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どらごんぼーる考察

がんだまぁBlogからドラゴンボール記事を移植しました。以後ドラゴンボール考察はここで展開します。

超サイヤ人3は燃費が悪い特別な形態

 アーケードゲームドラゴンボールヒーローズを中心に、既存のサイヤ人キャラを片っ端から超サイヤ人3にする傾向があります。これらのゲームオリキャラ自体は、個人的にはあまり否定的には見ていません。というかハッチヒャックベビーとか超サイヤ人4悟飯とか、設定的に無理のないオリキャラが多いので、いいぞもっとやれと思っている部分もあります。

 

 ただ、超サイヤ人3に関しては、「確かに修行すればみんななれるかもしれないけど、なる必要のない形態だよね」と思っています。

 というのも、元々この形態は、原作で悟空が「あの世でしかなっちゃいけない変身」と言っていた通り、本来現世では著しく効率の悪い形態だからです。実際、ゴテンクスフュージョンの時間を大幅に短縮させ、悟空自身も復活した後は自分でもわからないタイミングで時間切れになってしまっていました。

 超サイヤ人3の説明について、「時間という概念がない」あの世でしかなっちゃいけない姿と言っていることから、とにかく時間制限がある変身であるのは間違いありません。地球から界王神界まで気が届くくらいエネルギーを放出しているわけですから、エネルギーの消費が激しすぎる形態だということは容易に想像できます。

 個人的な推測としては、界王拳が戦闘力の前借り(一時的に力を高める代わりに、後で大きく低下するという意味で)であるとすれば、超サイヤ人3はエネルギーの前借りなのかなと思います。瞬間的に莫大な気を凝縮させて変身する変わりに、後で急激に気が低下するという意味です。戦闘力=気ではないのかとツッコミを受けそうですが、界王拳が戦うために必要な気を高めるだけなのに対し、超サイヤ人3はその姿に変身するために気を使う(変身した後に戦う際に使う気は、特別大きい消費ではない)という点が違うのかなと思います。

 あの世では死んでいて仮の肉体を与えられている状態であるため、その気には上限がなく(食事等も本来は必要ないはずなので、見た目や構造、強さなどは生前を再現していても、機能的には生物ではないはず)、超サイヤ人3に変身してもデメリットが発生しないものの、現世の肉体だとそうはいかないということなのでしょう。

 

 そういう意味で、生きているサイヤ人超サイヤ人3に変身するメリットはあまりないと言えます。特に、筋肉を異常に増大させる超サイヤ人第3形態(いわゆるムキンクス形態)にあえて変身しなかったべジータなどは、超サイヤ人3にはなれたとしても効率が悪いとして別の形の強さを目指したのではないかと思います。悟空も、アニメではサービス的にブルー覚醒後でも超サイヤ人3に変身することがありましたが、本来は全くなる意味のない形態であるはずです。超サイヤ人にならなくてもゴッドに準じた力があるはずですし(実際、複製べジータは変身せずに超サイヤ人3ゴテンクスに圧勝していました)。

 だから、あんまりゲームで超サイヤ人3を乱発してもリアリティが若干落ちるかなぁという気がします。全員ムキンクスにしているようなものですから。

 

 もしあり得るとしたら、あの世で修行した未来悟飯とかぐらいじゃないですかね?まぁゴテンクスがなっているので、悟天・トランクス・ゴジータベジットはなってもいいかもしれませんが、ポタラはともかくフュージョンでは大きく時間を減らしてしまいますし、ゴテンクスの場合も天才ぶりの表現と最後の奥の手として出てきただけで、悟飯の前座扱いのための変身だったのかなぁと思います。

 あぁ、気が自然に増幅するっぽいブロリーはありかもしれませんね。そもそも伝説の超サイヤ人と普通の超サイヤ人の違いが明確化されていないので、同じように超サイヤ人3になれるものなのかという疑問はありますが。逆にブロリー超サイヤ人4は個人的にはあり得ないと思います。大猿+理性が必要なんですがブロリーは元から大した理性ないですし。制御装置を取り付けた状態で人工的に作り上げるのならまだありかもしれませんけどね。

 

 これは超サイヤ人3を否定していたり嫌いだと言っているわけではありません。むしろあれは「あの世から戻ってきた悟空」限定の形態でいてほしかったなぁと思うのです。超サイヤ人の中では異形な感じが強く、一時的に主人公ではなくなった悟空だからこその姿なのかなぁと思いますしね。ゴテンクスはその模倣としてアリだと思いますが、その次に出てきたのがシンプルなアルティメット悟飯で、その後更に無駄のない超サイヤ人ゴッドへと続くわけですから、超サイヤ人3はやっぱり邪道中の邪道であるべきかなぁと思うのです。

セル編以降の真の主人公はべジータだったかもしれない、という話

 ドラゴンボールの物語は、基本的に主人公である悟空を中心に進んでいきますが、アニメにおける「Z」となるサイヤ人編以降は、実は悟空は物語の中心から外れていきます。というのも、悟空は死んだり重傷を負ったり病気になったりして一時的に戦線を離脱し、その間に他の仲間たちが戦い、他の誰もが勝てない強敵にぶち当たったところで悟空がやってくる、という話の作り方に変わるからです。

 悟空が離脱している間、物語の中心になるのは息子の悟飯でした。まだ実力不足の悟飯が、仲間たちのサポートを受けながらなんとかピンチを切り抜けていき、どうしようもなくなったときに悟空がやって来る、というのが黄金パターンだったと言えます。

 しかし、それもフリーザ編までの話で、人造人間が登場してからは、悟飯さえ物語の中心から外れていきます。もちろん最後にセルを倒したのは悟飯なのですが、精神と時の部屋超サイヤ人に目覚めるまでは、悟飯は中心どころかまともに戦いにさえ参加する機会がありませんでした。唯一の戦闘シーンは、20号に捕まったピッコロを救出したときに一発食らわせた瞬間だけだったと言えます。

 人造人間編において、悟空不在の間に中心になっていたのはべジータです。離脱した悟空に代わって超サイヤ人となって戦い、19号や18号と戦った後、修行してパワーアップしてセルとも戦います。フリーザ編でもある意味べジータが活躍していましたが、あくまでも第三陣営としての働きであり、主人公サイドの活躍ではありませんでした。

 

