデによる回復で15倍になったとすると780000、その10倍で780万。まぁこんなところが妥当かもしれません。

というわけで訂正。

ベジータ:29000→52000(10倍界王拳で520000)→デンデの回復で780000(10倍界王拳で780万)

 さらに、悟飯は混血だから2度15倍になっていると考えると、は19000×15×15で427.5万と第3形態のフリーザには及ばないものの大幅パワーアップを実現していたと考えることができます。悟飯はこの後精神と時の部屋で修業するまでそんなにパワーアップしていない(そもそもほとんど強敵と戦っていない)ので、2度の上昇で超サイヤ人2になる条件まで満たしていたのかも…しれません。しかもこれ、界王拳なしですからね(笑)

 超サイヤ人以上の領域は、先に述べたとおり、戦闘力で考察を行うこと自体が無謀です。そもそも瞬間的にしか力を引き上げていないからですね。ただ、戦闘力を引き上げる=それに耐えられる身体を作るということで、超サイヤ人のパワーアップが更なる肉体強化→平常時でも超サイヤ人でいられるよう身体を慣らす→あの世で身体能力を無視したパワーアップを行う、という段階を踏んでいるのは非常に理に適っています。鳥山明氏は、それなりに考えてインフレを発生させていたと思いますね。

大猿と超サイヤ人

 今回はとても位置づけが曖昧な大猿と超サイヤ人の関係について考えます。


 まず、大猿は月の光に含まれるブルーツ波を一定量以上目に当てることによって、尻尾がある場合のみ変身できるサイヤ人の形態です。
 大猿になると、戦闘力が10倍になり、一部のエリートを除き理性がなくなりサイヤ人の本能のまま周囲を破壊して回ります。

 ところで、この大猿という形態は一体何のためにあるのでしょうか。変身型宇宙人は、カモフラージュやエネルギー消耗を抑えることが一般的な目的であるとベジータは説明していました。また、フリーザは高すぎる戦闘力を抑制するための変身でした。しかし、大猿はそのどれにも当てはまりません。そもそも理性がなくなってしまうので、合理的な変身ではないように思えます。
 考え方としては、元々大猿こそがサイヤ人の原始の姿であり、そこから進化して知恵のある人型でいられるようになった、ということも思いつきますが、そうであるならば何故満月になると変身するのかという説明になりません。

 生物学的に考えるのであれば、サイヤ人の本能と大猿への変身能力に関連があると見るべきです。そしてサイヤ人の本能と言えば、闘争本能です。
 サイヤ人は、より強い敵と戦うことを望む傾向があり、また瀕死の状態から回復する事により大幅にパワーアップする事ができるという性質を持っています。つまりサイヤ人は本能的に強い敵と戦い、大きなダメージを受けつつも生き残る事で、より強い個体へと進化していく性質があると言えます。
 ここで重要なのは、サイヤ人が強くなるためにはダメージを負わなければならないと言うことです。圧倒的な強さで一方的に勝っても意味がありませんし、策を弄して強敵を身を汚さずに倒しても無意味なのです。正面からぶつかって傷を負い、かつ生き残りさえすれば、仮に相手を倒せなかったとしても強くなれます。
 このことから、サイヤ人が大猿に変身する理由も推測できます。理性が無くなったほうが、よりノーガードの殴り合いをしやすくなるということです。いかに傷つく必要があったとしても、痛みを受けることは本能的に避けたくなるものですが、理性がないバーサーカー状態なら傷を恐れることもないと思われます。
 つまり、サイヤ人が大猿になるのは、理性を消失させてノーガードの殴り合いをするため、だったのではないかと思うのです。ガンダムファイトの如く、戦って戦って戦い抜いた者だけがより強くなれる、ということですね。元々、サイヤ人は満月の夜に殺しあう事でより強い者が生き残っていく、という種族だったのではないでしょうか。
 満月の時しか変身できないのは、しょっちゅう変身してたら身が持たないからでしょう。満月の周期=回復期間ということでしょうかね。

 サイヤ人は元々ツフル人の惑星を乗っ取って惑星ベジータとしただけで、それまでは別の場所に住んでいたということになっています。本来のサイヤ人の母星は、大猿バトルをやるのにちょうど良い満月周期だったのではないでしょうか。その月(もしくは母星そのもの)が何らかの理由により失われ、大猿に変身できなくなったため、闘争本能を満たすために他の星を襲うようになり、惑星プラントへ流れ着いたと考えれば、辻褄は合います。
 しかし、惑星プラント改め惑星ベジータは、満月周期が8年に1度ということがアニメでは語られており、とても大猿バトルにより自己を強化する環境にはありませんでした。そのため、フリーザと手を組んで他の宇宙人と戦うことでより強くなる事を求めたのではないかと思います。

