どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

ベジータの必殺技を考察する

ドラゴンボールに登場する名前付きの必殺技は、かめはめ波や悟空の技以外は割と一回きりのことが多く、むしろゲームなどで定着している部分があります。ピッコロの代名詞でもある魔貫光殺砲も原作ではラディッツ戦以外では使用していません(ナッパ戦で似たような軌跡を描く技は使っている)し。ものまね芸人がよく使うフリーザの「デスビーム」なんてゲームで名づけられた技で、原作でもアニメでも一度も出てきたことのない単語です。

 

そんな中、ベジータは複数の名あり必殺技を持つ珍しいキャラクターです。それだけ大技を撃つ場面に恵まれているとも言えますが、それらの技にはどのような違いがあるのか、改めて考察してみたいと思います。

 

 

ギャリック砲

ベジータの元祖必殺技です。かめはめ波とそっくりな構えで撃つこと、そのかめはめ波との撃ち合いで押し負けたことで有名です。

技名は名乗っていませんが、フリーザ最終形態との戦闘でも同じような技を繰り出しており、全力の技がフリーザに蹴り返されたことが決定打となり、例の恐怖のあまり涙すら流すシーンに続きます。

ベジータ超サイヤ人になってからは、一度も使うことがありませんでしたが、「GT」ではベジータベビーが使用し、「超」ではベジータ本人が使用するだけでなくトランクスとの親子ギャリック砲まで披露しました。

 

かめはめ波そっくりな技ですから、原理もおそらく一緒で、「全身の気を凝縮して一気に開放する」タイプの技であると思われます。悟空戦では地球ごと破壊するつもりで放ち、フリーザ戦で放った技もピッコロがナメック星ごと破壊されることを危惧したほどでしたから、当時のベジータの最大の大技であることには間違いありません。

 

○ビッグ・バン・アタック

超サイヤ人になったベジータの必殺技です。こちらもメジャーですね。原作では人造人間19号に放った1回切りですが、18号に使った片手のエネルギー波もこの技の派生のような気がします。

アニメでは比較的出番が多く、ベジットが使ったり劇場版「激突!100億パワーの戦士たち」で使ったり、「GT」ではベジータベビーが何故かファイナルフラッシュの構えで使用する(ベジータの記憶を取り違えたとか言われてますね)など、ギャリック砲よりも有名な可能さえある技です。

この技は片手で光弾を放つだけなのですが、すさまじい破壊力で19号を一撃で破壊しています。また、超サイヤ人化した状態で空中から地表めがけて撃ったにも関わらず、ピンポイントで狙った敵だけを破壊していることから、ギャリック砲のように星ごと破壊してしまうようなことはないようです。

このことから、フリーザ以上の戦闘力を得て、地球を簡単に破壊できる力を得たベジータが、地球を破壊せずに相手にだけ大ダメージを与える技として開発した可能性が考えられます。

 

ファイナルフラッシュ

精神と時の部屋で修行した「超ベジータ」がセルに放った最高の大技です。だいたい、ベジータ最強の必殺技と言えばこれが挙げられます。

原作ではセル戦1回きり、アニメではセルジュニアにも使用しましたがフリーザのように蹴り返されてしまっていました。ただこれは光弾型かつ地表に向けて放っていたことから、実質ビッグバンアタックであった可能性があります。アニメスタッフはあまりベジータの必殺技を区別していないようです。

実はリクーム戦でもほぼ同じ構えの技を放っており、ゲームによってはこれもファイナルフラッシュであったとされています。そのためおそらく、精神と時の部屋で開発した技ではなく、元々ベジータの技のレパートリーにあったものと考えられます。

こちらは地球ごと破壊してしまう可能性があると言われていたことから、ビッグバンアタックとは違い手加減なしの大技であることが分かります。そうなると、同じく星を破壊する威力のあるギャリック砲とはどういう違いがあるか、気になるところです。

 

あえて違いを挙げるなら、ファイナルフラッシュの方が溜めが長いということでしょうか。最初から両手をくっつけてチャージするギャリック砲と違い、両手を広げて全身で気を高めた上で、両手をくっつけて気を集める描写があることから、より多くの気を長い時間をかけて練り上げている印象があります。

相手に隙があるときしか使えない、とっておきの大技というところでしょうか。

 

ちなみに「超」ではトランクスもファイナルフラッシュを使っていますが、溜めが短いため名前や構えだけ真似ているだけの技である可能性があります。

 

○(おまけ)ファイナルシャインアタック

「GT」で登場したベジータの新必殺技です。しかしGTのベジータはほぼ戦力外だったので、敵に一度もまともなダメージを与えることができませんでした。

技の構えも、初使用時は片手で撃つビッグバンアタック型だったのですが、その後ファイナルフラッシュのように両手で撃ったりもしていて、どんな技か全くわかりません。アニメスタッフはそもそもベジータの必殺技の扱いが適当なので、この技もちゃんと考えられていない可能性が高いと言えます。