 人造人間編以降におけるべジータは、ある意味物語を面白くするために存在したキャラであったと言えます。本来なら起動前に倒せてもおかしくなかった17号と18号を目覚めさせるタイミングを与え、セルの完全体化も見逃しています。更に自爆後に復活したセルに逆上して突っ込み、悟飯に大きな傷を負わせて不利な状況にしてしまいました。魔人ブウを復活させるきっかけを作ったことも含め、べジータがいなければ、何事もなくあっという間に物語を終わらせることができたはずです(笑)。

 17号と18号の起動とセルの完全体化を見逃したのは、より強い者と戦いたいというサイヤ人の本能によるものでしたが、自爆後のセルへの突撃と魔人ブウ復活については、非常に人間味のある心理を根拠としています。実はパワーインフレでストーリーを進めてきたドラゴンボールにおいて、感情的な理由で物語を複雑化させる事例はそう多くなく、その意味でべジータは作中でも屈指の人間臭いキャラへと進化したと言えます。

 特に、「トランクスが殺されたことによる逆上」という、それまであまり伏線のなかったべジータの感情は、少し深く考察してみる必要があると思います。それまで、べジータは特にトランクスに対して特別な感情は抱いておらず、セル完全体化を阻止しようとしたトランクスには本気で攻撃を仕掛けたりもしていました。この時のべジータの心情は、一体どのようなものだったのでしょうか。

 

 一つ鍵となるのは、べジータサイヤ人の王子であるということです。自分が王子でエリート中のエリートであることに誇りを持っていたキャラであることは、べジータアイデンティティの一つなのですが、それはつまり、自分という個人だけでなく、サイヤ人という一族、あるいはその中でも王族という特別な血統にあるという自覚を持っていることを意味します。

 それは自分自身が強くなればいいと思っている悟空とは決定的に違う点で、つまり自分だけでなくサイヤ人全体や自分自身の一族が最強でありたい、という思いがあるのがべジータなのではないかと思うわけです。

 悟空の死後、戦う気を失ったように見えたべジータは、7年後、トランクスを悟飯よりも強くしたいという気持ち(ブルマ談)で稽古をつけていました。べジータは自分の息子が、下級戦士の息子より弱いということも認めたくなかったのでしょう。また悟空よりも悟飯の方が強かった=純粋なサイヤ人より地球人とのハーフの方が強いという理解から、トランクスは自分より強くなれる可能性があり、同じハーフなら王子の息子であるトランクスの方が悟飯より強くなれるはず、という期待もあったのかなと思います。実際、天下一武道会でトランクスが悟天に勝ったときも、「俺の息子の方が血統が良かった」と喜び悟空に大して自慢していました。べジータは明らかに自分の血筋にも誇りを持っており、個人レベルに留まらず家族というものに視点が行くサイヤ人であると言えます。それ故に「神と神」以降の家族を大切にするべジータに繋がっていくのでしょう。

 

 だとすれば、セルとの戦いでトランクスが死んだときの気持ちも推測できます。それは、単に自分の息子が殺されたという悲しみから来る怒りではありません。その前段階として、悟飯が悟空や自分以上の力を目覚めさせたという現実がありました。べジータ自身が目標としていた悟空の力を、軽く上回る圧倒的な力を覚醒させた悟飯に対し、自分の息子であるトランクスは、あっけなく殺されてしまいました。このことにより、悟空に対して抱いていた劣等感が、悟飯とトランクスの落差により余計に爆発したということなのではないでしょうか。

 更に、その直前には目標としていた悟空が死んでいます。悟空はほぼ、悟飯の力の覚醒と引き換えに無理矢理戦わせ苦しい思いをさせたことへの代償という形で死んだに等しく、ある意味父親としての責任を取ったようにも受け取れます。それに対してむざむざ息子を死なせてしまったべジータは、父親としての悟空への劣等感さえ抱いたのかもしれません。

 つまりべジータは、セルへの怒りではなく自分への怒りによって逆上したとも言えます。自分が一番強ければ、悟飯が戦うことも、悟空が死ぬことも、トランクスが殺されることもなかったのです。そうならなかった情けなさからの逆上であり、それ故に大した力も引き出せず一撃でノックアウトされてしまったとも言えます。その後悟飯に素直に謝ったのは、悟飯は「この状況がもうどうしようもないから」であると受け取っていましたが、どちらかというと、その時点で最強のサイヤ人となった悟飯の足を引っ張ることしかできなかった王子である自分、という現実を認めたことによるものだったのかなと思います。

 とはいえ、トランクスが殺されたことや悟飯が悟空以上の力を発揮したことにより、べジータの息子への感情が変化したことは間違いありません。トランクスが未来に帰る際に見せた小さな挨拶は、それまで自分しか信じてこなかったべジータに生まれた新しい感情だったとも言えます。ある意味では、べジータが王子から王になった瞬間かもしれません。それまでは悟空という同年代の相手だけを見ていましたが、残ったのは悟飯とトランクスという下の世代のサイヤ人なわけで、残った純粋種のサイヤ人は自分だけという自覚もあったのでしょう。

 

 一方で、べジータはそんな自分に対して違和感を覚えていました。家族を持ち穏やかに過ごすことを「悪くない」と感じていた自分に戸惑いを覚えるようになります。その感情を振り切り、純粋に1日だけこの世に戻ってきた悟空との戦いに集中したいという気持ちから、べジータバビディの支配を受け入れることになりました。

 これは、家庭を持ち自分の好きに生きることができなくなった男性が、若い頃に好きだったものに集中したくなる気持ちに近いと言えます。実際、悟空とは互角のバトルを楽しむことができましたが、その結果魔人ブウが復活してしまい、かつてセルを完全体にした時には取らなかった責任を自らの命で取ることになります。ある意味では、悟空がセルに対して見せた責任の取り方を知っていたからこその行動であったのかもしれません。

 その後のべジータは、決して自分のためだけに行動することはなくなりました。悟空との合体を受け入れ、悟空のための時間稼ぎ=かませ犬に自らなることを受け入れ、元気玉を使ってブウを倒すというアイデアを提案しています。今までのべジータでは考えられなかった行動です。そりゃ、神龍も悪人とはみなさないでしょう。これらの心境の変化は全て、べジータが「家族のために生きるサイヤ人の王」としての自分を受け入れた結果でもあると言えます。悟空との戦いを通じて、自分はもうかつての「悟空を超えることだけを目標としていた自分」ではないということも自覚したのでしょう。だからこそ、それまで認めたくなかった「悟空は自分より強い」という現実も、受け入れることができたとも言えます。自分と悟空という2人の関係性から、自分の血筋を継承する家族を確保すること、という関係性に変わったからです。もっとも、悟空を超えることをあきらめたわけではないのですが。

 