 そのように考えると、超サイヤ人とは、大猿バトルを繰り返すことでサイヤ人が到達できる終着点だったのかもしれません。何度も瀕死になりながらも生き残り、死なずにいられた者だけが到達できる領域だとすれば、通常のサイヤ人とは明らかに変わるのもわからなくはありません。1000年に一度というのも、だいたいそのくらいの確率でそこまで到達できるくらい何度も生き残るサイヤ人が現れるということなのでしょう。
 但し、超サイヤ人はただ何度も死の淵から蘇っただけでは覚醒できません。「純粋な心」と「激しい怒り」が必要です。サイヤ人の壁を超えるためには、精神面も重要な側面を占めています。

 そのことをより強く感じさせるのが、超サイヤ人4の存在です。この形態は、超サイヤ人状態の大猿が理性を取り戻す事によって変身できるようになるもので、いわば大猿と超サイヤ人のハイブリッドです。
 ただ超サイヤ人が大猿になるだけでは、黄金の大猿になるだけですが、そこに理性の維持が合わさる事によって、サイヤ人の潜在能力を全て解放した状態とも言える超サイヤ人4になることができるのです。
 大猿形態での理性の維持と、超サイヤ人への覚醒条件となる純粋な心。この2つが揃ったサイヤ人こそ、最強のサイヤ人である、ということになります。

 さて、大猿状態での理性の維持は、ベジータが当初から実現していました。これは、どのようにして可能になったのでしょうか。
 大猿がノーガードの殴り合いをするために理性を失う形態であったとするならば、その状態で理性を維持するということは、大猿状態でも無為な破壊はしないようにするという自然の進化であるとも考える事が出来ます。
 サイヤ人は大猿への定期的変身ができなくなったことで、文化を手に入れました。その大半はツフル人から奪った文化ではあるものの、それを使いこなす知恵は持っていました。しかし文化が発達しても、大猿に変身すればそれを破壊してしまいます。それではいつまでたっても文明が発展しないので、それを避けるために一定レベルに達したサイヤ人が身につけたのが、大猿状態での理性の維持だったのではないでしょうか。理性のある大猿が、ボス猿のように他の大猿を統制し、無駄な破壊をしないように管理していたのかもしれません。そういう形をとるにつれて、次第に王制が生まれていったとも考えられます。サイヤ人の王子であるベジータが、大猿で理性を維持できたのは当然かもしれません。おそらく父親であるベジータ王も、理性の維持が可能だったのではないでしょうか。

 ところで、超サイヤ人4になるには、超サイヤ人3になることが必須なのでしょうか。個人的には、そうは思いません。なぜならベジータ超サイヤ人3になれていないのに4にはなれたからです。そもそも超サイヤ人になってから大猿になったサイヤ人が誰もいないため、いつから4になれたのかは全くの不明です。
 ただ、超サイヤ人4になるには理性が必要であるということを考えると、なんとなく平時から超サイヤ人でいられる通称超サイヤ人第4段階までの覚醒は必要なのかなぁという気がします。推測ですが。

 もう一つ疑問なのが、悟飯とベジータの尻尾が二度と再生しなかったことです。悟空のように神様から特殊な処置を受けたわけでもないのに、地球での戦いで一度切られてから生えてくることはありませんでした。単に作者が面倒だったからなのでしょうが、これにもヒントはあります。それは、悟天とトランクスは生まれつき尻尾がない分戦闘力が高く、超サイヤ人への覚醒が容易だったというドラゴンボール大全集の記述です。
 尻尾がないと超サイヤ人へ覚醒しやすいということは、尻尾の有無と超サイヤ人への覚醒はトレードオフの関係にあるとも推測できます。つまり、悟飯とベジータに尻尾が生えてこなかったのは、すでに超サイヤ人になれるレベルに達していたからなのではないでしょうか(悟飯は早過ぎるような気もしますが、実際のところフリーザ編終了後から精神と時の部屋に入るまで、悟飯は劇的なパワーアップは遂げておらず、死にかけてもいなければ激怒することもなかったので、すでに覚醒するレベルに達していたが、力が発現する機会がなかっただけとも言えます)。
 超サイヤ人サイヤ人の終着点だとすれば、もう大猿になって戦い合う必要もなくなるため、尻尾も不要になるのかもしれません。