あえて言うなら、そこまで溜めが長くない、片手でも撃てるなどの特徴から、ビッグバンアタックの発展型なのだろうとは思います。名前もそんな感じですし。

 

 

というわけで、原作で名前が出たベジータの必殺技の使い分けですが、

ギャリック砲…全力で撃つ技

ビッグバンアタック…星を壊さずに極限まで威力を高めた技

ファイナルフラッシュ…時間をかけて全身全霊で撃つ技

 

という感じなのかなと思います。

超サイヤ人化してからギャリック砲をあまり使わなくなったのは、使うとマジで星が壊れるからで、どうせ壊れるほどの威力になるならファイナルフラッシュでいい、ということだったのかもしれません。

そのファイナルフラッシュの使用頻度もあまり多くありませんが、隙を作れるような戦闘が多くなかったからなのかなと思います。余裕しゃくしゃくだったリクームとか、挑発してあえて食らうように仕向けたセルとか、特殊なシチュエーション限定の技なのかもしれません。

 

○(おまけ2)連続エネルギー弾(グミ撃ち)

名前はありませんが、ベジータの真の必殺技はこれですね(笑)他のキャラクターも(悟空も!)使ったことがありますが、ブウが使ったときに悟空が「ベジータの技」と理解したことからも(ベジータはデブブウ戦では使っていないのでブウは別にベジータの技としては学習していないはず)、ベジータの代名詞のようになっているのが分かります。

だいたい相手に効かない、この後だいたいベジータは致命傷を食らうなど、一種の死亡フラグのような技ですが、打つ手がなくなった時の破れかぶれといった側面もあるので、仕方のないことなのかなと思います。

 

そんなベジータの華麗なるグミ撃ちの記録を追ってみましょう。

 

(1)ザーボン

 この時は瀕死からパワーアップしたことでザーボンに大ダメージを与えています。この技が「圧倒的優位の象徴」として使われた珍しい場面。

 

(2)リクーム戦

 先述のファイナルフラッシュの原型技から続く連続攻撃。土煙がたつ→ノーダメージの黄金パターンが確立した記念すべき戦いです。

 

(3)セル戦

 ファイナルフラッシュが通用せず、やぶれかぶれの状態で使用。当然ながら通用しませんでした。ファイナルフラッシュ→グミ撃ちは黄金パターンなのでしょうか。

 

(4)セル戦(その2)

 自爆後に再生したセルにトランクスが殺され、逆上した状態で使用。こちらもノーダメージな上パンチ一発でKOされ、とどめを悟飯がかばってくれたことで悟飯が負傷。味方にも損害を与える最悪のパターンになってしまいました。

 

(5)ブウ戦

 界王神界での純粋ブウとの戦闘で、悟空のチャージ時間を稼ぐために使用。ブウの肉体は破壊できているのですが、少しずつ後ろで再生を始めているのに気づかず撃ち続けるという、「土煙→やったか?」ではなく「志村うしろー!」という新しいパターンを披露しました。

 

 ちなみに最初の地球での戦いでは悟飯に対して連続エネルギー波を使用していて、ザーボン戦も含めて当初は優位性を示す技として使われていたのが、強敵との負けバトルの演出として使われるように変わっていくいう演出上の変化が見られます。

 一発の威力が高いわけではないので、一撃で大ダメージを与えられるような優位な相手にはより優位になるものの、全力で攻撃してもダメージが通るか分からない不利な相手には全く通用しないという技なのですが、逆上するとつい使ってしまうようです。

 優位な相手にはとことん高圧的に、不利な相手にはひたすら焦るベジータのメンタル面を象徴する技なのかもしれません。

 

 

 というわけで、ベジータの必殺技集でした。ベジータは非常に考察のしがいがあるキャラクターですね。

 

神コロ様の戦闘力

 ピッコロはセル編後半以降、まともに戦闘に参加することがなかったため、実際のところどのくらいの戦闘力だったのか、いまいち分からないままとなっています。久々に実戦参加した「復活のF」ではフリーザの部下に苦戦するほどで、「力の大会」ではあまりガチの強者と戦わなかったのでどの程度かよくわかりませんでした。

 作中の描写から、もう少しピッコロの強さを考察してみたいと思います。

 

 

 ピッコロの戦闘力がはっきり分かった最後の場面は、フリーザ戦です。戦闘力100万以上とされるフリーザの1回目の変身の姿に対し、重りをつけたままで互角以上に戦っていたことから、ピッコロの戦闘力もまた、100万以上であったと思われます。