 はっきり言って、ドラゴンボールにおいてこんなに心理的な変化が大きいキャラはべジータくらいです。初登場時からフリーザ編、セル編、魔人ブウ編と着実に心境が変化していったのを考えると、「ドラゴンボールZ」は「べジータが完全に改心するまでの物語」であったとさえ言えます。特にべジータの息子トランクスが登場してからは、べジータを中心に話が回っていたと言っても過言ではありません。

 べジータはブウ編以降、パワーインフレの頂点には一度も立っていません。しかし魔人ブウとの最後の戦いは、間違いなくべジータがいなければ勝てていませんでした。最後のきっかけがサタンであったとしても、元気玉を作るという提案も、そのために地球の人々を全員生き返らせるというアイデアも、自分ひとりで戦うことにこだわる悟空には思いつかなかったでしょう。べジータの心理が変化していたから、魔人ブウを倒すことができたのです。悟飯やゴテンクスでも、一人で倒すことしか考えていなかったわけですから、一番純粋なサイヤ人に近いべジータが、一番地球人に近くなったというのが、ドラゴンボールの物語の最大の「救い」だったりしたのかもしれません。

ドラゴンボール超 未来トランクス編 感想

 TVアニメであるドラゴンボール超は、ほとんど劇場版の展開をなぞるだけで、要するに原作に対するアニメ版ドラゴンボールZの立ち位置であり、しかも劇場版よりも非常に評判が悪かったため特に追いかけていませんでした。しかしオリジナルの展開に入ってちょっとずつ評判が良くなっていった上に、未来のトランクスが再び戻ってくるという話になったことから、全力で毎週録画して追いかけることにしました。個人的には、「未来のトランクスがまた戻ってきて本格的にストーリーを展開する」というのは、ガンダムに例えると「富野監督の新作アニメとしてF92が制作される」くらいのレベルの出来事であったので、大いに歓迎したものでした。それがまさか「シーブックもセシリーも死んで歴史も全くクロスボーンやVに繋がらない結末」のようにされるとは思いませんでしたが!(笑)

 ネタバレですし非常に不満だったので柄にもなく毒を吐きまくります。ご注意ください。


 この未来トランクス編、掴みは非常に良好でした。トランクスが悟空そっくりの謎の敵の襲撃を受け、命からがら過去に逃げてきて、現代の(大きく成長・変化を遂げた)キャラクターたちと再会する、というところまでは、誰もが脳内で描いたことがあるであろうトランクス再会のシナリオでした。トランクスの未来でもバビディダーブラが現れたけど、魔人ブウが復活する前に倒したというのは、フリーザ親子や人造人間も(戦いを楽しもうとせず)容赦なく瞬殺するトランクスらしいエピソードですし、そこで超サイヤ人2に目覚めていたというのも納得できる展開です。魔閃光を使うなどの(すぐ技とか忘れる鳥山明では絶対やらない)ファンサービスも良かったですしね。
 ただ、実際に悟空とべジータを連れて未来に戻ったところからの展開は、それはもう酷いもので、良かったことと言えばベジットがまた出たことくらいだったと思います。酷かった点をとりあえず列挙します。

・一度敗退した悟空が、何の策もなくすぐ未来に戻ろうとする
 →悟空は「負けないこと」を一番に優先するキャラなので、勝てなかった相手にまた挑む場合は必ず勝つために修行をする

・悟空が頭の悪いキャラとして描かれる
 →悟空は育ちの関係から一般常識が欠けているが、敵の弱点を見つけたり新しい戦法を編み出したりできるので、別に頭が悪いわけではない。細かいことや難しいことを考えるのは苦手でも、割と最適解にたどり着ける。

・結局何の策もなく未来に戻り、そしてまた敗退
 →いくらタイムマシンのエネルギー問題が解決したとは言え、頻繁に行き来しすぎ。時間移動は重罪だと言わせるなら、もう少し重く扱うべき。頻繁な行き来は尺を伸ばしたいだけに思える

・ブラックの正体であるザマスの時間軸がおかしい
 →公式サイトの説明ではビルスがザマスを消したことにより分岐したとあるが、そもそもブラックが未来から現れなければ悟空もビルスもザマスに会わなかったはずなので、歴史改変の順番が合わない

・強さの序列が曖昧
 →超サイヤ人2以下の実力のザマスに、超サイヤ人ブルーの悟空やべジータの相手ができるわけがなく、いくら不死身でも勝ち目がないので魔封波なんて使わなくても問題ないはず。怒りを爆発させた悟空でも勝てないブラックに瞬殺されたべジータが修行しただけで圧倒したり、都合に合わせて強さが変わりすぎ。ドラゴンボールにおけるパワーバランスはもっと戦闘力に忠実です。「復活のF」もピッコロの強さが過去との整合性という面では微妙でしたが、作品内での序列は明確でした。

・味方がいちいち間抜けすぎ
 →仙豆を忘れたり壷を割ったりお札を忘れたりタイムマシンをあっさり壊されたり、いくらなんでも毎回抜けすぎ。味方が馬鹿なせいで話がこじれるのは三流以下のシナリオ。

ベジットの時間が短すぎ
 →実はポタラには時間制限があったというのは百歩譲っても、エネルギーを使いすぎると早く解けるのはまずいでしょう。フュージョンと全く変わらないし、さんざん引き伸ばしてたんだからベジットで1話使うくらいの余裕はあったんじゃないのかと

・未来のマイが意味不明
 →現在のマイはドラゴンボールで若返って子供になってるだけで実際はもう中年のはずなのに、未来のドラゴンボールを使っていないマイがトランクスと同程度の年齢というのは辻褄が合わないと最初から言われていたのに、何も説明がなかった。そっくりなだけで別人なのかと思ったけどそう匂わせることもなく、カップリングとしても意味不明。単にトランクスの彼女役を新規で出すのではダメだったのか

・トランクスの強さに根拠がなさすぎる
 金髪のまま青いオーラをまとい強くなったり、元気玉のような力で剣を作ったりするのはいいんですが、そこに理屈が何も伴っていないのが不自然。基本的に、ドラゴンボールのパワーアップや必殺技には必ず理屈があるのですがそれが守られていない

・そして、何よりも結末が最悪
 →ザマスが宇宙そのものになって全王に消してもらうしかなく、世界は滅亡してトランクスとマイは別の自分がいる並行世界に帰るという、何も解決していない酷い終わり方。バッドエンドにしても「世界が滅んじゃったからよく似た別の平行世界に帰ればいいよね」という結末は下手なラノベでもないだろうというレベル。しかもそういう結末にならなきゃいけない必然がない