 ただそう考えると、尻尾と超サイヤ人の両方が必要な超サイヤ人4の存在は矛盾する事になります。しかしよくよく考えると、悟空は老界王神の力で無理矢理尻尾を引っ張り出しただけですし、ベジータは必要以上のブルーツ波を浴びる事で人工的に変身しただけです。自然な形で超サイヤ人4になったキャラクターは、存在しません。
 本来超サイヤ人4になれるのは、超サイヤ人になった後、一度も尻尾を切られることなく変身できた存在だけなのかもしれません。切れたら生えなくなるとしても、切られなければなくなることはないでしょうからね。
 つまり超サイヤ人4とは本来、超サイヤ人になれるレベルに達しつつ、尻尾を失うことがなかったサイヤ人だけがなれるスーパーレアケースだったのかもしれません。

 そうであるならば、伝説の超サイヤ人ブロリーはそれに近い存在であると言えます。ブロリーに尻尾があるかどうかは服装的にわからないのですが、バイブロリーは培養中に尻尾が生えていたので、おそらくその元になったブロリーにも尻尾はあったはずです。
 ブロリーは理性がほとんどないため、超サイヤ人4にはなれないでしょうが、尻尾を持っているが故に、擬似的に超サイヤ人4に近い形態になっている、ということなのかもしれません。
 そう考えると、筋肉を肥大化させる変身である超サイヤ人第2形態・第3形態(セル戦でのベジータとトランクスの形態)は、尻尾なしで自力で伝説の超サイヤ人の力を(部分的に)引き出した姿であるとも考えられます。尻尾さえあれば、ベジータもトランクスも伝説の超サイヤ人になれていた…のかもしれません。

 超サイヤ人になるレベルに達すると尻尾が退化が、その尻尾を維持していればさらに上の形態になれる、というのはちょっと矛盾しているかも知れませんが、とりあえず色々な疑問点を一気に片付けるとそういう解釈になりました。

 ちなみに超サイヤ人2と3は、大猿の力に頼らない別の変身だと思います。2は、超サイヤ人1の状態で平常心を保てるようになった上で、もう一度超サイヤ人への覚醒を果たすことでなる形態なんじゃないかと思います。また3は、本来時間の概念がないあの世でしかなれないということ、エネルギー消費が激しすぎるということから、継続的に気を放出し続ける事でなれる形態なのではないかと思います。あの世なら気の残量が無限なので、際限なく出してみたらなれた、みたいな感じで。
 そういう意味では、ブロリー超サイヤ人3になれるのはある意味必然かもしれません。気が継続的に溢れてくる存在のようなので。

 しかし、超サイヤ人の気の源泉はどこから来るんでしょうねぇ。界王拳50倍に相当するということですが、その辺のメカニズムもいつか考察してみたいと思います。

レッドリボン軍はフリーザ軍に勝てるか?

 地球人の科学者が作った人造人間が、フリーザ超サイヤ人よりも強いというのはどうにも当時から納得できないことの一つでした。
 しかし裏を返せば人造人間がいればフリーザが攻めてきても勝てるということ。つまりレッドリボン軍が世界征服に成功すれば、仮にサイヤ人が攻めてきたとしても迎撃できたのではないか?というお話です。

 レッドリボン軍が世界征服に成功していれば、おそらくピッコロ大魔王は復活しないのでそのまま時が過ぎるはずです。そしてやがてカカロットを探しに来たラディッツがやってきます。
 まず、この時点でドクター・ゲロラディッツ程度になら勝てる人造人間を作れているか、が焦点になります。

 ゲロが人造人間を開発し続けたのは、悟空への復讐心があってこそです。その悟空への恨みがないとなると開発が滞っている可能性がありますが、そもそもレッドリボン軍から研究する環境と十分な資金が与えられているはずですから、開発はある程度進んでいるでしょう。
 人造人間は悟空がレッドリボン軍に遭遇した時点で8号が存在しており、その後13号以降18号までは全て超サイヤ人と同等以上の性能を持っていました。戦闘力に換算すると150前後から1億くらいまで飛躍しているわけですから、その間の9~12号の過程で相当な強化が行なわれているはずです。
 そう考えると、ラディッツが来襲した時点でそれを上回る戦闘力の人造人間を開発していることは可能…なのではないかと思います。

 ただ、ゲロが想定した性能はベジータ戦までの悟空を観察した上での、その時点での悟空に勝てる程度です。それ以上に強くなってしまったのは、ゲロ自身にとっても想定外であったようにも思えます。何故そんなものが作れちゃったのかは謎ですが。
 また人造人間の本格的な強化がベジータ戦後に行なわれたとすると、それまでの人造人間の性能はさほどではなかった可能性もあります(メカ桃白白って改造したのゲロっぽいですよね)。まずレッドリボン軍が世界征服を行った状況下で、求められる人造人間の性能について考えてみます。