 その後、フリーザに2回目の変身をされて簡単に逆転されたところで、強さの序列はよくわからなくなりました。その後瀕死から復活を遂げたベジータはピッコロの戦闘力を上回っていたと思われますが、それでも最終形態のフリーザに手も足も出なかったので、この時点でのピッコロは完全に戦力外です(悟飯とクリリンの気を分けてもらった上で、不意打ちでフリーザを海まで蹴り飛ばすのが精一杯でした)。

 

 人造人間が現れるまでの3年間は、悟空と悟飯と共に修行し、それなりのパワーアップを遂げたようです。人造人間20号を圧倒できるくらいの戦闘力は持っていました。ただこの20号の戦闘力自体が不明で、超サイヤ人には手も足も出ないレベルというだけであるため、例えばフリーザと比べてどっちが強いのか、と言われると謎です。強さの見積もりはベジータ戦の悟空で止まっていますしね。

 ピッコロが3年間の修行でフリーザを圧倒できるレベルまでパワーアップしているとは考えにくいので、20号の戦闘力は多く見積もってもフリーザのに最終形態と第2変身の間程度だったのかなと思います。

 

 その後、ピッコロは神様と融合することで、超サイヤ人を上回るパワーアップに成功します。とは言え、17号と全くの互角で勝敗がつかず、スタミナの差で徐々に不利になってきたというくらいなので、超サイヤ人とそこまで大きな差があったようにも思えません。

 ベジータは18号と戦った際、当初は押し気味に戦っていました。18号は17号には戦闘力で劣るということ、超サイヤ人の方がスタミナ消費が激しいということから考えると、神コロ様は超サイヤ人より気の消費が少ないというメリットがあるだけで、超サイヤ人ベジータと比べると18号と17号の実力差くらいの差しかなかった可能性もあると思います。

 

 その後ピッコロは、精神と時の部屋で修行をしてかなりパワーアップした(悟空に「レベルそのものが上がってる」と言われた)ようですが、当然ながら完全体のセルには遠く及ばないレベルでした。ただベジータ、トランクスくらいしかまともに戦えていなかったセルジュニアにやられずに済んでいたので(作者がピッコロを描くのを忘れていたっぽいのですが、とりあえず倒されてはいなかった)、「超ベジータ」くらいの戦闘力にはなっていた可能性があります。

 

 ただ、だとするとそんなピッコロが「ドドリアザーボンに匹敵する」という程度のシサミに苦戦するのは解せないものがあります。それまで大量の兵士を倒していて気を消費していたにしても、実力差が大きすぎます。おそらくシサミが戦闘力をコントロールできるタイプで、真の実力はもっと大きかったということなのだと思いますが、「超」で描写が修正されたのでやはり無理があるということなんでしょうね。まぁピッコロがかなり消耗していたということにしておきます。悟飯のように修行をさぼって戦闘力が大幅に落ちているということも考えにくいですし。

 

 というわけで、ピッコロの最終戦闘力の基準は「セルジュニアに倒されなかったこと」であり、ここからセルの第2形態以上、その時点でのベジータトランクス以下くらいであったことが推測されます。ざっくり言えば、超サイヤ人以上超サイヤ人2以下ですね。ブウ編だとダーブラ以下ということになるので、まぁ活躍できる場があるわけなかったというところです。ヤコンやプイプイには勝てたでしょうけど…。

人造人間19号と20号の目的は何だったか

以前考察の中で、セル編の登場人物の中で一番目的が不明なのが、実は人造人間19号・20号だったという話をしたことがあります。

17号と18号はそもそも目的がなかったことから、とりあえず造られた目的である悟空の殺害を目指すことにしました。16号もその目的は自覚していました。セルは究極の生物である完全体になるのが目的でした。

 

19号と20号も、本来の目的は悟空の抹殺のはずなのですが、何故か悟空と全く無関係の場所で破壊活動を開始しています。

これは、未来のトランクスの予言がそうであったからであり、この時点では人造人間は19号・20号しか存在せず、「悟空のいない世界で破壊の限りを尽くし世界を破滅に追い込む存在」であったためなのですが、その後設定が変更されて未来の人造人間が17号・18号になってしまったために起きてしまった矛盾なのです。

 

つまり本来19号・20号は未来の17号・18号のような「無秩序に人殺しをする凶悪な存在」だったはずなのです。その設定が変わってしまったため、もし悟空が心臓病で死んでいたら、19号と20号は何をするつもりだったのか、分からなくなってしまいました。今回はその理由を考えてみたいと思います。

 

まず、悟空を殺す目的があったのは明らかです。しかし、悟空についてのデータは集めてあったにも関わらず、悟空本人やその関わりがありそうな場所ではなく、全く無関係の都市を攻撃しはじめました。その理由はなんだったのでしょうか。