 色々不満がありましたが最後が一番ダメだったのでどうしようもありません。まさかGT以下の黒歴史確定とは思いませんでした。色々苦労してやっと平和を手にしたトランクスにこの仕打ちは一体何だったのでしょうか。
 前半はドラゴンボールをそれなりによく知っている人がシナリオを書いているんだなと思っていたんですが、後半はそれが嘘のようにドラゴンボールらしくない展開ばかりでした。一体何があったんでしょうか。特に「強さに説明がないこと」と「悟空というキャラクターの誤解」が目立った印象です。
 主人公たる悟空の性格を理解していないのは最も致命的でした。これで本当に鳥山明の助言を受けていたんでしょうか。またハリウッド版のときみたいにキレて新作作ってくれそうな気がしますが(笑)、本当に分かってなさ過ぎる。ブウ編の終盤にべジータが何で「おまえがナンバーワンだ」と言ったと思ってるんでしょうね。「負けないため」なんですよ、悟空が強いのは。勝てなかったら策を考えようとしたり修行するのはべジータじゃなくて悟空の役目なんですよ。というかブラックが強いならまず何で強いのか分析するべきでしょうに。正体が誰かじゃなくて強さの理由の方を探さなきゃいけないんですよ、ドラゴンボールは。そこに全く説明がなかったのも、大きな欠陥でしたね。

 どこまで鳥山明が考えたアイデアなのかはわかりませんが、個人的には今回の話は人造人間編のリベンジだったんだろうなと思ってたんですよね。「復活のF」がフリーザ親子の地球襲来のリメイクだったと考えられますし、その続きとなると人造人間編になりますよね。レッドリボン軍が作った人造人間が超サイヤ人より強いという展開はやはり説得力に欠け、未来の神が悟空の体を乗っ取って人類を滅ぼしにやってきたという方が納得できます。悟空も病気で死んでしまうのではなく、悪の存在になってしまうという方がインパクトが大きいでしょう。敵が悪ではなく正義側から生まれたので、ドラゴンボールを悪用できてしまうというのも考え方としてはありだと思います。ただそれを解決する手段を、ちゃんと考えてからシナリオを練って欲しかった。それに尽きますかね。
 最後、未来を滅ぼしてしまった理由はどうしても分かりません。全王を2人にしたかったのでしょうか。その理由も今後の展開次第なのかもしれませんが、無理矢理すぎるように思います。ビルスも含む全ての神々の中で頂点に位置する全王を2人にしてしまうというのも理解しがたいですし。ただあまりにも展開が無理矢理すぎるので、何か制作側にあったのかなぁとも思います。いずれにせよ黒歴史確定です。ドラゴンボールの原作は、鳥山明が直接作った作品だけで十分です(苦笑)。

 ではどんな展開なら良かったのでしょうか。とりあえず最後の展開はもちろん無しにして、トランクスがザマスを倒すのは良かった。それも未来の人々の力を借りて人間の力で決着をつけるというのも良かった。そのためには、まずトランクスが悟空(とべジータ)と修行するというシーンを入れておき、視聴者の見えないところで実は元気玉を教わっていたということにすれば良かった。ベジットはあくまでトランクスに決着をつけさせるため、自分ではザマスを倒さずトランクスの元気玉の時間稼ぎをあえて行うようなポジションで良かった。ベジットは新ナメック星のドラゴンボールで分離し、二つ目の願いでブラックに殺された人々を生き返らせれば良かった。これで十分でしょう。
 また何回も未来を行き来せず、ブラックが最初に過去に来たときに悟空がブルーになったのを学習してロゼになり、べジータが太刀打ちできなかったところで強制的に未来に戻ってしまい、勝つためにトランクス含めて修行するという展開で十分尺を稼げたと思います。まず悟飯・悟天・現在トランクスを集めて未来トランクスを超サイヤ人ゴッドにして、ブルーにもなれるよう修行するという話で良かったはずです。結局ブルーになれずじまいだったけど、決戦の土壇場でブルーに覚醒するという感じにできますし。あとは全ての神が滅んだ世界で、トランクスがサイヤ人の神として残るという結末でよかったんじゃないかと思います。マイは普通に別人でいい。
 あとはザマスがブラックになった理由ですね。トランクスの未来に現れた以上、トランクスが現在にやってくる前に歴史が変わっていないといけません。過去の設定から引っ張ってくるなら、セルに殺されたトランクスが干渉していた第4の歴史の悟空の末路でいいような気がするんですが、ややこしすぎるとは思うので、単純に第10宇宙の悟空の身体を乗っ取ったくらいで良かったんじゃないですかね。せっかく複数の宇宙があって、それぞれの歴史が微妙に違うというところまでやったんだから、実はタイムマシンの時空移動は複数の宇宙を移動してただけだったとかでもいいような気はしました。本当に時間をコントロールしているのはウイスの巻き戻しだけだったとか。
 そもそも、ザマスの思想があまりドラゴンボールっぽくないのが気になりましたね。第10宇宙にいるのに第7宇宙の地球を滅ぼそうとするのも意味がわからないですし。「人間」の定義も曖昧だったしなぁ。地球に獣人がいたり宇宙人がいろんな星にいる世界観における「人間」って何なんでしょうね。神以外の知的生命体って意味なんでしょうか。なんとなく、シナリオが破綻したのはザマスというキャラの設定自体をミスった結果であるようにも思えます。「悟空そっくりの敵」ってとこまでは良かったんですけど、そこから先はアニメスタッフ側が膨らませたアイデアだったのかもしれませんね、あまりにも鳥山明っぽくないので。またベジットを出せるから、ポタラを持ってる界王神サイドの人間が敵っていうのは良かったと思いますよ。でもザマスは界王神の見習いであって界王ではないと思うんだ。北の界王様が界王神になるとは思えないし、ザマスのポジションは完全にキビトの位置だったと思うんですけど。服装も含めて。

 とにかくこんなに突っ込みどころが多いドラゴンボールも初めてでした。GTも劇場版もここまで酷くはなかったです。でもゲームはめちゃくちゃ繁盛してるみたいだから、やっぱりビジネスで続けてるんでしょうね。ベジットブルーが出た週に各種ゲームでも登場してたみたいですし、そのスケジュールに合わせてあの出番の短さだったんでしょうか。ガンダムのビジネスも業が深いですが、ドラゴンボールもなかなかに業が深いようです。