 そもそもレッドリボン軍が世界征服に成功するということは、悟空はどうなっているのでしょうか。基本的に悟空を軍用兵器で倒す事はほぼ不可能ですから、直接戦うことがなかった、と考えるしかありません。悟空とレッドリボン軍が敵対したのは、ドラゴンボールを集めていたからです。そして悟空が探していた理由は単純に四星球を見つけたかったからというだけで、レッドリボン軍が探していた理由はレッド総帥の身長を伸ばすためでした。
 レッド総帥がドラゴンボールで身長を伸ばす事をあきらめているか、ブラック参謀がその真意にいち早く気づき早期にレッドリボン軍を乗っ取っていれば、悟空との衝突は回避可能です。
 しかしレッドリボン軍が世界征服を目標とする以上、悟空と衝突する可能性は常にあります。例えば、西の都を制圧するために戦力を投入してカプセルコーポレーションが危機に瀕したら、悟空はブルマを助けにいくかもしれません。

 ただ普通に考えればレッドリボン軍の目標は中央政府の制圧、つまりキングキャッスルへ侵攻し国王から権力を奪う事で軍事政権を樹立して新しい秩序を作ることでしょうから、それだけであれば悟空とは敵対しないかもしれません。
 そもそもレッドリボン軍が何のために世界征服をしたいのかもいまいちわからないのでその後どうなるかはなんとも言えないのですが、まぁマフィアのもっとたちの悪い物であるとするのであれば、悪人が生きやすい世界を作ろうとするのかなと思います。

 悟空は世界情勢に関わらず修行しており、強い奴と戦おうとするでしょうから、いずれレッドリボン軍とも衝突するかもしれません。ただ、カリン塔に登っていなければ悟空は桃白白には勝てませんので、その時点で倒されてしまう可能性があります。
 そうなると世界最強は桃白白、次いでそれに憧れる天津飯という図式ができあがります。レッドリボン軍の世の中では天下一武道会は武器も殺人もありのルールになりそうですから、天津飯は出場しないかもしれません。そうなると仮に悟空が生きていても戦うことはなく、桃白白の後継者として殺し屋の道を歩くことになりそうです。

 となると人造人間の性能目標は、桃白白を越えることということになります。これはおそらく可能でしょう。ゲロのことだからちょっとそれを上回るくらいのつもりがはるかに強い人造人間を作り出してしまうかもしれません。
 あとは、ラディッツの来襲に対抗できるかどうか、です。まぁ対抗できないとそこで地球は滅ぼされておしまいなんですが、ドラゴンボールを知っている誰かが生き残っていれば、ドラゴンボールを使って復活できるでしょう。まぁ全滅しても神様がドラゴンボールを使うかもしれません。
 とにかくラディッツの攻撃を凌げば、レッドリボン軍ラディッツの強さを目標に人造人間を作るでしょう。そして宇宙人がいるということを知れば、宇宙へ出て更に領地を広げようとするはずです。そしてフリーザ軍とも衝突することになるでしょう。
 しかし人造人間の開発さえ追いついていれば、フリーザさえ倒す事は可能なはずです。ドクター・ゲロの技術力はフリーザを機械化した技術よりも上なわけですからね(笑)

 んー、なんかレッドリボン軍を操作してフリーザを倒すまでが目標のギレンの野望的ゲームが作れそうな気がしました(笑)
 きっと問題は人造人間を意のままに操る技術でしょうね。16~18号は明らかにフリーザより強いですが、制御できませんし。19号はフリーザより強いかというと微妙です。同等の性能のはずの20号が神様と同化する前のピッコロにも負けてたので。
 意のままに操る技術といえば劇場版のドクター・ウィローがピッコロを操ったりしていましたから、そっちの技術を吸収すればどうにかなるかもしれません。
 ポケモン信長の野望とコラボする時代ですから、ドラゴンボールでも是非やってみませんかねこれ…(笑)

戦闘力のコントロールとはどういうことか

 スカウターで戦闘力を測っていた頃のドラゴンボールでは、「戦闘力=気のコントロールができる」ということが主人公側の一つのメリットとなっていました。
 しかし、コントロールができない敵側でも、本気で戦う時に力を込めたりしているなど、必ずしもコントロールしていないようには見えないように描写されていたように思います(初戦闘時のナッパやベジータなど)。
 そもそも漫画なんだから、という問題であるような気もしますが、敵側と味方側で戦闘力のコントロールについてどう違うのか、少し考察してみたいと思います。