セルのように、一般人からエネルギーを吸収してより戦闘力を上げようとしていた可能性はあります。ただ、ドクター・ゲロ超サイヤ人の存在を知らず、現時点でも十分勝てるだろうという予測を立てていたことから、それ以上強くなる必要を想定していたようには見えません。

 

未来の17号・18号のように無差別に人殺しをしようとしていた可能性も考えられますが、19号は20号の命令で動くだけですし、20号はドクター・ゲロなので理知的に描かれ、狂気や残虐性はあまり感じられませんでした。ただ作中では常に劣勢であり、どんな目的があれまずは目の前のベジータたちを退けなければならない状況だったので、本当は人類を抹殺したかったという可能性は否定はできませんが、ドクター・ゲロの研究内容からそういう目的があったようには感じられませんでした(もし人類抹殺が目的ならセルにもそのような目的が与えられているはず)。

 

かつてのレッドリボン軍のように、世界征服を目的としていた可能性もありますが、それならいきなりキングキャッスルを狙えばいいことです。

 

このように、正直言って作中描写から考察するのは非常に難しいのですが、とっかかりになるのはセル(や人造人間21号)の研究を続けていたことです。これは、ドクター・ゲロに更なる研究の意思があったということになります。

ドクター・ゲロが20号になったのは、「永遠の命を得るため」であったと自ら語っています。それが何故かと考えた場合、セルの完成が遠い未来になることが明らかだったことから、セルの完成を見届けるためであったと考えることが可能です。

セルはドクター・ゲロは研究を諦めたが、コンピューターが開発を続けていたということになっていましたが、もし死なずに何事も起きていなければ、そのまま自ら20号としてセルの完成を目指していた可能性は十分考えられます。その先には、自らの妻である21号の完成を目指していた可能性も、当然あります。 

ただ、そうだとしても、それが悟空と何のゆかりもない一都市で破壊活動を行う理由にはなりません。ただ、20号の目的が研究なのであれば、その破壊活動も何らかの研究の一環であった可能性があります。

 

ところで、19号と20号が悟空を探していたことは確かです。19号がヤムチャの戦闘力を察知して「いきなり見つかった」と言っていたからです。しかし、何故何の変哲もない南の島から悟空を探し始めたのか、理解に苦しみます。

そもそも、未来のトランクスが人造人間はそこに現れると言ったから南の島に行ったわけですが、トランクスの未来では人造人間出現時にはすでに悟空は死んでいます。つまり未来の人造人間は悟空を殺すためにそこに現れたわけではないのです。

その場所に現れた未来の人造人間が17号・18号であろうと、実は未来にもいた19号・20号だったとしても、そこにいた理由は決して「悟空を探すため」ではないのです。

 

つまり、悟空を探していても、探していなくても、人造人間が「そこ」に現れたということになります。だとすれば、一つの推論が生まれます。

人造人間は「南の都から南西9キロ地点の島」に「やって来た」のではなく、「そこから行動を開始した」のではないか。つまりそこに、17号たちが眠っていた研究所とは別の研究所があり、そこから動き始めたと考えるべきなのではないかということです。

これなら、まだその島から行動を開始した理由が分かります。そこがスタート地点だったからです。そこで破壊活動を行ったのも、単なるウォーミングアップだったのかもしれません。

 

ではそこにはどんな研究施設があったのでしょうか。本来の研究所では16~18号が眠っていましたし、地下にはセルの研究室もありました(劇場版では13~15号も)。ほぼこの研究所で全てを賄っているように見えますが、あと考えられるとしたら、19号の開発、またはゲロ自身を20号に改造した施設だったという可能性です。本来の北の都近くの研究所とは別に施設をもつ理由まではわかりませんが、19・20号はそれ以前の人造人間とは異なるエネルギー吸収式でしたから、必要な機器が違っていたのかもしれません。

レッドリボン軍は全世界を股にかけて行動していましたから、研究施設も各地にあってもおかしくなく、ゲロの研究所だって一つしかないとは限りません。ゲロの研究所はベジータやトランクスとクリリンによって完全に破壊されましたが、それでも人造人間21号が現れたのも、他に研究施設があった証明にもなります。

 

というわけで、人造人間19号と20号の目的は分かりませんが(基本的には悟空の抹殺)、南の都方面の島から行動を開始した理由は、単純にそこに研究所があったからと考えたいと思います。

 

アルティメット悟飯から「甘さ」が消えたのは何故か

当時原作を読んでいて違和感を覚えた部分です。

界王神に潜在能力を限界以上に引き出されてパワーアップした悟飯からは、「甘さ」が消えていました(ピッコロ評)。

超サイヤ人に変身する必要がない(=興奮状態にならない)上に、怒って覚醒しているわけでもない悟飯から甘さを奪ったら、もはや悟飯としての個性がなくなってしまうのではないかとさえ思いました。