何故、未来の人造人間は凶悪だったのか

 人造人間17号と18号は、原作の時間軸と未来の時間軸で、全く違う性格になっていました。いくら歴史が違っているとはいえ、同一人物であるはずなのに残忍さが違いすぎるような気がします。その理由を、魔人ブウをヒントに考えてみました。

 

  何故魔人ブウがヒントになったかという理由は、作中の正史世界では、未来からトランクスが来たことなどにより滅びの未来を回避しましたが、結局魔人ブウによって一度地球は壊滅してしまうんだよな、と思ったところにあります。

 おそらく作者はあんまり意図していないと思うのですが、トランクスの未来と作中の正史では、それぞれ悟飯とトランクス(と悟天)以外のサイヤ人は全て死んでしまうという意味で共通しています。違いはピッコロらサイヤ人以外の戦士たちが生きているかどうかなのですが、ピッコロ以外はほぼ戦力外なのであまり違いはないと言えます
 もう一つの共通点は、世界を壊滅させた側のバックグラウンドです。魔人ブウが世界を壊滅させたのは、生みの親であるバビディを殺し自由になった後で、ほぼ「遊び」の延長でした。サタンによって一度は手懐けられるものの、悪の魔人ブウに変身してしまった後は、一瞬でほぼすべての人類を皆殺しにしてしまいました。一方未来の人造人間も、生みの親であるドクター・ゲロを殺した後、ほとんど遊びで世界を壊滅させています。魔人ブウよりなまじ知能がある分、たちの悪い遊び方で少しずつ人類をいたぶり殺していました。

 ここで言えるのは、人造人間と魔人ブウのどちらも、「生みの親を殺した後、目標を見失ったことで遊びとして世界を滅ぼしている」ということです。どちらも何故生みの親を殺したのかと言えば、基本的には絶対服従を強いようとしたことによる反発からでした。ただ、人造人間が生みの親を殺したのは、未来世界も原作世界も同じです。その違いはどこにあったのでしょうか。

 人造人間の場合は、生みの親を殺したこと以前に、生み出された理由、つまり孫悟空を殺すため、という目的を失っています。人造人間側が、いつ未来の悟空の病死を察知したかはわかりませんが、未来の人造人間の狂暴化は、原作世界との分岐点ともなっているはずの「悟空の死」がキーになっているのではないかと推測することができるのです。
 未来の人造人間17号と18号が、いつどのような理由で行動を開始したのかは明らかになっていません。トランクスは19号と20号の存在を知りませんでしたが、それは「存在しなかった」のではなく、原作世界同様に19号と20号が現れたものの、ベジータたちに追い詰められて17号と18号を稼働させ、その17号と18号がベジータたちを皆殺しにしたため、その2体しか知られていなかったと考えることも可能です。そもそも、トランクスが予告した時間に19号と20号が現れたわけですし、(設定変更の名残とはいえ)トランクスはこの時現れた人造人間が19号と20号であると言っていたわけですから、未来世界においても19号と20号が存在していた可能性はないわけではありません。
 ただ、それ以前にドクター・ゲロが事前に悟空の死を察知していたかどうかという点がわかりません。スパイロボを常に派遣していたのであれば、悟空の死も知っていそうなものですが、未来世界でも原作世界でも同じ時間に人造人間が出現していたことを考えると、悟空の死を知らなかった可能性もあります。というか19号と20号が何故あの時間にあの島から行動を開始したのかが不明なので(苦笑)なんとも言えないのですが…。気を察知できない以上、悟空たちに奇襲をかけることも可能だったわけですから、あえて辺境の都市から動き始めた理由はよくわかりませんね。セルのように、一般人から気を吸い取ってパワーアップでもするつもりだったんでしょうか。この辺は人造人間編の設定の二転三転のあおりを食らった部分ですね。

 もう一つ鍵となりそうなのは、20号ことドクター・ゲロが原作世界において17号と18号を起動させたときに、「なおっておればよいのだが」と言いながら作動させ、17号と18号が完全服従しているように見えたことで「なおったようだ」と判断していることです。おそらく17号と18号が言うことを聞かなかったので、より強い洗脳のようなものをかけようとしていたのだと思います。未来世界では、この調整に失敗したことで、より狂暴な性格となって稼働したのかもしれません。
 原作世界でも、結局17号と18号の洗脳には失敗しているのですが、その性格はどちらかというと穏やかでした。「直っておればよいのだが」の発言から、一度制御に失敗して、停止コントローラーで停止させ、再調整したものと思われますので、未来の17号と18号はこの再調整を行う前の状態だったと考えることができます。何故未来世界では調整が一回少ないのか、それは「悟空が死亡したことを確認したから」なのではないでしょうか。

 つまり、こういう推測が可能なのです。ドクター・ゲロは悟空の死を確認し、目的を悟空の抹殺から本来の世界征服(?)に修正、その時点でより強力な力を持つ17号と18号の調整はあきらめ、19号と自身20号で計画を実行することにしたと。しかしベジータたちの力が予想以上に高かったため、20号は慌てて未完成の17号と18号を起動、しかしコントロールが効かず、自身は殺され、ベジータたちも皆殺しにされ、そのまま世界を滅ぼす活動に出てしまった、と。
 17号と18号に与えられた使命が悟空の抹殺から世界征服に変わっていたとすれば、その後の行動も理解できます。調整が不十分なので征服というよりは破壊に近いですが、その使命を行っていただけなのです。原作世界の17号と18号も、ゲロを殺した後は、結局目的がないので課せられた使命である悟空を狙うために行動し始めましたしね。
 つまり未来の17号と18号は、調整が不十分なためより狂暴な性格となっており、しかも攻撃対象が悟空個人から世界へと変わっていたために、あのような残忍な存在となってしまったのではないか、と考えることができるのです。

 魔人ブウバビディを殺して自由に過ごしている間に、ミスター・サタンに出会い、話の通じる存在になりました。原作世界の人造人間たちも、セルという共通の敵との戦いを経て新しい人生を歩んでいます。どちらも悟空が死んでいる(関わっていない)時の出来事なのですが、その悟空の死がちょっと早かっただけで、未来の人造人間とは和解できる可能性がなくなってしまったと考えると、いかに悟空の病死というのが歴史にとって大きな影響であったかがわかりますね。

アルティメット悟飯とは何だったのか

 今回は悟飯の話。

 復活のFでは、修業をしていなかった悟飯が「超サイヤ人にならなんとかなれる」レベルまで落ちていました。これでGTでの扱いにも整合性が取れたことになりますが、そもそも悟飯は老界王神に潜在能力を全て引き出してもらい、超サイヤ人になる必要はなくなっていたのではないか?という疑問があります。
 今回はその疑問についてある程度の回答を出したいと思います。