 まず、戦闘力をコントロールする、ということがどういうことかを考えてみます。イメージとしては界王拳などを使用したときのように、一時的に気を高めて攻撃力などを強化するようなことだと思えますが、原作の中で初めて描写された「戦闘力のコントロール」とは、悟空がかめはめ波ラディッツに使用したときでした。その後ピッコロが魔貫光殺砲を使用するときも、戦闘力が格段に上昇していました。
 このことから察するに、戦闘力とは「気」の密度・量と同義であるように思えます。かめはめ波は全身の気を集中させて一気に解放する技ですし、魔貫光殺砲は全てのエネルギーを指先に集中して貫通力の高いエネルギー波を撃ち出す技です。
 つまり、戦闘力をコントロールするということは、自らの発する気の量を調節することであると考える事が出来ます。だからこそ、スカウターに察知されないほど気を消す事もできるのでしょう。

 逆に言えば、戦闘力をコントロールできない種族というのは、常時同じ量の気を発し続けているということになります。しかし、先に述べたように一部のキャラクターは、本気の状態とそうでない状態が区別されているなど、コントロールが行われているように見えます。
 ただ、気を発するにしても勢いというものがあるのかなと思います。電気にも電力と電圧があるように、気にも発する勢いによってエネルギーの放出量が変化するのではないかということです。戦闘力のコントロールをせずに本気を出すということは、すなわち体発しているエネルギーをより瞬間的に外に放出するということなのではないでしょうか。

 作中では、大技を使った後は戦闘力が低下するという描写があります。これも戦闘力=気の量であることによって起きるもので、つまり自分の持っているエネルギーを多量に放出した分、自分に残る気の量は減少するということになるのだと思います。
 そう考えると、常時気を発していることになるコントロールできない種族はどんどんエネルギーが減っていってしまうことになりますが、気は生体エネルギーですから常時体内で生産されているのだと思われます。つまりちょっとの気の放出くらいであれば、すぐチャージされるということです。太陽炉みたいなものですね(笑)
 逆にチャージが追いつかないくらいエネルギーを放出したり、ダメージを受けてチャージするだけの身体機能がなくなってしまった場合は、どんどん戦闘力が低下していってしまうのでしょう。

 戦闘力の高い低いという話が議論されることがありますが、これはそのキャラクターが持っている気の総量を比較しているだけなので、MSで言えばジェネレーター出力を比較しているだけのようなものになってしまいます。
 もちろん気と気をぶつけ合うならそれは総量の勝負になるので、純粋に戦闘力の差になりますが、実際にはスピードや防御力といった要素も加味されるわけで、いわば持っている気の量を自分のどのパラメータに振り分けるか、というようなことを戦闘中に行っていることになるのかなと思います。
 超サイヤ人が出たあたりからは、戦っているキャラはほとんど皆地球を一撃で破壊するほどのエネルギーを持っていることになるのですが、その割に地球は全く壊れていません。これは、エネルギー=戦闘力の総量で勝負しているのではなく、瞬間的なスピードや攻撃力で勝負しているからなのではないかと思います。自分の持っている気をどれだけ相手より瞬間的に多く使うかで争っているから、戦闘力の数値計測をする意味がなくなってしまったのでしょう。

 しかし地球を壊すほどのエネルギーを内包して普通に地球で生活している生物というのは冷静に考えると恐ろしいですね。それでいて宇宙空間では活動できないというのもなんだか不思議です。どういうエネルギー代謝になっているんでしょうね…。

ドラゴンボールの複数の時空について

 ドラゴンボールの物語中では、タイムマシンが運用されたことにより複数の時空世界が存在します。
 1つ目は、原作の世界。
 2つ目は、悟空が心臓病で死亡した未来から、原作世界に干渉したトランクスの世界。
 3つ目は、別のトランクスの世界から原作世界に干渉したセルのやってきた世界。
 4つ目は、3つ目の世界のトランクスが干渉した別の原作世界(悟空が心臓病を克服した別の未来)。

 このうち、詳細に語られたのは1つ目と2つ目の世界のみです。
 今回は、3つ目と4つ目の世界がどのような世界だったかを中心に、考察してみたいと思います。
まず3つ目の世界について、これを便宜上セルの未来と呼びます。
この世界は、「何らかの方法で人造人間17号と18号が倒された」世界です。
しかし、初期形態のセルにトランクスが殺されている事から、トランクスは精神と時の部屋で修行しておらず、
おそらく緊急停止コントローラーによって17号と18号を停止させる事で倒す事ができた世界であると考えられます。