 

実際、そのために本来悟飯の個性であった「普段は穏やかだが怒ると爆発的にパワーが上がる」という特性は消え、ただの強いキャラでしかなくなったことにより、その後の「GT」や「超」でも上手く生かされることのないキャラになってしまった印象さえあります。

しかし、何故そうなったかということは、悟飯の心情を考察すれば理解はできます。

 

元々、悟飯が穏やかで戦いが好きではない(むしろ臆病)という性格は、単なる生まれつきのものというだけではありません。

悟飯は幼少時にラディッツに連れ去られ、その後ピッコロに鍛えられ戦士としての訓練を受けましたが、初戦がナッパでした。

 

もう一度言います。初戦がナッパでした。

 

ナッパ戦と言えば、当時の読者の誰もが「所詮ベジータの前座だろう」と思っていたところ、味方キャラを次々と殺害し悟空以外のメンバーがいくら束になってもかなわないという、絶望的な戦いでした。

はっきり言って、原作中のバトルの中でも指折りの凄惨な戦闘です。これが初戦だったんですよ。

 

これは少年時代の悟空に例えると、最初の天下一武道会の予選でいきなりタンバリンと戦うようなものです。チャパ王がタンバリンになってるレベルということです。

悟空は亀仙人の元で心身ともに鍛えられ、クリリンという兄弟弟子とも交流を深め、天下一武道会で少しずつ強い敵と戦って実力を高めていきましたが、悟飯は初戦がナッパです。そのまえの栽培マンとの戦闘でさえ、怯えてしまっていました(そもそもその時点ですでにヤムチャが死んでる)。

 

そして以後、悟飯はまともに「敵に勝ったこと」がありません。ナッパに怒りの魔閃光を放っても通じず、元気玉をまともにくらってボロボロのベジータとなんとか互角に渡り合えるというくらいで、その後もドドリアザーボンという格上とは戦うまでもなく勝てないのが分かるというレベル差でした。フリーザの部下を少し倒したくらいで、戦闘力では勝るグルドにもベジータの助けがなければ殺されていたところです。リクームにも全く歯が立たず、フリーザにも二度逆上して一方的に攻撃していますが、ダメージを与えることはできていません。人造人間との戦いでは戦闘に参加すらしていませんでした。

悟飯にとって唯一完全勝利と言えるのが、セルとの戦いですが、これも自らの増長が悟空の死を招き、最後も悟空の心理的な助けがあってようやく全力を発揮しての勝利だっただけに、自分一人の力で勝てたとはとても思っていなかったでしょう。

 

つまり悟飯は自分の力で勝ったことは一度としてなく、自分の自信につながるようなことは全くなかったんです。そりゃ、戦いが好きになれるはずがありません。悟飯の「甘さ」は戦いが好きでないからこそのものですが、それは戦いで勝つ自信がなかったことが根底にあるのです。

ゲームに例えれば、初心者の頃からランカークラスを相手にして一方的にやられる経験しかしていないわけで、そんなことではいくらそのゲームの才能があって初心者にしてはレベルが高かったとしても、そのゲームを好きになることはできないでしょう。

そんな状態で、自分だけキャラのステータスが本来の上限を超えてパワーアップしたらどうでしょうか。相手がどんな熟練者でも、勝つ自信が生まれないでしょうか。

 

アルティメット悟飯とは、つまるところそういう状態です。一度もちゃんと勝ったことがない戦士が、老界王神の儀式に付き合うだけで限界以上のパワーアップをしてしまった。超サイヤ人への変身をせずとも、超サイヤ人3の父親以上の力を手に入れたわけです。そりゃ、もう負ける気はしないですよ。甘さだって消えるってものです。

ただそれがチートによって与えられたものだからこそ、実力で負けた状態に陥って挽回する策が生まれず、結局主人公の座を下ろされることになってしまったわけですが。

 

悟飯の「甘さ」というのは、自信のなさから生まれていたものだから、強くなって自信が生まれればなくなるものだったのです。その代わり、素の状態で限界まで強くなっているわけですから、怒ってブーストする余地もなくなったわけで、個性も失ってしまった、ということになります。

「超」で悟飯はアルティメット悟飯としての力を取り戻しましたが、これは一時的にチートで得た力でしかなく、本当に戦士として成長するためには、自分で鍛錬して強くなり、そして戦いに勝つことで前向きな経験を積んでいかなければなりません。そこまで掘り下げるだけのエピソードは、与えられない可能性が高いですが。

 