 そもそも、いわゆるアルティメット悟飯と俗称される、潜在能力を限界以上に引き出した姿の悟飯は、どういう存在だったのでしょうか。

 超サイヤ人にならずとも超サイヤ人3以上の戦闘力を持っている、という意味では、おそらく悟飯が「超サイヤ人化をした上で引き出せるはずの戦闘力」を含めて引き出せる可能性がある力を全て通常の状態で発揮した姿、と定義することができます。ある意味では、超サイヤ人ゴッドに最も近い存在であったかもしれません。
 超サイヤ人は、以前の考察で定義しましたが、「界王拳のように戦闘力を倍加させ、界王拳と違って肉体そのものも上昇した戦闘力に耐えられるよう強化する」というものであったと考えられますが、肉体強化がセットになるため、身体には無理をかけている、ということになります。フリーザの100%パワーやゴールデン化も同様でしたね。
 そのような無理をせず、自然に秘めた力を引き出すことができるのが、アルティメット化ということになります。

 逆に言えば、アルティメット化は「変身」を伴うものではなく、通常なら修業してレベルアップしないと引き出せない力を、チート的な裏技で一気に引き出した状態、つまりレベルカンスト状態なのがアルティメット化なのではないか、と考えることができます。
 例えるならば、現在レベル50、最高レベル100のキャラクターのレベルを一気に120まで上げるのがアルティメット化と言えます。それに対し、超サイヤ人はレベル50のまま、変身によってレベル100に匹敵する戦闘力に一時的になるもの、と言えます。
 つまり超サイヤ人変身を仮にレベル+50の効果とするならば、アルティメット化は単にレベル上限突破の効果となり、デフォルトの能力が底上げされる形となるわけです。

 超サイヤ人と違うのは、潜在能力を限界以上まで引き出しているので、これ以上の成長はほぼ見込めないということです。悟空やベジータのように絶えず修業をして、自分の限界レベルをどんどん底上げしていくほどの余地がもうなく、しかも本人に強くなる気がそれほどないので、あとは下降線をたどっていくだけ…というわけです。
 ゲームであれば、一度上がったレベルが下がることはありませんが、実際の人間はトレーニングをしなければ衰えていきます。何もしないでいると、レベルは下がっていくのです。
 つまり、悟飯は修業をしなかったため、120まで上がったレベルが50まで戻ってしまったのでしょう。その状態でより高い戦闘力を発揮するには、再び超サイヤ人化するしかなかったというわけです。
 そもそもアルティメット化自体が、修業をせずに一気に強くなるという、本人の努力が伴わない形での強化だったため、失われるのも早かった、ということなのではないでしょうか。

 サイヤ人と地球人のハーフは生まれつきの戦闘力が高い、ということになっていますが、実際に強くなれる確率が高いのは、やはり純粋なサイヤ人なのではないかなと思います。強くなるための意識とそのための努力が違うからです。もちろん、悟空やベジータが特別である部分もあるのですが、例えば未来の悟飯は、10年以上修業をサボらずし続けても人造人間を超えられなかったのに、現代の悟飯は悟空と修業したことによって精神と時の部屋での1年で人造人間をはるかに上回る力を手にしています。これは明らかに悟空が一緒だったからで、トランクスも超サイヤ人を超えるというベジータの発言に「考えたこともなかった」と言っています。仮に悟飯が自力で修業をしようとしたとしても、強くなるためのアイデアが、そもそも地球人とのハーフには欠けているので、強くなるのは難しいと言えます。
 だから、結局のところ「より強い敵が現れる」ドラゴンボールの世界において、そのレベルについて行けるのは、飽くなき向上心を持ち続けている悟空とベジータだけであって、悟飯はどうしても置いて行かれざるを得ない、というのが、魔人ブウ編後半から復活のFにかけての悟空・ベジータ・悟飯の扱いなのではないか…と思ったのでした。


 ちなみに超サイヤ人ゴッドは、アルティメット化と同じく通常の状態でレベル100以上の力を発揮できる状態なのではないかと考えられますが、その上で更に超サイヤ人に変身することができます。そう考えると、アルティメット悟飯が更に超サイヤ人に変身することもできたのではないかという気もしますが、アルティメット化がいわゆるレベルカンスト化(MAXレベルに引き上げる)であるに対して、ゴッドはレベル限界突破、つまりカンスト可能なレベルの上限を上げるもので、更にそこから成長できる余地が生まれることから、更に変身することができるのでしょう。
 そう考えると、悟飯も(悟天もトランクスも)ゴッド化すればそれなりに強くなりそうな気がするんですが、まぁ本人に強くなる気がないんでしょうね。アルティメット化と違い、ちゃんと修業して力をコントロールできるようにならないと使いこなせないようですしね。

 結局のところ、一番大事なのは才能や天性の肉体ではなく、飽くなき向上心ということでしょうか。スポーツの世界においても、トップレベルでの勝負を分けるのは結局意識の差だったりしますので、そういう意味でもやはりドラゴンボールは、決してリアリティのない作品ではないのではないかと思う次第です。

ドラゴンボールZ 復活のF 感想

 ドラゴンボール考察派の一人としては外せない映画、今回も見てきました。

 まぁ、相変わらず鳥山氏の設定観念はガバガバだったわけですが(笑)それでも悟空のパワーアップとか人間性の部分については、ちゃんとしっかり描かれていたのかなと思います。なので細かいことを突っ込むとめちゃくちゃな内容ではありましたが、個人的にはすんなり心に落ちたストーリーでした。

 何故かということについては、ネタバレ全開でいきます。


 まずエンターテイメント的な感想としては、フリーザはどうやって復活してどうパワーアップしたんだろう、と思っていたんですが、普通にドラゴンボールで蘇って本気で修業したら超サイヤ人ゴッド並みに強くなりましたという理屈もあったもんじゃない内容でした。まぁフリーザ一族は血統的にはサイヤ人よりも優れていて、破壊神の領域に到達できるポテンシャルがあるということにしておきましょう。