つまり、この世界は2つ目の世界(トランクスの未来と呼びます)とほぼ同様の経過を辿りながら、
トランクスは緊急停止コントローラーを持って帰還し、それ故に実力的には特に変化無かったためにセルに敗れたということになります。

そしてそのトランクスが干渉した過去の世界、緊急停止コントローラーによって人造人間を倒したのであろう世界こそが、4つ目の世界であるということになります。
ではこの4つ目の世界は、何故緊急停止コントローラーによって人造人間を倒すことができたのでしょうか。

その答えは簡単です。
原作世界では、緊急停止コントローラーが完成した時点ではすでに17号はセルに吸収されていました。
そして18号を停止して倒す事は可能でしたが、クリリンが18号に情をかけたために使用されなかった経緯があります。
この時点でベジータとトランクスは精神と時の部屋で修行して大幅にパワーアップしていましたので、
3つ目の世界のトランクスの実力を考えると、このタイミングで18号を倒した結果の世界とは考えられません。

だとすれば、単純に4つ目の世界とは、「セルが来なかった世界」であると考えるのが妥当でしょう。
ドラゴンボール大全集では4つ目の世界では「トランクスがいない状態でセルゲームが開幕」と書かれていましたが、それはないかと思います。

そもそも、原作世界はトランクス世界の過去とはいくつか異なる事象が確認されていました。
悟空が心臓病を発症するタイミング、19号と20号の存在、17号と18号の性格、16号の存在などがそうです。
これらの変化はトランクスがタイムスリップしてきた影響であると思われていましたが、
実際にはそれ以前にセルがタイムスリップしてきていた影響が多かったと考えられます。

トランクスが過去にタイムスリップしたことで分岐した並行世界が原作世界ですが、
実はそれ以前にセルがタイムスリップをしたことで、さらに分岐していたわけです。
つまりドラゴンボール世界の4つの時空は、次のように分類する事が出来ます。

原作世界:未来からトランクスとセルがやってきた世界
トランクスの未来:トランクスが原作世界にタイムスリップした世界
セルの未来:トランクスが4つ目の世界にタイムスリップした世界
4つ目の世界:未来からトランクスのみがやってきた世界

4つ目の世界は、セルが来ていないのです。そのため単純に緊急停止コントローラーによって人造人間を倒すだけで問題が解決したのでしょう。
セルが来ていないということは、歴史の変化もあまりないと考えられるため、悟空が心臓病になるタイミングもずれることなく、人造人間とは正面から対決できたと考えられます。
19号と20号がいるかいないかはわかりませんが、いたとしても19号は心臓病になっていない悟空になら倒されていたのかも知れません。
16号がいなかったのは、単純に17号と18号がその存在に気づかなかったからだと思われます。
神様がピッコロとの同化を決意したのはセルを発見したからでしたが、セルがいない世界なので同化していない可能性があります。
ただ、ゲロの研究所で人造人間の設計図を発見し、緊急停止コントローラーの開発に成功するまでの時間稼ぎが必要だったでしょうから、
結局同化はしていたのかもしれません。いずれにせよ想像に頼るしかありませんが。

それよりもこの4つ目の世界は、実は「劇場版の世界」だったと考えるとちょっと都合がよかったりします。
メタルクウラの話(激突!100億パワーの戦士たち)からブロリーの話(燃え尽きろ!熱戦烈戦超激戦)までの3つの劇場版は、
どう解釈しても原作に組み込むのは不可能な話です。それは他の劇場版のほとんどについても言えることではあるのですが、
人造人間を早期に倒し、セルが来なかった世界であれば、上述の3つの劇場版は矛盾無く組み込めることになります。
まぁ、トランクスの存在を考えると本当に矛盾がないのはメタルクウラの話だけですが。


それよりもこの考察の中で生じた疑問があります。
原作世界はセルが来て、かつトランクスが来たことで生じた分岐世界です。
4つ目の世界は、セルが来ず、トランクスだけが来たことで生じた分岐世界です。
トランクスの未来とセルの未来は、どちらも未来から何も来なかった結果の世界です。
両者の違いは、トランクスが原作世界と4つ目の世界のどちらに行ったかの違いでしかありません。
ではこの2つの世界は、何故分岐したのでしょうか。

時間軸の分岐が「タイムマシンを使用する」ことで起きるのであれば、
可能性は2つあります。
1つは、トランクスとセル以外にもタイムマシンを使用した人間がいたこと。
もう1つは、実は原作に描写されていないタイムスリップが1度行われていた、ということです。