悟飯に残された個性は、妻と娘が出来たという責任であり、これはベジータが背負っているものでもあります。案外、悟飯はベジータを師匠として修行した方がいいのかもしれません。当のベジータが自分の修行(と、カカロットに出し抜かれないこと)にしか興味がないでしょうけど。

 

未来トランクスに見るベジータの面影

 未来のトランクスは、物心ついたときからベジータが死亡しており、悟飯に鍛えられて育ったので、心優しく真面目な好青年であり、とてもベジータとは似ていないというイメージを持たれていますが、そんな彼にも結構ベジータっぽい側面があります。

 

 

(1)敵は容赦なく殺す

 フリーザをバラバラに刻んだ上に粉々に消滅させる、胸を貫いたコルドにとどめを刺す、というところは、フリーザの部下たちと戦った時のベジータの戦い方に非常に似ています。

 人造人間への憎しみしかないため敵は殺すべきものと認識しているのだと思いますが、優しい性格の割に悟飯のような甘さがないあたりにベジータの血統を感じさせます。

 

(2)格下の相手をめっちゃ挑発する

 初登場時のフリーザへの言動は、非常に見下したものでした。「ちがう、貴様を殺しに来た」「超サイヤ人孫悟空さんだけじゃない…ここにもいたということだ」など、非常に自信たっぷりの言動ですが、この性格は悟飯譲りでもブルマ譲りでもなく、非常にベジータ譲りです。

 そもそもトランクスはそれまで人造人間と悟飯以外とはまともに戦ったことがないはずで、フリーザがどのくらいの強さなのかも聞いた話でしか知らないはずなのです。それでも「自分も超サイヤ人なのだからフリーザには勝てるだろう」という憶測だけでここまで自信たっぷりになれるあたりに、自信家ベジータの血統を感じさせます。優しくて若干控えめなイメージがあるトランクスですが、実は敵に対してはとても尊大なのです。

 

(3)自分のパワーアップをめっちゃ過信する

 それが最悪の形で出たのが、完全体セルとの戦いですね。ベジータ以上の変身を身につけたので確実に勝てるという見込みで勝負を挑み、全くダメージを与えられずに終わったというあたり経験不足がもろに出た形ですが、瀕死から立ち直ってきっと超サイヤ人になったはずだと思ってフリーザに挑んで無残に殺された父そっくりでもあります。

 ベジータは小さいころからサイヤ人最強でありながら、フリーザやその幹部にはずっと勝てずにいた環境で育ちましたが、トランクスも幼少時からすでに悟飯に次ぐ戦士であり、人造人間という超えられない敵を倒すことが目標でした。ある意味育った環境が似ていることも、強くなりたい気持ちが強いあまりにちょっとパワーアップするとすぐ無敵になったと勘違いしてしまう要因なのかもしれません。過去にタイムスリップする前にも、トランクスは一度人造人間に勝てると思って一人で戦いを挑んで重傷を負っていますしね。

 

 未来のトランクスの戦士としてのモデルは言うまでもなく悟飯であり、謙虚さや真面目さなどは悟飯を理想としたが故の性格だったりするのかもしれませんが、その本質はかなりベジータ寄りだったりもします。ある意味、ベジータのような少年が悟飯を目指した結果生まれたのが未来のトランクスなのかもしれません。

 ちなみに、現代のトランクスはベジータに鍛えられた割に、あまりベジータの性格には似ていません。自信家で怖いもの知らずなところはありますが、容赦のなさやパワーアップへの過信はそれほどではなく(ゴテンクスはかなり過信していましたが、あれは悟天も混ざっているのでどこまでトランクス由来の性格なのか謎)、本気の戦い、殺し合いを知らないという側面が大きいのかなと思います。未来トランクスが持っているベジータの面影は、やはり育った環境が大きいのかもしれません。

 

悟空と悟飯にとっての「仲間の死」

 悟空がクリリンの死に対する怒りによって超サイヤ人に目覚めたのは有名な話ですが、リアルタイムで漫画を見ていた当時、「クリリンなんて前も死んだしその後も色んなキャラが死んだし唐突じゃね?」と思っていた小学生の自分がいました。

 ただ、改めて悟空の経歴を辿ると、実は悟空はあまり「仲間の死」を目の当たりにしていなかったということに気づきました。

 

 ピッコロ大魔王編において、最初に殺されたのがクリリンでしたが、このクリリンが殺された瞬間も、悟空は見ていません。それでも十分怒りに燃えていましたが、フリーザに「目の前で」殺されたインパクトは、もっと大きかったのでしょう。

 そして、その後亀仙人と餃子が死んだところには、悟空は立ち会ってもいません。それ以前に悟空が死を目の当たりにしたのは、ウパの父・ボラの時くらいでしょう。その時も、悟空は強い怒りを見せ、桃白白を爆殺(生きていましたが)していますし、そのボラを生き返らすためだけにドラゴンボールを集めました。