 フリーザが悟空への復讐の為に地球に乗り込んでくるのは、かつて同じことをやろうとしたわけですから当然の流れで、悟空が来るまで仲間たちでしのぐというのも至極まっとうな流れでしょう。しかし、餃子とヤムチャは置いてきたという明らかにネットでネタにしてくださいと言わんばかりのセリフを言わせておいて、それよりも戦闘力が低いであろう亀仙人がやってきたかはかなり謎ですね(笑)18号さえ置いてきたのに何故クリリンに連れて行くよう頼んだのか、その経緯は気になるところです。まぁ昔から劇場版ではちょくちょく戦う姿を見せてはいたんですけどねぇ。悟天とトランクスが出てこないのはたぶん尺の問題なんですが、フリーザが来た時点で気でバレると思うんですが…まぁ完全に尺の事情なんで突っ込むのは野暮なところなのかもしれません。
 亀仙人以外では、フリーザの部下で一番強そうな奴にピッコロが苦戦するのはちょっと解せませんでした。ピッコロさんは修業サボってないと思うんで、最低でも17号と互角だったレベルの力は持っていると思うんですけどね。まぁ悟飯が活躍する前フリだったんで、仕方ないんですが。
 悟飯は修業サボってたせいでかなりパワー落ちてるみたいですね。アルティメット悟飯とは何だったのかということについては、後日考察するつもりでいるんですが、とりあえずGTとの整合性は取れました。しかし一時は全戦士最強まで上り詰めたのに、ナメック星時代の立ち位置まで戻ってしまったのはちょっと悲しいですね。超サイヤ人になる間もなかったとはいえ、フリーザにパンチ一発でKOされるのは、いつかの映画のリベンジということになるでしょうか(笑)

 悟空とフリーザの対決は、昔の方が見応えがあったかなぁというのが正直な感想です。水中からの奇襲とか、「今度は死ぬかもね」とか、左手だけで戦うとか、20倍界王拳とか、うんあの戦いはやっぱり名作でしたね。今回はなんかただゲーム的にボコスカやってるだけという印象でした。まぁその中でも、「こんなもの…!」とか大地を斬ったりとか、かつての戦いを彷彿させる要素はありましたが。
 またフリーザが結局ビルスウイスには及ばないのと、悟空とベジータが二人でかかれば負ける相手ではないという意味で、かつてのフリーザ魔人ブウほどの脅威が感じられなかったのも、盛り上がりにかける要因かもしれません。悟空が光線銃で不意打ちを食らってしまうというのももう少し演出の仕方を考えて欲しかったなぁと思います。

 ただ、そんな突っ込みどころ満載の内容でも納得できたのは、フリーザへのとどめの刺し方でした。展開としては、悟空が不意打ちで倒され、ベジータが代わりにとどめを刺そうとしたところでフリーザが地球を破壊してしまい、ウイスの力で時間を戻して悟空がすぐフリーザにとどめを刺す、という演出なんですが、これは以前も指摘した「悟空は勝利した相手には絶対にとどめを刺さない」というキャラクターだからこその演出なんですよ。そしてピッコロやベジータ、ブウなどと違って仲間になる要素が微塵もないフリーザに対し、悟空はとどめを刺しきることができなかったんです(トランクスが倒しましたが)。それが何十年越しかにして、ようやく悟空は本当の意味でフリーザにとどめを刺したんですよ。これは凄く大きいことだったんじゃないかな、と思いました。
 個人的には、悟空は悪人にとどめを刺さないキャラで居続けて欲しかった気もするんですが、そういった非情になりきれないことによって大切なものを失うこともある、と悟空に気付かせるための物語が今回の映画だったんだなと考えると、非常に意義深い内容であったように思ったのです。フリーザはそのために蘇ったのだと。

 かつての悟空も、セルにとどめを刺せと悟飯に言ったように、悪い奴のとどめは刺さなきゃいけないとわかってはいたんですよ、たぶん頭では(未来のトランクスと初めて会った時にも、フリーザは自分がとどめを刺すべきだったと言っていましたしね)。でもそういうとどめを自分がささなきゃ逆にやられてしまうような殺し合いに巻き込まれること自体がもう嫌になってしまったから、セルとの戦いでは自らの命を投げ出してしまった部分もあったんだと思うんですよね。ただその後生き返って生き続けることになった以上、そういう甘さはどこかで克服しなきゃいけなかった、ということなんだと思います。

 なのでやっぱり鳥山明という人は(かなり周囲に説得されて嫌々関わったっぽいですが)、細かい設定はめちゃくちゃでも、話の筋はしっかり考えてキャラクターを作る人なんだなぁ、と思ったのでした。新しいテレビシリーズでどういう展開を作るのかは、少し楽しみにしたいところです。


 以下、設定面でのツッコミ!

1.ドラゴンボールでは1年以上前に死んだ人は生き返られないんじゃなかったっけ?
 →そんなもんデンデが作り直した時にどうにかしたんだよ!

2.悪人は死ぬと魂が浄化されて生前の姿と記憶を失うんじゃなかったっけ?
 →そんなのアニメ版でも守られてなかったし今更どうでもいいんだよ、あれはベジータは死んでも悟空にあの世で会えないって話をピッコロがしただけ!

3.地球のドラゴンボールでかなえられる願いは最終的に3つにならなかったっけ?
 →あれ作者めっちゃ適当だから!最初2つになったのに後から急に3つになって、その後「たくさんの人を生き返らせちゃうと2つに減る」という設定に変わったから!フリーザ1人生き返らせたのに2つだったのはなんでだって?フリーザ様はめっちゃ強いからなのと、かなり昔に遡ったから神龍のエネルギー凄い使ったんだよきっと。もしくはデンデがやっぱり2つに減らしたとか、そもそも3つになってたっていう方が間違いだったとか。

4.フリーザが戦闘服ごと再生してるのは何故?
 →知るかボケ!


 あととりあえず超サイヤ人ゴッドの力を取り込んだ青い超サイヤ人(神と神の終盤で悟空がなってた超サイヤ人の完全版でしょうね)の正式名称はちゃんと考えてあげた方がいいと思います…。ゲームでは超サイヤ人ゴッドSSって表記されてるみたいですが。まぁゴッド化した後に超1になるとあれになるってことなんでしょうから、もう金髪の超サイヤ人にはなれないのかもしれないですけどね。だとしたらGTは完全になかったことになります。

 まぁ、ドラゴンボールビジネスはまだまだ続くということで、ガンダムとは別の形の因果の果てをこれからも見守っていこうと思ったのでした。

人造人間編の悟空の心理

 人造人間~セル編の悟空ってなんか変じゃなかった?という話です。


 あれ、悟空なんかちがくね?と思ったきっかけは、覚醒後の悟飯がセルを追い詰めた際に、「とどめだ!すぐにとどめを刺せ!」って言ってることを改めて読んだときです。悟空って基本的に敵にとどめを刺すことをすごくためらうキャラなんですよ。前に考察したように、ピッコロやベジータだけでなく、フリーザにさえとどめを刺すのをためらったのが悟空なんです。その悟空が、自ら率先して「とどめを刺せ」と言うのはなんか違うような気がしたんですね。