トランクスとセル以外にタイムマシンを使用した人物は、作品中1人だけいます。
劇場版(龍拳爆発~)に登場した勇者タピオンです。
この作品はあくまで原作世界の延長であるためこのタピオンの歴史改変がセルの未来を作ったことはあり得ないのですが、
この作品の設定で、タピオンが持っていた剣はトランクスが持っていた剣と同じ、ということになっているのです。
トランクスの未来ではこの劇場版の時代はすでに悟空達が死んでいるため、全く同じ物語にはなりません。
というかそもそもトランクスの未来でタピオンが現れる可能性はあり得ない、矛盾した設定なのですが、
(元々ドラゴンボールでタピオンが封印されていたオルゴールが解放されるという物語なので、ドラゴンボールがないトランクスの未来では復活できるはずがない)
とにかく何らかの形でタピオンがトランクスの未来でも現れ、剣をトランクスに託した後タイムスリップをしていれば、
かなりの過去にタイムスリップしていますので、その歴史改変が巡り巡ってセルの未来を生んだと考える事はできます。

もう1つの可能性についてですが、ドラゴンボール世界のタイムスリップはあくまでも1つの次元からもう1つの次元に移動することであり、
1つの次元に行った人間はまた同じ次元に戻る事ができるということになっています。
最初に原作世界に行ったトランクスは、その後全く同じ次元の延長線上の時間に再度タイムスリップしています。

そう考えると、トランクスの未来のトランクスは、初めから「すでにセルがいる」過去にタイムスリップしているし、
セルの未来のトランクスは、「セルがいない」過去にタイムスリップしていることになります。
これはどういうことかというと、すでにトランクスが過去にタイムスリップした、という事象は2つの次元で起きており、
それぞれの次元のトランクスは別々の次元の過去へ行ったことになるということです。
ということは、トランクスが過去に向かおうとしたその時点で、すでに並行する2つの世界があったことになります。

つまり、トランクスが最初に過去に戻る前に、すでに時間軸の分岐=タイムスリップが行われていたことは間違いないのです。
それが勇者タピオンによるタイムスリップなのではないかと上で述べましたが、そう考えるとトランクスがタイムマシンを使用する前に、タイムマシンは完成し実用化されていたことになってしまいます。
しかし原作のサイドストーリーでタイムマシンが完成したとき、ブルマはテストする時間もないということを言っています。この時点でトランクスは剣を持っていましたから、それ以前タピオンがタイムスリップをしている可能性は限りなく低くなります(そのため、トランクスの剣=タピオンの剣という劇場版の設定はそもそもおかしいということになります)。

ただ、タイムマシンが完成した際、トランクスはすぐそれに乗らず、一度人造人間と戦い敗れています。この際かなり重傷を負っていたようなので、その傷が完治するまでの間にブルマが自分でテストしていた可能性は考えられます。その小さなタイムスリップにより、時間軸が分岐した、という考え方ができるのです。
往復分のエネルギーは8ヶ月かかると原作で語られていますが、過去に戻ってエネルギー満タンのタイムマシンに乗って帰ってくれば消費は片道分で済みます。

原作でそう読み取れる描写など全くありませんが、状況からタイムスリップを行えたタイミングは「成長したトランクスが一度人造人間に敗れてから、その傷が完治するまでの間」しかなかったと考えられます。
そうだとすれば、この1度のタイムスリップのテストが、セルに殺されるはずだったトランクスの未来を変えたことになります。

そこまで考えて一つ思いました。
むしろトランクスがセルに殺された後の未来で、ブルマがセルに殺される前の時間にタイムスリップし、歴史を変えたという可能性もあるのかな、と。
そして歴史が変わったトランクスは「セルが跳躍した過去」にタイムスリップする事で、死を回避することになる、ということも考えられます(まぁ、結局一度はセルに殺されちゃうんですけどね)。
そっちの方が物語としては面白いかもしれません。

ドラゴンボールの物語は、実は3回の歴史改変により奇想天外な物語として完結したのかもしれない、というお話でした。

悟空が敵を殺さない理由

 主人公である孫悟空は、敵キャラを殺そうとしない傾向にあるのですが、それがいわゆる「ガンダムSEED」のキラ・ヤマトや「るろうに剣心」の剣心的な不殺とは違うのではないかと思い、考えてみました。

 いわゆる「不殺」というのは、いわば「人間を殺してはいけない」という道徳観念を貫いたものであり、また自分はもう人殺しにはなりたくない、という殺人体験を経た後の生理的嫌悪感から来ているものでもある、と思います。
 それに対し、孫悟空のそれは、「勝利した後に止めを刺さない」というものであり、ほぼ例外なく対峙し勝利した敵を殺さなければ後々まずいという状況でのみ現れています。