 

 その後、ナッパとベジータが来襲した際に、悟飯とクリリン以外の仲間は全員死んでしまいましたが、その死の瞬間にも悟空は立ち会っていません。それでも激しい怒りを見せてナッパをいたぶっていましたが。

 そしてフリーザとの戦いでは、クリリンの死の前にベジータの死を目の当たりにしています。この時、悟空にとってベジータはまだもう1人の倒すべき敵であったにも関わらず、強い同情を見せ、サイヤ人としての誇りを受け継ぐ覚悟まで与えていました。

 

 つまり悟空は、仲間の死を大きく捉える感性は持っていましたが、直面する機会が実は少なく、その分クリリンが目の前で死んだ怒りが非常に大きかったのだと言う事ができます。

 

 その後悟空は人造人間やセルとの戦いの中でも誰の死にも直面していませんし、ブウ編でもあの世から見ていたくらいです。ただベジータ天下一武道会の観客を殺した場には居合わせていたため、その怒りによりベジータとの戦いを決意していました。やはり悟空は、目の前の死に対する怒りは強く見せる傾向にあります。ただ、直面する回数が最小限なので、なんとなく死に疎いようなイメージがあるだけです。

 

 

 一方、悟空が直面した回数が少ない割を食っているのが、息子の悟飯です。ナッパ戦での仲間の死はすべて見届けていますし、ナメック星でも多くのナメック星人が殺される瞬間を見ています。もちろん、ベジータクリリンが殺された時もそれを見ています。悟空が少年時代に目の前で殺されたのがボラだけだったのに対して、悟飯はあまりにも人の死を見すぎているように思います。悟空は敵との戦いを「試合」と捉える傾向にありますが、悟飯は初めての戦いからずっと「殺し合い」であり、むしろ味方が死ぬことの方が多かったとさえ言えます。

 このように考えると、悟飯が戦いを好きでないのは、単に性格によるものだけではないのかもしれません。悟飯にとって戦いは相手の命を奪うか奪われるかであり、だからこそ戦う事に躊躇いがあり、怒りで我に忘れた時は相手を殺そうとする傾向にあるとも言えます。だからセルとの戦いも悟空のように楽しめず、自分がセルを殺すまで戦闘は終わらないという思いが本気で戦う気を失わせていたのかなとも思います。

 

 おそらく、悟空と悟飯にすれ違いがあったなら、そこであったのではないかと思います。悟空にとって戦いは試合であり、相手の命を奪わなくても終わるものであることを知っていました。ピッコロの命も、ベジータの命も奪わず、フリーザの命も見逃そうとしました。しかし悟飯は命を奪う戦いしか知りません。悟飯にとって戦いは殺し合い以外の何者でもないということを、悟空は全く知らずにセルを戦わせようとしてしまったのです。

 その意味では、ピッコロ大魔王の息子であるピッコロの方が、悟飯の気持ちが良く分かったのでしょう。ピッコロもまた、父の仇敵である悟空を殺すか、自分が殺されるかしか未来はないと思っていたところ、悟空に命を救われた身です。しかし悟飯には、戦いで命を奪わなくてもいいというモデルケースがなかった。そこが最大の不幸だったのかもしれません。

 

 悟空がそのことを理解していれば、精神と時の部屋での修行で悟飯に命を奪わなくてもいいのだと教えることができたはずです。しかし実際にやったのは、逆にセルへの怒りを増幅させて悟飯に新たな変身をさせることでした。

 悟飯は結局、最後まで殺し合い以外の戦いを知ることなく戦いから身を引く事になります(「超」の力の大会も、敗れたほうが消滅する事実上の殺し合いでした)。もし殺し合い以外の選択肢を知っていれば、悟飯はミスター・サタンのように、魔人ブウと敵対することもなかったのかもしれません。

 

 悟飯は怒りによって力を開放させることができますが、セル戦以外でそれが敵へのとどめになったことはありませんでした。それは悟飯が怒らなければならなかったことが多すぎたからだと言う事もできます。逆に、悟空にとって相手を殺すことは「反則」です。誰かが死ぬことがない、というのが前提であるから、実際に死に直面したときにより強い怒りを見せるのでしょう。滅多にないことだからこそ、悟空はクリリンの死で超サイヤ人になることができたのです。

孫悟空の驕り

 「復活のF」で、悟空は自分の力に自信がありすぎるあまり、油断しすぎる傾向があるとウイスに指摘されていました。しかし、過去の作中の悟空の振る舞いからが、そこまで悟空が油断をするという描写はないような気がします。

 実際の悟空の振る舞いを思い返してみると、どうでしょうか。

 