 もちろん、このセリフは後のセルの自爆の伏線となっており、この時点で悟空が死ぬことは決まっていたのだと思います。しかしそれにしても心境が変わりすぎていないかと。
 そもそもセル編の悟空はちょっと変なんです。誰よりも強くなることを目指しているはずなのに、セルを超えることはあっさりとあきらめて悟飯にバトンタッチしていますし。そもそも作者(や当時の編集者)がストーリー作りに行き詰っていたと思われることは、人造人間編の紆余曲折を見ればよくわかるので、そのあおりをくらっているような気もするのですが、そこをあえて心情面で考察してみたいと思います。

 キーになる要素は2つあります。1つは、フリーザ親子が地球に来襲したことです。トランクスと出会った悟空は、「オラがやっぱあまかったらしい・・・。あいつはナメック星でやっつけておくべきだった」と言っていました。確かにナメック星で確実に悟空がフリーザを殺しておけば、フリーザ親子が地球に来ることはありませんでした。何故なら、フリーザが地球に来たのは明確に悟空へのリベンジのためだったからであり、それ以外の理由は全くないからです。
 それまで、悟空がとどめを刺さなかったことによって悪いことが起きたことはありませんでした。ピッコロは味方になりましたし、ベジータも最終的には敵対関係ではなくなっています。それ以外のキャラは悟空がとどめを刺さなくても死んでしまったキャラがほとんどでしたが、まぁ圧倒的に悟空の方が強かったので生き残っていたとしても大きな悪さをすることはなかったでしょう。
 しかしフリーザは違いました。見逃しても改心することはなく、復讐の為に地球へやってきたのです。それも悟空より先に地球に到着し、地球人を皆殺しにしようとしていました。そしてトランクスがいなければフリーザを倒す力を持っていたのは悟空だけでしたから、やはり悟空がフリーザを殺す以外に解決の道はなかったと言えます(トランクスのいた未来では、実際にそうなったのです)。
 つまり悟空はフリーザに出会って初めて、「見逃しても分かり合えない」存在を知ったことになります。この経験が、セルにもとどめを刺さないとヤバい、と思い当たる伏線になってるのではないかと思います。

 もう一つのキーは、死んだ悟空がドラゴンボールでの復活を拒否した際、「オラがいねえ方が地球も平和だと思うんだ」と言っていること。普通に聞いてると今更何をという感じですが、人造人間というのは明確に「悟空を殺すために作られた」存在だったんですよ。それまでの敵は結果的に悟空と戦うことになっても、別に悟空と戦うために生まれてきたわけではなかったんですね。それまでより強い相手を追いかけるだけだった悟空が、今度は狙われる立場になったわけです。そして未来では実際に人造人間に滅ぼされているわけで、悟空がいなければ間違いなく起こらなかった未来ではあります。
 そして何故か、悟空は人造人間と戦うことにあまりワクワク感を感じていないようでした。トランクスに未来を告げられた時は戦う気満々でしたが、病に倒れた後の悟空は、とてもセルと戦うことを楽しみにしているようには見えませんでした。もしかしたら「人造人間」であることが、悟空の闘争本能を引き出さなかったのかもしれません。たまたま現れた自分より強いヤツではなく、計算して作られた対自分用の存在のために修業するというのが、あまりモチベーションを生まなかったのではないかと。
 悟空は病に倒れている間に、それなりに色々と考えたのかもしれません。自分はただ強い敵と戦ってそれを超えたいと思っていただけだった、しかし強くなりすぎて逆に狙われるようになってしまった。しかもとんでもない悪人に狙われて自分の身内や世界が巻き込まれようとしている、これからも自分を狙って悪が現れるかもしれない、その悪を退治するのは自分の役目なのか、と。
 つまりは悟空は正義の味方として生きる人生を拒否したのではかと思います。強くなるために戦いたいけど、世界を守るために戦うのは嫌だと。

 実際悟空はブウ編以降も、自ら世界を守る戦いに身を投じることには非常に消極的です。そういうのは悟飯の方が向いていると思っているし、ブウを直接倒すのも若い戦士であるべきだと思っているし、生き返った後も、世界を守る役目はウーブに任せようとしていました。なんというか、「レベル上げてステータスカンストさせる方がラスボス倒してエンディング迎えるより楽しい」みたいなタイプですね(笑)

 心臓病になったというのも大きなポイントかもしれませんね。戦いの中で一度死んだことがある悟空も、戦い以外の理由で死ぬことは想定していなかったのかもしれません。いつ発病するかわからない状況で生き続け、実際に発病し、なんとか一命を取り留めたものの、そのような体験をすれば誰でも人生観が変わりそうなものです。実は死んだ方がいいんじゃないか…そう考えるくらい弱気になっていたのかもしれません。

 まぁ残された家族のことなどを全く考えないところが無責任な悟空らしいとも言えますが、結局のところ本人の心理的な揺らぎを経て、単純に英雄として生き続けることを拒否したというところが裏ではあったんじゃないかと思うのです。


 ただ、その材料となるにはセルというキャラは非常に曖昧な設定でした。セルは完全体になることを目的としていて、その後は完全体の強さを引き出すことを望んでいました。ある意味その時の悟空より悟空らしい性格をしています。簡単に人々を殺したりするために悪そうに描かれていますが、実は全然悪役としての要素を満たしていなかったりします。というかむしろセルは、悟空の良きライバルとして改心する可能性さえあったような気がします(笑)
 悟空が死ぬ伏線として、悟飯が激怒する伏線としての悪役であれば、もう少し裏付けが欲しかったですね。フリーザはそもそも性格が残虐非道であり、またドラゴンボールで不老不死になるという目標とそれを台無しにされた怒りが悪役としての威厳を高めていました。セルの悪役っぽい要素というと、人間を吸収して強くなるという設定と、人々が恐怖におののく顔を見るのが好きということくらいですかね。まぁサイヤ人的な強くなりたいという本能と、フリーザの持つ残虐性の両方を持っていると考えると、最強の悪役のような気はしますが。

 結局のところ悟空は、何かを守るための戦いは好きではなかったんだと思います。ただ純粋に強さだけを追い求めたかったのに、それをさせてもらえない、という悩みがセル編の死に繋がっていったのではないでしょうか。