 例えば、ギニュー特戦隊に勝利した時、止めを刺したベジータに対して「何もそこまでしなくても」と何度も言っています。地球でナッパを倒した時も、殺しはしませんでした(ベジータが殺しちゃったけど)。
 悟空がそのようなことを言うのは、「もう勝負はついたから」ということに他なりません。ベジータらにとっては生きるか死ぬかの殺し合いであっても、悟空にとっては天下一武道会の試合の延長くらいにしか捉えていない、ということです。
 これは、育ての親である孫悟飯や師匠である亀仙人の教育の影響によるのではないかと思います。武道家は殺し屋ではない、という鶴仙人とは対極にある考え方を身につけているがために、そのような考え方を持つようになったのでしょう。
 しかし、それにしてはフリーザさえ見逃そうとしたり、やや融通が利かない部分があります。これは、サイヤ人の本能である「より強い敵と戦いたい」という感情が、悟空の持つ「戦い=試合」という観念と合わさっているからなのではないでしょうか。

 例えば、天下一武道会でピッコロに勝利した時。この時はピッコロを殺すと神様も死んでしまうという現実があったものの、ライバルがいなくなるのは寂しいから、という理由も語っています。
 同様に地球にやってきたベジータも見逃していますが、これはもう一度戦って勝ちたいから、という理由でした。
 更に、クリリンを殺したフリーザでさえ、一度は見逃そうとしていました。この時も「更に腕を磨くんだな」と、再戦を考慮に入れていることが分かります。
 魔人ブウについてはさすがに見逃しはしませんでしたが、生まれ変わったら一対一で戦いたいと望み、実際に生まれ変わったウーブと戦うことができました。

 このように、悟空が敵を殺さない理由には、自分に匹敵する実力を持ち、今後も対等に近い勝負ができそうだから、という側面もある事が分かります。サイヤ人の闘争本能を満たす相手がいなくなってしまうというのは惜しい、という考え方があるからなのですが、そこに戦い=試合であるという概念があるからこその考え方であるとも言えます。ベジータもセルをわざと完全体にするなど、より強い敵と戦う事を望む傾向がありますが、とどめはしっかり刺しますからね。

 悟空がそのような思考回路で行動していることがわかると、セルゲームの際に悟空が悟飯に戦わせた理由も見えてきます。
 悟空は、精神と時の部屋での修行で、悟飯の真の力を知りました。それがあればセルに勝てる、というのが作中での言動でしたが、真の目的は「悟飯にセルを倒してもらう」ことではなく「セルに悟飯の真の力を引き出してもらう」ことだったように思います。
 悟空は、セルより悟飯の方が強いと知ってしまったわけです。その時点で、サイヤ人の本能である「より強い敵と戦いたい」という興味の矛先は、セルではなく悟飯に向く事になります。つまり、この時点で悟空の興味はセルと戦う事ではなく、真の力に目覚めた悟飯と戦う事になってしまったのです。
 そのようにして見ると、悟空がやったことも少しは理解できます。悟飯の真の力は怒りの感情がトリガーにならないと発動しません。しかし、実の父親である悟空が息子の悟飯を心から怒らせることはまず不可能です。やはり、フリーザのような極悪な敵の非道な行為に対してでないと…と考えれば、まず悟飯をセルと戦わせて怒らせるように仕向ければいい、という結論になっても不思議ではありません。
 結果的に、悟空の個人的な興味による行為は悟飯を苦しめているだけだとピッコロに諭され、考えを改めるわけですが、とにかく悟空にとってはセルより悟飯の方が強いことを知ってしまった時点で、目標がセルではなく悟飯になってしまったということです。これは、当初ベジータが目標だった悟空が、フリーザの存在を知りフリーザを倒すことが目標になったのと同じ、ということですね。
 悟空は一見不殺を貫く心優しい主人公に見えますが、実際は戦いを全て試合と解釈し、敵味方の関係はリングの上でしか成立しないという概念に基づいて行動しているだけ、という話でした。

 ちなみに悟空が「再戦を望まずに」相手を直接殺したのは、おそらくピッコロ大魔王だけだったのではないかと思います。しかしアニメの劇場版では、悟空が主人公の話ではほとんど悟空が直接敵を殺してしまっています。エンタメ的には当然なのですが、もうちょっと悟空というキャラクターを理解して話を作って欲しかったかな、と思いますね。今思うと。