 まず少年時代は、あまりそういう傾向は見られません。最初の天下一武道会ジャッキー・チュンに負けたこともあり、世界にはもっと強いヤツがいると常に上を目指して修行していました。

 いわゆる「舐めプ」っぽい行動がみられるようになったのは、成長し身長が伸びてからでしょうか。第23回天下一武道会での天津飯戦では、ズボンの帯を奪うなど相手をおちょくる戦い方をしていました。

 ナッパは界王拳で瞬殺できるのにすぐしなかったのは、消費を抑えたいのと殺された仲間の恨みを一発ずつお見舞いしたかったからだと思うので、舐めプとはちょっと違いますね。

 ギニュー特戦隊戦では、「おめえはオラには勝てねえ、戦わなくてもわかる」と無駄な戦いを避けるようになりました。このあたりで一定のレベルより下の相手は試合相手にもならないとみなすようになってきます。

 

 間を一度飛ばして、魔人ブウ編では、超サイヤ人3になる前に、「オラもベジータも甘く見すぎていたよ」と、魔人ブウがそんなに強いと思っていなかったという言葉を発しています。この時点での悟空は、もう自分に匹敵する強さの敵はこの世にはいない、というところまで極めた自信があったようです。実際、ダーブラ含めたバビディ一味に対してはかなり余裕の態度を見せていました。

 おそらく、悟空は超サイヤ人2になり、その上の3まで達したことで、これ以上の世界はないと思い至っていたのだと思います。その上の世界をビルスに教えられ、また上昇意欲が生まれるに至るのですが、それでも油断癖を指摘されるということは、それだけ「強くなった」という自覚があるからなのでしょう。復活したフリーザに対しても落ち着いた態度でいましたし、戦闘力では負けている自覚があっても、すぐにピークが過ぎると看過していましたし、簡単には負けない自信があるようでした。

 

 あえて飛ばしたセル編ですが、この頃は悟空が心臓病になってしまったこともあり、あまり悟空が強い相手にどう挑むかという姿勢を見ることができません。そのため判断が難しいのですが、トランクスに未来を教えられ猶予が3年あったにも関わらず、悟空はたいしてパワーアップしていなかったこと、その後精神と時の部屋で1年修行しただけで大幅にパワーアップしたことを考えると、そこまで真剣に力を伸ばすことを考えていなかったように思えます。もちろん、悟空と同等に戦える修行相手がいなかったからでもありますが、超サイヤ人になったことでかなり強くなった自覚があり、人造人間がそれ以上に強いとはあまり信じられなかった部分があるのではないかと思います。実際、ベジータ超サイヤ人になったことでかなりの自信を見せており、18号に敗れた際はかなり困惑していました。

 悟空は強い相手を知る度に、それに勝つために修行に勤しむというパワーアップの仕方をしてきましたが、セルという相手がいても悟飯より先に超サイヤ人2になろうとはしなかったように、超サイヤ人への覚醒が悟空に「これ以上強くなる方法はないのではないか」と思わせてしまった側面があるのかなと思います。鳥山明氏が、超サイヤ人より強くするアイデアが思いつなかったと言っていましたから、作中の悟空もそう思っていたのでしょう。悟飯にセルの相手を任せたのは、悟飯が覚醒しないと超サイヤ人の上が見えなかったことの証左でもあります。

 

 そんな悟空が再び強さを目指すようになったのには、先述の通りビルスの登場が大きかったのですが、もう一つにベジータと一緒に修行するようになったというのが大きいのかなと思います。フリーザ編までは、亀仙人・カリン様・神様・界王様と何らかの師匠がいたことで強くなってきましたが、自分で修行するようになるとあまり身が入らなかったようにも思えます。同等の強さを持つ人物がいませんでしたし、精神と時の部屋では悟飯を超サイヤ人にして対等に修行をしていましたが、やはり息子相手では真剣になりにくかったのでしょう。

 そんな中で、それまで一緒に修行するなどとは(ベジータの方が)思わなかったところ、ベジータが悟空を認め和解したことで、一緒に修行をできるようになり、共に伸びるという楽しさを思い出したのかもしれません。ちょうど亀仙人の下でクリリンと一緒に修行していたのと、ウイスの下でベジータと一緒に修行しているのは同じ構図ですしね。

 その意味で、悟空にとっては「ベジータと一緒に競える環境」というのが非常に理想的で、その状況になるまでの間、孤高の最強戦士だった期間に悟空の驕りが形成されていったのかなと思います。

 

 しかし、亀仙人ジャッキー・チュンとして悟空の前に立ちはだかっていなかったら、もっと早く悟空は自分の強さに驕れるようになっていたのかもしれません。そう思うと、やはり亀仙人は師匠として素晴らしい人間だったと思いますね。